たまにはこんな穏やかな〜わりとありふれた日常〜

2014/08/25



狡噛は欠伸をしながら刑事課一係のオフィスに足を踏み入れた。いつものメンツがそろっていて、代わり映えのない日常だなと――思いかけたが、足りない。

「おはよーコウちゃん」
「ああ。……ギノは?」

夜勤だった縢と征陸、常守。日勤である六合塚。そこに狡噛が入るが、明らかに一人足りなかった。狡噛は持ち主のいない宜野座のデスクに目をやって、不思議そうに訊ねる。
何しろ彼は自分より先に部屋を出たのだ、着いていないはずがない。官舎からここまで数分であるにもかかわらず、なぜいないのか。
昨夜はそんなに無茶をした覚えもないし、途中でダウンしているということもないだろう。

「あ、宜野座さんなら局長のところに。出勤した途端の呼び出しだったんですよ」

宜野座の後輩監視官である常守がその謎を解いてくれた。なるほどいないのはそのせいかと納得し、自分のデスクに就く。

「昨日は何もなかったのか? とっつぁん」
「あー、一件だけエリアストレスの上昇で出たな。何のこたぁねえ、子供が迷子になってただけだ」
「ガキでも一人前のサイコパスだからね〜。すぐ親が駆けつけたけど」

肩を竦めた征陸に、ゲームをしながら縢が続ける。大捕り物ではなかったようで、世界はおおむね平和。

「でも征陸さんがいてよかったですよ〜。私小さい子の扱いって分からないし」

常守が胸をなで下ろすのを、狡噛は苦笑して横目で盗み見る。そりゃあ子供の扱いに慣れているのは一係唯一の子持ちである征陸くらいのものだろう。

「うちは逆にカミさんが迷子になりやすかったがなあ。母さんいなくなった、って俺のシャツ引っ張ってくる伸……息子も可愛かったが」

息子の名を呼びかけて征陸は慌てて伏せる。おおっぴらに名を出せる立場ではないのだと少し寂しそうな顔をして、懐かしむように目を細めた。

「今は携帯とかで連絡取りやすいですけど、昔はモバイルの端末とかなかったんでしょう? 待ち合わせとか大変そう」
「あ、俺もマンガ読んだことある! なんで携帯使わないんだろうって思ったら、そもそもなかったんだよね」
「あらかじめ時間と場所をきっちり決めておかないと難しそうね。人口も今よりずっと多かったみたいだし」

不便だよなあーと縢は言うが、おそらくなかったらなかったでそれに合わせた対処をできる人間たちだったのだろうと狡噛は思う。
しかし、知ってしまった今では昔の状態には戻れないだろう。モバイル端末がなかった時代も、車やトレインがなかった頃も考えられないし、極個人的なことを言えば、宜野座伸元と出逢わなかったもしもの世界も考えられない。
顔が見たいなと、昨夜さんざん堪能したにもかかわらず思ったその時、局長のところから戻ってきた宜野座がオフィスに顔を出す。

「あっ、宜野座さんお帰りなさい」

狡噛はすかさず声をかけ、ああとだけ返事をしてデスクに就いた宜野座の正面まで足を運んだ。
そしてこっそりささやく。

「起こせよ」

危うく遅刻するところだったぞと暗に含んでやれば、宜野座は眼鏡の奥でぱちぱちと目を瞬いた。

「……まさかついさっきまで寝てたのか?」

宜野座は、狡噛の寝起きが良くないのは知っている。つまりそういう仲だからだ。職場でそういった話しをするつもりはないし好きではないが、バツの悪そうな顔をした狡噛を珍しく思ってしまう。

「次から起こしてくれ」
「覚えていたらな」

小さな声でそうやり取りし、朝の挨拶に代えた。
そうしてから意識をパッと切り替え、宜野座は監視官の顔になり、全員に通達する。

「まだ全員が残っていて好都合だ。急なことだが、明日一日、我々一係に休暇がもらえた」
「えっ!?」
「おっ?」
「本当ですか!?」
「急過ぎませんか?」

縢、征陸、常守、六合塚がそれぞれの驚愕を音にする。狡噛だけはさほど驚いた様子も見せず、どういった風の吹き回しだ? と煙草に火を点けた。

「いや、なんでも年次の休暇がうまく処理されていなかったようでな……。降ってわいたようなものだが、明日は全員休養を取るように。急ぎの仕事だけは終わらせて行ってくれ」

