予定調和

2012/11/23


「ふっ……う、あ、あッ……」

ぎりぎりまで引き抜かれ、その心許なさに宜野座伸元は思わず声を上げた。
だが自分の口唇が放ったものとは認めるわけにいかず、残る理性で突いて出てくる声を噛み殺す。

「う、……ぅう……っ」

眼前の冷たい壁とつながれた熱い部分のギャップに苛まれ、宜野座は壁に爪を立てた。
そのタイミングを見計らったかのように、背後の男は素のままの太股を撫で上げる。びくりと宜野座の肩が震え、上がってきた手のひらに尻を掴まれ歯を食いしばった。指先が、そう付いていない肉に食い込むのが分かる。またどれだけの衝撃に耐えなければいけないのか。

「く……ぁッ、あ……!」

そうしておいてわざとゆっくりと入り込んでくるのは、その形を覚えさせでもしたいのかと、宜野座は息を止める。慣れることのない圧迫感には、そうでもしていないと口から内臓がすべて吐き出されそうな錯覚を起こすからだ。
それでも背後の男は体内への進入を止めず、壁に立てた宜野座の爪を白くさせた。

「う、うぅ……う」

尻を覆う白いシャツと、黒いジャケット。上半身の乱れのなさとは裏腹に、さらけ出された太股と、足腰が揺れるたびにカチャカチャと音を立てるベルトのバックル。そんなアンバランスさが、今、宜野座伸元を飾るすべて。

「――宜野。声出せ」

噛み殺された声が気に入らないのか、男は宜野座の背に自分の胸を乗せ、耳元で呟く。常にはない息づかいが、宜野座を苛立たせた。

「だ、れが……っ! お前の性欲処理につきあってやっているだけ、ありがたいと思え!」

沸き上がってくる怒りに耐えきれず、宜野座は壁に拳を叩きつける。背後の身勝手な男――狡噛慎也をきつく睨みつけながら。



二年ほど前から、宜野座は狡噛にこの体を明け渡している。抱かせろと言ってきた時は、頭がおかしくなったのかと思ったものだ。
バーチャルじゃあもうイけねえと無理矢理に組み敷いてきた男を、軽蔑と憐れみの目で見返してやったら、彼は笑っていたように思う。
公安局お抱えの執行官といえど潜在犯には変わりなくて、外界を自由に歩けるものではない。彼ら執行官に許されているのは、所属課のフロアと宿舎のみ。もちろんセキュリティは万全で、外の者を連れ込むことなどできやしない。そもそも、潜在犯と知っていてなお色恋沙汰にのめりこんでくれる一般人などどれだけいると言うのか。
自然と溜まっていく欲望は、専用のセラピーを受けるにせよ自分でどうにかするにせよ、限度というものがある。同じ潜在犯を相手にするか、バーチャルでセックスをするくらいしかなかった。
だが狡噛慎也が選んだ手段は、監視官であった当時の相棒・宜野座伸元を犯す――というもの。
欲望やストレスはサイコパスの色相を濁らせ、すでに超えている一般基準値をさらに高めてしまうことになるだろう。



「俺がなんのためにこんな……屈辱に甘んじてやってると思ってるんだ!」

宜野座は、体を起こして背を離れた元相棒を顔だけで振り向く。薄暗い室内では相手の表情までは見て取れず、宜野座にはそれが好都合だった。
情欲にまみれた元相棒の顔など見たくもない。そしてまた、男相手に体を明け渡す自分も、見られたくない。

「性欲処理かよ」
「そうじゃなきゃなんだって言うんだ!? お前は俺が飼ってるんだ。お前がもし不祥事でも起こしてみろッ、すべてが俺の責任なんだぞ!」

おかしそうに、どこか嘲りさえ含めて笑った狡噛に向かって、宜野座は不満を隠すこともなくぶつけた。
刑事課の人材不足は過ぎるほどに深刻である。たかが性欲が発散できないくらいで万が一のことでもあったら、その先には闇しかない。

「分かったらさっさとすませろ狡噛っ……いつまでもお前の相手をしているほど暇じゃない!」

監視官という仕事がどれほど激務であるか、かつてその立場にいた狡噛なら分かっているはずだ。こんな、何の意味もなさない行為に耽っている余裕が、どこにあるというのか。

「宜野……いつもそんなこと考えて俺に抱かれてたのか?」
「うあッ……あ、あ……!」

狡噛が背に乗るのと同じ強さで腰を押し進めてくる。乱れないままのジャケットがシシュと衣擦れの音を立てて耳を襲った。

「狡、噛……っ」
「後ろだけでイけるヤツが、今さら何を言ってる」

ほら、と腰を打ち付けられて、高く声を上げる。露出部分が少ないこんな行為では、肌を合わせるという意識がないが、それでも下肢が合わさる音が、宜野座には不快でしょうがない。壁についた手で耳を塞ぐべきか、それとも、どうしても漏れてくる声を抑えるために口を覆うべきか。

「ふぅっ、う、うッ……んん……――!」

宜野座はやはり、口を押さえた。耳を塞いでも、体が音を感じてしまう。それならば、少しでも狡噛の思い通りにならない方を選ぶまでだ。そう考えてのことだったのに、それさえも狡噛に阻まれる。

