今でも

2012/12/13



宜野座はドミネーターを下ろして、ふうーと息を吐いた。その後を追うように、どさりと人間の倒れる音がする。
宜野座は息を吐いた勢いで前に傾いた体を起こし、辺りを見渡した。視界に入る場所に、立っている者はいない。

「これで全部か?」
「気配を探る限りは」

倒れた潜在犯をまたぎながら通路から顔を出した六合塚に確認して、返ってきた言葉にそうかと短く息を吐く。
再び周りに視線を巡らせ、眉を寄せた。
今回の出動を甘く見ていたような気がする、と口唇を引き結ぶ。こんなに潜在犯がゴロゴロいるとは思っていなかったのだ。
シビュラシステムからの情報では、数名の潜在犯が街頭のスキャナを壊して回っているというものだったのに、今この場にいるパラライザーで撃たれ横たわる潜在犯たちは、とても数名といっていいい数字ではない。

「これも一種のサイコハザードなのか」
「つられたってことですか? ……少なくとも私は、こんなもの壊したいとは思いませんが」

見るも無惨に破壊されたスキャナは、一見それとは分からないように人工樹に見立ててあったりガードレールに組み込まれていたりする。確かに以前はいかにもスキャナですと言いたげな形をしていたのだが、それをわざと避け街を歩く高係数の者がいたことから徐々に変えられつつあった。
だがこの破壊者たちは、目ざとく発見している。何かスキャナを探知するシステムでもあるのだろうか、と宜野座は眉を寄せた。

シビュラシステムを快く思わない者がいることは知っていた。システムが導入されてまだ三十年経つか経たないかだ。組み込まれる前を知っている者は戸惑うだろうし、昔はこうだったと聞かされシビュラに不審を抱く者、機械に支配されるとは何事だと反発する者がどうしても生まれてくるのは以前から取りざたされている。
シビュラシステムを拒む者はその恩恵から排除され、結果浮浪の者となっていることも、宜野座は知っている。

そんな輩を愚かだと思うくらいにはシビュラを正しいとは思っていた――いや、正しくないのであれば、これまでの自分の生が無意味なものになってしまう。
潜在犯は駆逐されるべきだと、心から思っているのに。

「狡噛から、連絡来ませんね」

ぽつりと六合塚が呟いた名前に息を呑んだ。
彼女が呟いた名を持つ男も、彼女自身も潜在犯だ。ドミネーターを向けるほど凶悪な存在だとは思っていないが、シビュラが殺人対象と……監視官が役立たずと判断してしまえばとたんに行く道が分かれる、そのような存在だ。

「……ああ」

それでも狡噛慎也をただそれだけで片づけてしまえないのは、未練と後悔。
かつて互いを相棒と呼び合った仲だ、それも無理はないと、周りは言う。
しかし宜野座自身は、それでいいはずがないと思っていた。
潜在犯を取り締まる側の監視官と、本来取り締まられる側の潜在犯である執行官とは、一線を置いておきたい。

自分はこんなところで立ち止まるわけにはいかない。ここで死ぬわけにはいかない。まだやるべきことがる。

狡噛のように潜在犯に墜ちるわけにはいかないんだと、狡噛と同じように行き着く先だけを見据えていた。

「こちらシェパード1。ハウンド3、応答しろ」

以前監視官だった優秀さを考慮して、二手に分かれなければいけない時には、やむを得ず狡噛と別行動になる時がある。命令を下しているわけではなく、周りも含めた暗黙の了解になりつつあることには、当人たちもきっと気がついていない。
宜野座は現在の状況を把握しようと、狡噛に呼びかけた。
こんな瞬間は、あまり好きではない。

「……ハウンド3。――狡噛、そっちはどうなってる」

返ってこない声に、宜野座の眉間に深く皺が刻み込まれる。
こちら側に執行対象が多くいたことから、メインエリアはこちらだと思っていた。
まさか。

『こちらハウンド3。……援軍、求む』

まさか狡噛が手こずるほどの執行対象が、まだいたなんて。
珍しくひどく疲れたような声音に目を見張り、チッと舌を打つ。判断を誤ったのは宜野座の落ち度だ。

「狡噛、いったん戻れ! 体勢を立て直すッ」
『抜けられるような状況じゃねえ、位置トレースしろ!』
「コウ……っ」

通信が一方的に途切れて、背筋を悪寒が這い上がった。
あまりにもあの時と似過ぎていて、体が凍りつく。
戻れと言ったのに聞きもせず先走った結果の未来が今だ。
宜野座は震える口唇を噛んで、ぐっと拳を握りしめる。

「――六合塚、任せる。ドローンにでも処理させろ」

潜在犯たちの様子を確かめていた六合塚を振り向きもせず、宜野座は地面を蹴った。

「監視官!」

その行動に驚愕して振り向いた六合塚の呼びかけにも止まることなく、デバイスでトレースした狡噛の現在地へと駆ける。
あの日と同じ、祈るような思いで。





「……と、何人、いやがる……!」

狡噛は地面に向かって大きく息を吐く。それは奇しくも宜野座の取った行動と同じ仕草で、どちらかの癖が伝染したのだろうかとさえ思えた。
シビュラからの入電があったのち、この一帯は民間人が立ち入れないように封鎖したはずなのに、なぜこんなにも係数の高い潜在犯がウヨウヨいるのか。
ドローンの封鎖を解除するような不正アクセスでもあるのかと思うほど、次から次に沸いて出た。もともとこの界隈に集まっていたのか、逃げ遅れた民間人が引きずられて色相を濁らせただけなのか。