休暇が増えたのではなく、もともとあったものが承認された形にはなるが、休暇は嬉しい。明日は何をしようかなあとそれぞれ思いを馳せていた。

「明日みんな休みってことは、多少のドンチャン騒ぎはオッケーっすよね? みんなで飲まない?」

俺ツマミいっぱい作るからさあと縢が持っていたゲームを放り出して身を乗り出す。確かに翌日休みということは夜更かしをして寝過ごしても問題ないということで、こんな状況は滅多にない。

「ねえ朱ちゃん買い物つきあってよ。何かツマミのリクエストあったら作るし」
「みんなでご飯ってこと? いいな、楽しそう。私も手伝おうか?」
「えっ、あっ、いやいや買い物つきあってくれるだけで充分。クニっちも食いに来るっしょ? 何か嫌いなものあったっけ」

すでに縢の中では今日の夕食を全員でということになっているらしく、メニューを考え出しているようだ。

「特にないけど。志恩にも声かけていいわよね」
「もっちろん。つか先生強制参加っしょ。いないとつまんないもん」
「俺も混ぜてもらっていいのかねえ。酒持っていくわ」

わいわいと計画が立てられている傍で、まあハメを外し過ぎなければ目くじらをたてることもないだろうと、宜野座は眼鏡を押し上げる。

「縢、騒ぐのはかまわんが他の係に迷惑をかけるなよ。常守監視官も、そのあたりの管理はきっちり頼む」
「えっなんで。ギノさんも来るっしょ?」

諫めた宜野座を、縢が不思議そうに振り向いた。それには宜野座の方こそ驚いてしまった。

「は……? 俺もその騒ぎに参加しろというのか?」
「みんなっつったじゃん俺。何か予定あるんならいいけどさあ、休暇決まったさっきの今で、ギノさんに予定入ってるとは思えないんだよねー」
「なっ……」

事実ではあるが、どういう意味だと憤慨しかけた宜野座を、狡噛の腕が制す。

「たまには執行官との距離を縮めてみるのもいいだろギノ。たかがこんなことで色相が濁るほど軟弱なわけでもあるまいし」
「当然だろう馬鹿が!」

思わずそう叫んでしまってから、しまったハメられたと宜野座は頭を抱えた。決まりだなと狡噛はおかしそうに口の端を上げる。
そんな狡噛を、宜野座はキッと睨みつけた。執行官たちとのコミュニケーションをはからせるためにフォローしたいのか挑発したいのか、どちらかにしてほしい。

「そうと決まれば食材買い出し行かなきゃなー。ほら朱ちゃん早く早く!」
「えっ、あっ、ちょっと待ってよ縢くん!」
「あ、あととっつぁんもさー、お酒買いに行こう」
「いいのかい? せっかくのデートを邪魔するのは悪いだろうが」

そうは言いつつも、征陸は縢にシャツを引かれてついていく。事件でなく外に行くというのは、嬉しいものなのだろう。

「……志恩に話してきます」

六合塚は相変わらず表情から感情が読みとれないが、どことなくそわそわしていた。恋人に逢いにいくからなのか、その恋人を含む全員でドンチャン騒ぎができるからなのか。長いポニーテールを揺らしながらオフィスを出ていった。
図らずも狡噛と二人になってしまった宜野座は、妙なことになったなと呟いた。

「なんだ、不満か? たまにはいいだろう」
「不満というわけでは……ただ一係全員なんて、ブリーフィングみたいでな。仕事の延長という気分が抜けないんじゃないかと思っただけだ」
「息抜きにならないんじゃないかって? そんなもの、気の持ちようだぞ。お前がちゃんとリラックスすればいい」

