いつか

2014/06/30



ベッドに寝ころんで、天井を見上げた。代わり映えのないその視界は、もう飽きることにも慣れていた。

「どうしたんですか?」

昏田の灰色の思考を揺さぶってくる声がある。寝室……とは言ってもドアを付けていないせいで、リビングとの境はあまり実感がない。
境界となるその柱をくぐり抜けて入ってきた男は、いつもながら涼しい顔をしていて、それが昏田の癇に障る。

「……別に。どうもしてないですよ」

ふいと顔ごと視線を背ける昏田に、男――和久はさして興味もなさそうにそうですかと呟いた。
白いローブに身を包んだその長身の男は、部屋のほの暗い光で素肌を飾っている。シャワーを浴びた後だからなのかしっとりと濡れて見える肌は、まだ昏田の視界に焼き付いている。

「今日はお手柄でしたね、昏田くん」

和久はそう呟きながら、昏田の寝転ぶベッドの縁に腰をかけた。和久の体重の分だけへこみ、ギシと音を立てる。
顔ごと視線を背けた昏田の髪を、和久の手のひらがそっと撫でた。

「子供扱いはやめてくれないかな、和久さん」

その手をぱしりと払い、昏田は体を起こす。その分距離が近づいてしまった和久からは、ほのかに自身が使うボディソープと同じにおいがした。
確かに今日は昏田の手柄で事件が解決した。犯人の潜伏しているエリアを当て、ドミネーターで無事に執行完了したのだ。
執行官はそれが唯一許された社会活動であり、別段手柄ということもない。なにより、手柄を立てて出世できる訳でもないのに、この男はいつもいつもこうして髪を撫でてくる。

「子供扱い? 君の口唇は面白いことを言いますね」

綺麗に手入れされた指先が、昏田の顎に触れ、引き結んだ口唇をなぞり、一息置いたあとに口唇で覆ってきた。
押しつけるだけのそれは、キスと呼ぶにはあまりにも色気がなくて昏田の眉が寄せられる。

「和久さんのキスって、なんでこんなに義務的なの?」

和久の肩を押しやって昏田はそう呟いた。なだめるようなそれが子供扱いをしているように感じられるというのに、気づかないのだろうか。

「ご褒美ですよ。今日は頑張ってくれたんですからね。もちろんキスだけで終わらせるつもりはないんですが……僕は君を子供扱いしてますか?」

眼鏡の奥で和久の目がおかしそうに細められる。きっと、子供を相手にこんなことはしないとでも言いたいのだろう。

「あんたのその余裕が気に食わないって言ってるの、分かんない?」

ローブの襟をつかみ、ぐいと引き寄せる。それは甘い雰囲気のものではなかったが、吐息をすぐ傍で感じられる距離は互いの欲望をぶつけるきっかけにしか過ぎなかった。
いや、もしかしたら一方的な欲望かもしれない。

「どうしたんです、ご機嫌斜めですね昏田くん。抱く気がないなら僕は帰りますけど……」

それとも、と昏田は眼鏡を外してさらに昏田へと身を寄せる。口唇が触れ合う寸前の位置で、和久は言葉を奏でた。

「今日は僕に抱いてほしいんですか?」

腕で喉を押し、そのままベッドへと転がしてしまえば、昏田の視界には天井と和久のほんの少し乱れた髪が広がる。
どちらかを選べと、声のない意思が昏田を見下ろす。
和久には、抱かれたこともあるし和久を抱いたこともある。どちらがどれだけ多いかは、面倒なので数える気さえない。

――――俺はあんたと繋がっていたいんだ。

だから別にどちらでもかまわない、と昏田は和久を見上げながら思う。どちらでもいいというのは、和久も同じようだった。
しかしその理由は天と地ほども違う、のだろう。

「あんたを抱くよ、和久さん」

――――あんたは俺を手懐けるために俺と寝てる。自分の思い通りに俺が動くように、事件が解決して……世界が正しく回るように、俺の欲望をその体だけで受けてるだけだ。

昏田はローブの合わせから手を差し入れ、和久の素肌に触れていく。手のひらに吸いついてくる感触は初めてこの男と寝た時から変わらない。

「……っ……はぁ」
「和久さん声出してよ。気持ちいいくせにそうやって声抑えんの、色相に良くないんじゃないの?」

体の上に乗られながらも、昏田は和久を乱れさせたがって乱暴に肌を弄る。こんな責めじゃ理性なんて吹き飛ばないことを知っていても、和久に乱れてほしい。
乱れて、求めてほしい。