「声を出せと言ったはずだ」
「痛……っ」

腕が背の方にひねられる。片方だけでは飽きたらず、狡噛は宜野座の両腕を彼の背中でまとめ、自身のタイで縛り上げてしまった。口を押さえるどころか自分の体を支えるものがなくなって、ふざけるなと声を荒らげる。

「だったら、こっち向いて俺を支えにしがみつくか。どっちがいいんだ、宜野」
「どちらも嫌に決まっているだろう! 誰がお前なんか……ッ」

支えになるはずがない――と、宜野座は声に出さずに思う。ほんのかけらだったとしても、お互いの間にあった信頼を最初に裏切ったのはお前の方じゃないかと、白くなるほど口唇を噛んだ。

――――『そちら側』にいるお前になんか、しがみついてたまるかッ……!!
情欲に惑わされた熱なんか必要ない。熱に浮かされた言葉なんか、もっと必要ない。
監視官と執行官――飼い主と猟犬。
それ以上でも、それ以下でもないのだ。

「性欲処理か……」

静かにそう呟いて腰を抱え込む狡噛の手のひらの熱さに、宜野座は心だけが冷えて行くのを感じていた。

「……狡噛、早く済ませてくれ」

頼む、という言葉は、音にはならなかった。したくもなかった。
それを知っていてかそうではないのか、狡噛は抱えた腰を乱暴に引き寄せる。奥まで突き刺しておいて。見放すかのように引き抜いた。衝撃に声を上げる暇もなく、体の向きを変えさせられた。

「狡噛っ!?」

今まで眼前に壁があったのに、今では背にしている。それと入れ替わって、狡噛慎也が視界を支配していた。お互い表情の柔らかい方ではないが、目の前にいる男の表情は険しく、体の熱さとは裏腹に冷たい視線で射抜いてくる。

「お前だって、俺で性欲処理してるだろう」
「なっ……!」

そう言って指した狡噛の指先を追った宜野座の目に、自分の姿が映る。スラックスと下着を膝までずり下ろされて太股を晒している自分の姿が。
シャツの裾を盛り上げるのは立ち上がった自身の性器で、宜野座は無駄なこととは知りつつ、己の浅ましい姿から目を逸らす。
しかし、それに追い打ちをかけるように狡噛の手が伸びた。引き抜いた足を抱え込み、立ち上がったそれを強調するかのように宜野座の腰を持ち上げる。

「こ、狡噛、やめろ……放――」

放せ、と抗議したがった口唇が、強引すぎるキスでふさがれる。すぐに入り込んでくる舌先に絡めとられて、逃げ場などどこにもなくなる。眼鏡のフレームが狡噛の頬に触れて僅かにズレるが、背中で拘束されたままの腕ではどうしようもない。

「……こう、が……」

狡噛のキスはあまり好きじゃない。では他の何か好きなのかと問われるとノーと返すしかないが、彼のキスは熱すぎておぼれそうになる。ねとりと舐られる舌が快楽を見つけて背筋を震わせる頃、足を抱え開かれたそこを、突き上げるようにつながれた。

「あぁッ……あう、あ……! 狡噛、狡、噛ッ……」

もう口を覆うこともできない。しがみついて肩を噛むこともできない。壁に押しつけてくる狡噛の力と、頼りなくつま先立つ片足の力でしか自身をささえていられない。
突き上げ、引き下ろす狡噛の律動に合わせて、抑えたつもりの声が漏れる。上向いた顎に面白そうに歯を立てられたが、そんなことを気にする余裕が、宜野座にはもう残っていなかった。

「うぅ、く、ぅ……っふ、ア……いやだ、……っ狡噛……!」
「……ッ……宜野…」

喉元に留まる狡噛の荒い息づかい。ときおりそこを舐めて通り過ぎる舌の熱さと、吸われるわずかな痛み。押しつけられる肩の痛みと下腹部の熱さ。何度も何度も狡噛と呼ぶ自分の声と吐き出す息がやけに耳について、宜野座は背中で拳を握りしめた。

「狡……ッ――――」

息を呑んで、止めて、またイかされたことを宜野座は自覚する。それに数瞬遅れて狡噛が体内に吐き出した熱いものを感じて体が震えた。いつも、いちばんふざけるなと言いたくなるのはこんな瞬間。だが倦怠感でそんな気力はなく、結局は狡噛にされるがままになってしまう。

「これっきりにしてもらいたいものだな、狡噛」

後始末と身支度を終えて、眼鏡の位置を整えながら宜野座はいつもこう口にする。
「――さあ、どうだろうな」

そして訪れる、予定調和。
数瞬の視線の交錯ののち、宜野座は何もなかったように狡噛の部屋をあとにするのだ。痛む体をおしながら歩く途中、眺め下ろした手のひらが、ひどく汚れているように思えて強く強く握りしめた。

『こちら側』に引き留めることのできなかった手のひらだ。


「…………忌々しい……ッ」
 


絞り出すような声を吐いて傍の壁に叩きつけるのももう――何度目だっただろうか。