もうひとつの約束

2013/01/25
14話バレあり



ドミネーターは、犯人の伊藤に向けたつもりだった。
いや、銃口は間違いなくその男に向けられていた。
それなのに、聞こえてくる志向性音声は、


『犯罪係数87、公安局刑事課登録監視官』


そんな音を吐き出した。
狡噛は不審に思う。宜野座伸元はつい数瞬前に伊藤に突き飛ばされたはずで、射程距離内には入っていないというのに、なぜ照準が彼に合ったような誘導音声なのか。
考えている内に、伊藤は起き上がりものすごいスピードで逃げ出していく。止まりかけていた思考が、それで動き出した。

「狡噛、逃がすな!」

伊藤に突き飛ばされた宜野座が、犯人が逃げると知ってすぐさま体勢を整え指示を出してくる。狡噛も、普段であれば言われる前に行動していただろう。

「ギノ、お前の犯罪係数今いくつだ」
「なっ……」

先ほど伊藤に向けた銃口を、今度は宜野座に向ける。狡噛にだけ聞こえる音声は、伊藤に向けたはずの時と同じ係数と対象者の肩書きを放った。


『犯罪係87、公安局登録監視官。警告、執行官による――』


なぜ対象が違うのに音声だけ同じなのだ。
いや、……いや、そんなことよりも! と、狡噛の呼吸が一秒止まった。

「どういうつもりだ狡噛!」

だが、長くはそうしていられない。執行官に銃口を向けられるという状況を把握しきれずに目を見開いていた宜野座が、何をされているのかを理解しドミネーターを叩き払った。

「狡噛、執行官が監視官にドミネーターを向けるとはどういうことだ!? 容疑者は向こう――」
「ギノ、どういうことだは俺の台詞だ! なんで……ッ」

なんで。
そのあとに言いかけた言葉を飲み込み、狡噛は体を翻す。
知りたかった謎と共に、もっと早く知っておくべきだった事実が突きつけられる。
だが今は、犯人の確保が何よりも優先される。
それが、狡噛が、そして宜野座が選んだ刑事という職務。

「おい狡噛!」

責めるような口調に困惑が混じっている。いったいどうして、と。
問いただしてやりたいのはお互い様だ、狡噛は宜野座の声も聴かない振りをして廊下を抜け階段を駆け降りた。




「志恩、この近くに人気のない区画はあるか!」

デバイスを通して、分析室にいる唐之杜に調査を頼む。
監視官にドミネーターを向けてまで知った事実は、あの奇妙なヘルメットが他人のサイコパスをコピーしているという、分かってしまえば簡単なカラクリだった。

周りに誰か一人でも色相がクリアな者がいれば、それをコピーして自分の色相にみせかけることで、ヘルメットの中で何を考えていようが構わないのだ。
薬局を襲った時も、繁華街のど真ん中で被害者を殺害した時も、周りには多数のクリアカラー保持者がいただろう。さらに、現金輸送車を襲った別動隊も同じはずだ。

だが、逆に考えれば、周りに誰もいなければそのカラクリはおもちゃにさえならない。スキャンができない異常として調査対象になるか、狡噛や征陸のように犯罪係数の高い者をコピーしてしまいドミネーターの餌食になるだけだ。
あまり気持ちのよいものではないなとは思うが、確保ができるならば引き金を引く指に迷いはない。
狡噛は唐之杜と征陸に状況と作戦を伝え終え、

「……それと、ギノ! お前は伊藤に近づくな! さっきの二の舞になる!」

あとを追ってきているであろう宜野座に、言葉を投げた。それを理解してか別の情動でか、宜野座からは詰まったようなああという返事が聞こえた。




資材倉庫に伊藤を追いつめ、征陸と共にドミネーターを向けた。

『犯罪係数282、公安局刑事課登録執行官、狡噛慎也。任意執行対象です。セーフティを解除します』

伊藤がコピーしてしまったのは狡噛の方らしい。自分の名前を聞かされトリガーに手をかけるというのも妙な気分である。

「そりゃどーも」

狡噛はそれでも、迷うことなく引き金を引いた。
征陸のドミネーターも引き金が引かれ、伊藤は二発のパラライザーを撃ち込まれ昏倒した。
狡噛は倒れた男のヘルメットを外し、確かに伊藤純銘であることを確認する。他人のサイコパスをコピーするヘルメットがなくなった今、彼の犯罪係数はいかほどを指すだろう。

「282って、お前……」

手錠を取り出した辺りで、呆れとあきらめを混じらせた征陸が呟いた。みなまでいわずとも、と狡噛は肩を竦める。

「つい、ぶち殺してやるとか思っちまってな」
「自分のサイコパスを撃たれた気分はどうだ?」
「ハハ、コイツがエリミネーターに変形しなくてよかったよ」

茶化してはいるが、本音でもあった。いくら任意執行対象とはいえ、エリミネーターが発動するほどの潜在犯を抱えていていいはずがない。
無駄だろうがストレスケアしとかないとなと、そこまで思って狡噛はハッとドアの方を振り向いた。
視線の先には、茫然と立ち尽くす宜野座伸元の姿。
だが狡噛がザッと砂利の音を立てて体を翻した瞬間に、逃げるように宜野座も体を翻した。