「ねえ和久さん、あんたも相当したたかだよね。潜在犯とセックスなんてしたら、サイコパスに悪影響だと思うのにさ……あんたのって綺麗なんでしょ?」

ローブに隠れた太股を撫でつつ、自分の腰をそこに割り込ませていく。高ぶる雄は、衣服越しでも和久のそこに刺激を与えるだろう。

「君とのセックスが悪影響、……ですか。本当に君は……っ、面白いことを言うんですよね。そんなところは、気に入って、ますが……っ」

和久の呼吸が常にないものになる。さすがに中枢をしごき上げられれば仕方ない。肩から滑り落ち腕に留まるローブが余計に卑猥で、昏田はごくりと唾を飲んだ。

「君は僕の大事な部下、ですからっ……いくら潜在犯とはいえ、望みは、叶えて……ぁう……っ」
「へえ、部下ってだけであんた男と寝るんだ、最悪」

和久を握り込み締め上げて、昏田は灰色の思考をぶつける。和久の肌に浮かぶ汗の粒を、すべて舐め取ってあの喉元に食らいついて噛み殺してしまいたい。
そんな風に思う昏田は、間違いなく潜在犯だ。
ふふっと、笑う声が空気を震わせる。和久の、吐息のような笑い声だった。

「その最悪な僕にこんなに興奮している君は、本当に愚かしいですね」

ぐ、と尻を押しつけられる。明らかな扇情に昏田はカッと頬を染め、興醒めですよと降りようとした和久の腕を強く引き、ベッドに押しつけた。

「なんであんたなんだ、あんたじゃなきゃ、こんなに苦しくないのに……!」

腹の底から絞り出すような声でそう吐き、昏田は和久の口唇を塞ぐ。今は、罵声も嘲笑も聞きたくない。喉を押さえつけ、口唇の中に舌を滑り込ませる。
抵抗もなにもないのは、それこそ子供扱いされているのだろうと、体をつなげているのにまるでひとりでいるような錯覚に陥った。

「……っ」

悔しい。悔しくて悲しい。
何度抱いても、何度抱かれても、手に入れた感覚など少しもない。どれだけ体を揺さぶってもどれほど奥を叩き付けても、和久という男と繋がっている感覚がない。
和久との間にあるのは、デバイスでつながれた主従関係だけだ。
時々、こんな首輪噛みちぎって逃げ出したくなる。その時この男は、追ってきてくれるだろうか。追って、ドミネーターを向けてくれるだろうか。

「こんなの、しなきゃ良かった……!」

和久と繋がったまま、強く強く、加減しないで抱きしめる。猟犬にならなければ和久の傍にはいられなかったが、できれば首輪なしでこの男と繋がっていたい。

「……僕の付けた首輪がお気に召さないのでしたら、いつでも外してあげますよ、ナオ」

昏田は目を見張る。普段は絶対にそんな風に呼ばないくせに、こんな時だけ名前で呼んでくるこの男の狡さを知ってしまった。
だけどそれさえも欲しいのだ。恋かと聞かれたら違うと答えそうだが、昏田の灰色の世界にはもうこの男が組み込まれている。

「俺はあんたの猟犬だ……あんたの好きにしたらいいよ」

煽るためでなく、心の底からの本音を呟いた。手綱は和久が握っている。この男の為なら死んでもいいとは絶対に思わないが、死ぬならこの男の手にかかって死にたいと思う。

「あんたの罠にしかかからないから、いつか」

昏田はそこで言葉を止める。いつかーーなにを続けようとしたのかもう思い出せない。何かを望んでいい立場ではないのにと、和久の体を解放する。

ひとときの爛れた逢瀬を無理矢理終わらせて、昏田はブランケットで頭まですっぽり覆った。
今日のセックスは面白味がなかったなと思いつつ、和久はいつも通りスーツに着替え直し、部屋を出て行く。

「昏田くん、僕もひとつだけお願いしてもいいですか」

寸前、振り向かずに投げられた声に昏田はもそりとブランケットから顔を出す。視線の先には和久の背中しかなかったけれど、冷たさは感じられなかった。


「いつか、そんな風に泣かずに僕を抱けるようになってください。君は僕を抱いても僕に抱かれても、ずっと泣いている。君には快楽におぼれた顔の方が似合うと思いますよ」


おやすみなさいと付け加えて、和久は今度こそ部屋から出ていった。

「……なにあれ、口説かれてんのかと思うじゃん……」

昏田は熱い頬を覆いながら呟いた。
たった今聞いた和久の声が耳の中に残る。意図がどこにあろうと、和久が求めるものに応えないわけにはいかない。
いつかは、わりとすぐにやってくるのだろう。