努力はする、と宜野座は眼鏡を押し上げる。彼のリラックスは努力をしないといけないほど難しそうなものなのかと、不器用な宜野座に笑う。

「ベッドの中では結構リラックスしてるのにな、お前」

狡噛の揶揄に、意味をちゃんと把握して宜野座は顔を真っ赤に染める。

「ドミネーターで撃ち抜かれたいか狡噛」
「そいつぁごめんだ。ギノに狙われたら逃げられないの分かってるからな」
「だったらこんな話しは――」

宜野座の射撃技術が群を抜いているのは狡噛が誰よりも知っている。狙いを定める彼の視線に捕らわれるのもそれは楽しいだろうけど、できれば捕らえるのは自分の方がいいと口唇を塞いだ。
おそらく小一時間は六合塚が戻ってこないだろうことを見越して、昨夜ぶりの口唇をたっぷり堪能し――宜野座に殴られた。




「あっ、お疲れーコウちゃんギノさん。クニっちと先生もう先に来てるよー」

その日の仕事を定時で終えて、二係と三係に引継を行って、狡噛と宜野座は縢の部屋へと足を踏み入れた。
放っておくとギノはこないかもしれないからななどと見え見えの嘘をついて、誰もいなくなったオフィスでキスをしてきたのは内緒だ。懲りない男だなと宜野座は怒りながらも、今度は殴ってくることはなかった。

「おーお疲れさん二人とも。先に始めてるぞ」
「お疲れさまです、宜野座さん、狡噛さん。お先にいただいててすみません」

ねぎらいをかけられながら向かった先のテーブルには、見るからに旨そうに湯気を立たせた料理や、瑞々しい新鮮な野菜を使ったサラダ、スープや気軽に摘めるクラッカーなどが所せましと並んでいる。

「旨そうだな」
「へへっ、そりゃねー気合い入れたもん」

狡噛に誉められて縢も嬉しそうだ。料理は趣味だが、誰かと一緒に食べるというのはそれ以上の楽しさがある。

「宜野座監視官、なに飲みます? シャンパン……ワイン?」
「え? あ、いや俺は……」

六合塚にグラスを渡されるも、アルコールを接種する気のない宜野座はやんわり断る。上司に、しかも監視官に酒をすすめるとはどういうことだと怒りたくもあったが、雰囲気を壊すのも申し訳ないと思い、それはやめておいた。

「ギノはこれでいいだろ。アルコールは入ってない。乾杯くらいつき合え」

横から狡噛がメディカル・トリップを勧めてくる。普段からメディカル・トリップも飲むことはないのだが、健常者のためのものが縢の部屋にあったとは思えない。わざわざ買ってきてくれたのかもしれないと考えると、無碍に断るわけにもいかなかった。

「……これっきりだぞ」
「はいはい分かったよ」

全員に飲み物が行き渡ったところで、改めて乾杯が行われる。なにを祝うわけでもないが、縢が明るい声でおっつかれー! と言ったのをきっかけに七つのグラスが天を指した。
宜野座はメディカル・トリップを飲み干して、縢の部屋に視線を巡らせた。相変わらずゲームばかりだなと、呆れるばかりだが。
しかし、そのゲーム台があるエリアを半分以上浸食しているものには興味がある。宜野座はグラスを片手にそれの方向へ足をやった。

ビリヤード台。

ホロではなく本物のようで、キューや球も揃っている。手入れはあまりされていないようだが、ゲームをする分には問題ないのだろう。

「ビリヤードか、懐かしいな」

それに気づいた狡噛が、横から声をかけてきた。そういえばビリヤードというものに触れたのは、学生時代いろいろなところに連れ回してくれた狡噛がきっかけだった気がする。

「えっ、ギノさんビリヤードやんの!?」
「嗜む程度だが」
「なんだ早く言ってよそれ! ドローンとじゃ勝負になんなくってさあ」

唐揚げを口の中に放り、縢が大股で寄ってきた。どうやら勝負をしようといううことらしいが、ドローンよりは楽しめるといいなーなどと無意識に暴言を吐いている。

「何か賭けます?」
「貴様、俺が賭事などすると思うか」
「もーカタいなあギノさん。たとえば外出申請のこととか報告書一回免除とか、そういうのでいいんだけど」

賭事と言えば金銭的なものかと思ったが、そういったものばかりでもないのかと宜野座は考えを改める。

「なにがいいんだ」
「じゃあー、俺が勝ったらこの間却下されたフィギュアの購入申請通してくださいよ」
「了解した。ではお前が負けたら報告書の差し戻しにいっさい文句を言うな」