「どっちにしろやっかいなことには変わりねえかっ……」

執行官は潜在犯を取り締まることだけが、唯一許可された社会活動だ。首輪をつけてでも歩き回るわずかの自由を所持しておくためには、この引き金を引かなければならないのだ。
潜在犯に同情はしない。自分も同じだからこそ、哀れんでなどいられないのだ。

立ち止まっているわけにはいかない。ここで死ぬわけにはいかない。まだやるべきことが残っている。
執行官として降格しても、やらなければいけないことがまだ、残っているのだ。

邪魔はされたくない。誰にだってだ。

「うあぁっ!」

押しつぶされたような声にハッと顔を上げる。
視線の少し先、狭そうな通路からひとつの体が飛ぶように舞ったのが視界に入った。パラライザーを撃たれた潜在犯だと、一見して分かる風貌の醜悪さ。

「狡噛!」

それを蹴り飛ばしたらしい張本人が、狡噛の口角を上げさせる。スーツの上にレイドジャケットを重ね着た男は、どれだけ急いで走ってきたのだろう。
何よりも頼もしい援軍だなと開きかけた口唇が、こちらに向けて構えられたドミネーターにひゅっと空気を吸い込んだ。


あの日の光景がフラッシュバックする。
別々に行動していた狡噛と宜野座。戻れと叫んだ焦る声。やがて対峙したあとに、向けられる銃口。


宜野座の右手に握られたドミネーターが、トリガーを引かれたことで見慣れた閃光を放つ。薄暗い空間に光で浮かぶ宜野座の顔が、瞳の端に映り込んだ。


光の弾道を避けてしゃがみ込んだ狡噛の後ろで、鉄の棒を振りかぶった潜在犯が倒れ込む。狡噛が壁になっていたことで、もしかしたらその潜在犯はドミネーターに気づくこともなく意識を失うことになったかもしれない。

「……っぶねえなギノ、俺に当たったらどうすんだ」

狡噛はそれを気の毒そうに見下ろしながらも、立ち上がって宜野座を振り向いた。

「これくらいも避けられんようなら今すぐ死ね。油断している貴様が悪い」

ハ、と見下すように笑う宜野座の顔を、狡噛は呆れながら見つめ返し、

「誰が油断してるってッ?」

大きな三歩で宜野座へと歩み寄り、手首を掴んで勢いよく引き寄せた。それとほぼ同時に引き金を引いたドミネーターは、彼の背後の潜在犯を撃ち倒す。
互いの動作に流されるように、合わせた背中で背後の死角を消し合った。

「あと何人だ、狡噛」
「知らん」
「情報は正確にしておけ」
「シビュラのサーチシステムに文句言えよ、監視官」

簡単に言うなと宜野座は狡噛を背にして呟く。デバイスの位置捕捉機能を強制させるようになるまで、プライバシーだなんだとどれだけモメたと思っているのか。そんなに簡単にシステム権限に関われるくらいなら一係になどいやしない。

「中継にもなるスキャナが壊されているんじゃ、本部からの情報に頼るしかないだろう」
「シビュラに頼ってばかりじゃいけねえって教訓だろ。今回のだって、シビュラのシステムに染まりたくねえ連中の暴走だぜ、ギノ」

先導者がいるかもなと、狡噛は宜野座を背にして呟く。シビュラシステムの是非は、きっと導入前に飽きるほど議論されてきたのだろう。だが万人の理解を得ての導入かと問えばノーと返ってくるはず。

「アタマを押さえねえと、また引きずられる奴が出てくるぞ。どうするギノ、片っ端からいくか?」
「これだけの人数を巻き込むほどだぞ、犯罪係数は異常値を弾き出すはずだ。それを叩けば少なくともサイコハザードはなくなるだろう」

背中越しに、途切れることのない意見のぶつかり合いが起こる。
いつだってそうだった。ふたりは別々の人間で、当然ながら考え方も別々で、信念も価値観も別々で、

「六合塚は?」
「向こうを片づけてる。終わったらくるだろう」
「残ってるスキャナの位置分かるか? 全部壊してえんならそれを辿るはずだ」
「待て、今やってる」

だからこそ、

「了解。ギノ、援護しろ。係数読み込む時のタイムラグがうざってえ」
「おい逆じゃないのか」
「馬鹿言うな、監視官であるお前を前線に出せるか」
「余計な世話だ、犬が」

別々の道を歩きながらも背中を合わせることができる。
ふっと勢いよく息を吐き出した狡噛を背中で感じ、宜野座はミッション中に笑うとはいい度胸だと責めてみる。

「狡噛」
「やっぱりな、お前に背中預けてる時がいちばん面白ぇよ――ギノ」

ドミネーターを構えつつデバイスのモニターを睨んでいた顔がぴくりと上がる。面白いというのはいったいどういう意味だと訊ねようとした時、デバイスが進むべき道を弾き出した。

「狡噛、……そっち側だ」

進路は狡噛の正面。この位置関係では、初動からして援護に回るのは自分かと宜野座は眉を寄せる。
それを知ってか知らずか、狡噛は楽しそうに口角を上げた。

「後ろ、任せたぜ」

運も実力の内だと言わんばかりに足を踏み出す。宜野座も周囲を警戒しながら、この騒ぎの張本人を捜索するべくドミネーターを構え直した。



きっとお互い気づいていない。
触れ合った背中に、互いを相棒と呼んだあの頃の信頼が今でも生きていることに。
当たり前すぎて、きっとお互い気づく努力もしないのだ。