「とっつぁん、そいつ頼む!」
「え、あ、おいコウ!」

呼び止める征陸の声を聞きもせず、狡噛は資材倉庫をあとにする。どうしても今、宜野座に確認しなければいけないことがあった。

「ギノ!」

現場を放って走り去るなんてらしくない行動に出るということは、追われる心当たりがあるのだろう。追われ、捕らえられ、その先にどんな言葉が待っているか。
狡噛は宜野座の手首を掴んで引き留める。そのせいで、宜野座の体がガクリと揺れた。

「どういうことだ、ギノ」
「に……282とは、またえらく上昇したものだな狡噛。そこまで堕ちたのか」

それでも宜野座は抵抗のためか狡噛の方を向こうとしない。話を逸らすように、先ほど耳にした狡噛の犯罪係数を口に出してみて、うまく笑えない口許に宜野座の声が震えた。

「俺のことはどうでもいい、なんだお前、オーバー80って! なんでそんなになるまで放っておいた!?」

ドミネーターを向けた時の宜野座の犯罪係数は、今まで行動を共にしてきた中でいちばん高い。
それだけならまだ、バイオリズムのせいもあるのだろうと片付けることもできた。
だが、相手が宜野座伸元であるということと、その数値を前には見逃すことなどできやしない。

「お、お前には関係ないだろう!」
「ないわけあるか! 監視官だろうお前は!」

自分の色相が濁るのを、犯罪係数が上がるのを誰よりも恐れ日々ケアしていた宜野座が、どうしてオーバー80という数値をたたき出すのか。
どうして自分が、それに気付けなかったのか。
自分の色相に巻き込んだのなら、もっと早くに気がつけたはずだ。
巻き込んでしまわないように、引き込まれないように、お互い一線を置いていたというのに、どうして。


「今すぐセラピーを受けろギノ、手遅れになるぞ!」


叫んだ狡噛の声に、宜野座が勢いよく振り向く。眼を見開いて、口唇を噛んだ歯は次第にカタカタと震えだした。
泣き出しそうな彼の目に気づいていて、狡噛はあえてその目をまっすぐに見返した。


「お……前、が……言うのか……! あの時俺の言葉を聞きもしなかった、お前が言うのか!!」


「――ああ、そうだ」


狡噛は眉を寄せる。
聞いてやる余裕などなかった。その先にどんな未来があるのか予測はできたのに、セラピーを受けろと懇願する彼を振り切ったのは確かに狡噛自身。
自分はそうしておいて、彼にはセラピーを受けろと言い放つ身勝手さ。

「ギノ、俺を詰ろうが憎もうが好きにすりゃあいい。だが、頼むから有効なセラピーを受けてくれ」

約束をしていた。
あの、愉快な男と。


お前らはこっち側に来んなよと笑って言っていたあの愉快なクソ野郎。


【自分】と【相棒】の身を案じてくれた、優しい潜在犯。
ひとつは守れなかった。だから、もうひとつだけは。

「ギノ、このままお前までこっちに来たら、二人して佐々山に顔向けできなくなるだろ」
「そんなことは分かってる!」

力一杯に腕を振りほどいてきた宜野座に、狡噛は眼を瞠った。
宜野座もまた、あの男との約束を守りたがっていたのだと気がついて。

「そんなことは、充分に分かってる! だけどどうしたらいいんだ!?」

爪の痕がつきそうなほど強く握った拳を太股の横で震わせながら、宜野座は八つ当たりにも近い衝動で叫んだ。

「セラピーならとっくにやってる、カウンセリングにも通ってる! 征陸にだって言いたいことを言ってやった! あとは何をすればいい!?」

それでもクリアにならない色相と、下がらない犯罪係数。
セラピーを受けて改善するなら、どれだけだって苦痛にはならないのに。

まずい、と狡噛は感じた。
宜野座のサイコパスは、今までにないくらい悪化している。計測しなくても、見て分かった。
どうしてこんなになるまで彼を放っておけたのか理解ができない。
そんなにまで自分は、槙島のことで頭がいっぱいだったのだろうか。

「これ以上、何をしたらいいんだっ……」

今さら遅すぎる、と思いつつも狡噛は宜野座へと手を伸ばし、

「教えろ狡噛、どうしたらあの頃みたいに……ッ」

途中、吐かれた言葉に一瞬手を引っ込めた。

お互い無意識だっただろう。
言うつもりのなかった言葉も、流れた涙に思わず息を呑んだのも。

「ギノ」

不意に流れた涙を見られたくない宜野座を、涙を見たくない狡噛の右腕が素早く抱き寄せる。俯いた顔はちょうど肩に当たり、ふたりの願いはそんな形で叶えられる。

「戻れやしねえよ。俺はこんなだし、佐々山はいねえし、お前の髪も伸びたしな」
「ああ……俺は眼鏡を変えたし、佐々山はいないし、お前は煙草を吸うようになったしな」

忘れてくれと小さく呟く宜野座の右手を、空いた左手で絡め取る。


この絡めた指先から、彼のサイコパスを吸い上げることができたらいい。

そんな風に思ったことを、宜野座が気づいているかは分からない。
だが、縋るように絡め返してきた冷えた指先に体が震えた。


宜野座の震える体に引きずられて震える自身の体に気がついて、狡噛は抱きしめる右腕に強く力を込めた。


「ギノ、お前だけはこっちに来させないからな」


守ってみせる。
この、もうひとつの約束だけは。