なにそれ、と縢が眉を上げる横で狡噛が噴き出す。宜野座はよほど縢の反抗的な態度に耐えかねているらしいなと。

「まぁいいっすけど。ギノさんに負ける気しないもんね」

ブレイクショットはどちらが? と訊ねた縢に、お前がやれとどこか余裕のある宜野座に、この時点で気づくべきだった。

「へぇー、絵になるわねシュウくん」

キューを構え球を打つ縢を煽るように、唐之杜がきれいな口唇で笛を吹く。弥生もああいうの似合いそうねと恋人にフォローを入れることも忘れずにだ。

「私ビリヤードって初めて見ます。どういうゲームなんですか?」

常守の問いかけに、征陸がゲームのルールを説明していく。もしかして征陸もやっていたのだろうかと、常守は興味津々だった。



そうしてあとには、呆然と佇む縢が在った。

「な……にが嗜む程度だよッ、めっちゃくちゃ巧いじゃねーか!」

いちばんメジャーなナインボールで勝負をしたが、まさに手も足も出ない、状態だった。3の球で縢がミスをしてからは宜野座の独壇場。以降縢がキューで球を突くことはなかった。

「意外、ですね」
「ホントよねー、宜野座監視官にこんな特技があったとは思わなかったわ」

口々にそうはやし立てるギャラリーの中で、いちばん得意気な顔をしていたのは、宜野座当人でなく、なぜか狡噛だった。

「縢、お前狙い撃ち系でギノに勝てると思うなよ?」
「なんでコウちゃんがドヤ顔してんの。あーもー、腹減ってしょうがねーや」

腹が立つと腹が減るのだ、と縢はキューを狡噛に押しつけて早々に逃げ出す。恋人の評価がガラリと変わる瞬間が、狡噛には嬉しくて楽しくてしょうがないらしい。

「ずいぶん楽しそうにやってたな、ギノ」
「久しぶりだったからな。今では本物の台があるところになんて行かない」
「ハハ、いつも俺が連れ回してるだけだったもんな、あの頃は。……久々に勝負するか?」

連れ出して連れ回して、彼が困った顔をするのを見るのがあの頃はとても楽しかった。いつしかそれが恋だと気づいて、ずっと近くで見てきたのだ。

「いいが、何を賭ける?」
「うーんそうだな……」

そんな二人のやりとりを、皿に盛りつけたパスタを頬張りながら眺めていた常守が口にする。狡噛さんのあんな楽しそうな顔初めて見た、と。
あーそりゃねえと笑う唐之杜と、相手が相手だからでしょと六合塚。あれ隠す気もないよねと縢。俺としちゃあ複雑なんだがなと征陸。何がなんだか分からないまま、スープを勧められて飛びつく常守。

「ギノはどうする?」
「……じゃあ、メシでも奢れ。公安局のでも、……外のでもいいから」

他のメンバーに聞こえないように、宜野座はこそりと呟く。それは暗に外でのデートをほのめかしていて、それに気づかない狡噛ではない。珍しい宜野座からの誘いに、これは負けるべきかと考える。
が、手加減をしたら気づかれるのも分かっていた。

「だったら俺は――」

少し思案して狡噛が宜野座の耳元で囁く。カッと頬を染めた宜野座の腰を抱き、誰にも気づかれないようにその頬を口唇でかすめ取る。
狡噛の囁いた言葉は宜野座を盛大に動揺させ、手元を狂わせるには充分だっただろう。


今夜から明日一日お前を好きにする権利、なんて。


さてどちらが勝ったかは、想像にお任せしよう。