別に、理由なんてない

2013/01/08



宜野座伸元は、目の前の光景に眉を寄せざるを得なかった。

「……おい狡噛、どういうことだ?」

隣に座る男に視線は向けてやらず、ただじっと目の前に置かれたグラスを眺め下ろす。

「どうもこうも。見ての通りただのバーだが」

それがどうかしたのかとでも言わんばかりの返答に、そういうことじゃないと宜野座はようやっと顔を上げて狡噛慎也を振り向いた。

「なぜバーで酒を飲む必要があるッ! 手持ちの酒が切れたのなら、征陸にもらうなり新しいのを買ってくるなりすればいいだろう!」

宜野座の目の前には、ショットグラスとライムが置かれていた。ほんの数秒前に同時に置かれたはずなのに、狡噛のグラスはすでに空になっていた。

外出許可を、と告げられて、非番なのにどうしたんだと訊ねた宜野座に、行きたいところがあるといつもの調子で答えた狡噛を連れてこんなところまで来たはいいものの、今の状況がさっぱり掴めない。
なぜホテル最上階の展望バーで隣合って座り、居心地の悪い思いをしているのだ?
「お前が珍しく俺に外出許可なんか求めてくるから、何か事件の捜査でもするのかと思ったんだぞ、狡噛」

監視を任せている常守の方を頼らなかったのは、もしかして以前自分が関わった事件なのか、それとも客観的な意見を求めるためかと、溜めた仕事を中断してまで連れ出してやったというのに。

「別に、理由なんてねぇよ」

この言いぐさ。
やっぱり潜在犯の考えていることなど理解できないと、宜野座は恨めしげに狡噛を睨みつけた。

「ここは今時珍しく本物の酒出してんだ。別にお前に無理につき合えなんて言わん、2〜3杯、……いや、6杯くらい飲む間、ただそこでじっとしててくれたらいい」

狡噛はテキーラのショットを景気づけのように飲み干したあと、飴色の飲料を頼んでいた。宜野座にはそれが何という名前の酒なのかも分からないが、グラスの中でそれに浸かる氷は楽しそうにも見えた。

「無理につき合う、だと? ふざけるな狡噛、俺が酒も飲めんと思っているのか」
「あ? あ、おいギノっ」

じっとしていてくらたらいいと言う狡噛に、隣にいるのに蚊帳の外に置かれたみたいで面白くなかった。そんな疎外感とプライドを入り交じらせて、テキーラがこぼれそうなショットグラスを握りしめ、口許へと持っていく。

「う……っ」

狡噛が止める暇もなく一気に流し込まれたそれは宜野座の喉を焼き、目頭を熱くさせた。

「げほっ、げほ、っ……かは、あっつ……」
「ああほら、飲み方も知らねえのに無茶すんなギノ」

あまりの衝撃に、グラスを握ったままカウンターに突っ伏した宜野座の背を、狡噛の大きな手のひらが撫でてくれる。それが心地よくて、宜野座はずっとこうしていようかなどとバカげたことを考えた。一瞬あとにはそんな自分が恥ずかしくて体を起こし、ごまかすように眼鏡を押し上げることになったが。

「いきなりショットはキツいだろ。おとなしくサンライズでも飲んどけよ」

狡噛はそう言って笑い、バーテンに目配せをした。やっぱりどんな酒なのかは分からないが、今飲んだ物よりは美味なのだろうか。

「今飲んだテキーラベースのカクテルだよ。初心者はここらへんからだな」
「なんだと」

初心者という単語に、眉がつり上がる。本物の酒を飲んだことなどこれで二度目だという宜野座は確かに初心者なのだろうが、その物言いには腹が立つ。
自分ばかりが大人ぶって、何様のつもりだと視線だけで振り向いた先に、グラスを傾けて中の液体を口許に流し込む狡噛の姿。飲み込む小さな刺激で喉仏がうごめき、その一瞬に目を奪われた。

「ギノ、どうした?」
「いっ、いや、何でもない!」

あまりに見つめすぎたのか、狡噛がそれに気づいて視線をよこしてくる。宜野座自身、それで狡噛に見惚れていたのだと初めて自覚した。
だがそんなことは認めたくなくて、狡噛が頼んでくれたオレンジ色のカクテルを改めて眺める。

「さっきの……テキー…ラ? が、ベース、だったな」
「そんなにアルコールは強くねえが、本物だからな、気をつけろよ。クセになっても責任は取らん」

責任は取らないと言うくせに煽るような言葉を吐き、狡噛は笑う。
アルコールに依存性があるというのは聞いたことがある。だから今では誰もが、バーチャルで楽しむか害のないメディカル・トリップを好むのだ。本物の酒など、狡噛のような潜在犯が慰めに使うものだ、と、宜野座は思っていた。

「そんな軟弱な精神力ではないつもりだが」
「言うじゃねえか、ギノ」

ひとくち、そのオレンジを含む。そんなにアルコールは強くないと狡噛が言った通り、すっと喉を通っていく感触は心地がいい。きっとこの感触を知ってやめられなくなったら最後なのだろうと、目を瞬いた。

「依存するほど美味いとは思わんが……悪くはない」
「そうか」

今まで感じたことのない味だ。物珍しさで飲み干してしまいそうだが、依存とはいったいどこからなのか。
宜野座は、珍しく柔らかく笑う狡噛をそっと振り向いて眺める。
思えば、こうしてふたりで肩を並べるのは本当に久しぶりではないだろうか。
相棒同士ではなくなって、行動をともにする時間が目に見えて減っている。彼とのこんな距離が落ち着くくらいには、狡噛という男に依存しているのかもしれない。
依存というものは悦楽と痛みが混じったものだと何かで読んだ気がすると、宜野座はふと思い出す。
確かに、もう二度と相棒と呼べない間柄になってしまった痛みと、そんな程良い距離感に悦楽を感じているのかもしれない。

「狡噛、お前の飲んでるそれは何だ?」
「バーボンだよ、お前には無理だ」
「同じものを」

子供のように扱われるのもある種の痛みなのか、と心だけで思って宜野座は狡噛を睨みつけ、バーテンに狡噛のグラスを顎で指してみせ、オーダーする。バーテンは少しためらったようだが、客の要望には答えねばとグラスを用意した。

「……飲めんのかよ、ギノ」
「バカにするな、これくらい平気だ。酒にくらい慣れておかないと、またいつ先日のようなことになるか分からん」
「いや、あんな事態はそうそう起こらねえと思うがな」

先日のようなこと、とは、街頭ホロをクラッキングする輩が捕獲対象だった時、強い酒で火災を起こすのが手っとり早いと実践したが、まあ、失敗した時のことだ。
うまく火を吹ければよかったのだが、狡噛も宜野座も不慮の事故でアルコールを摂取してしまったがために起きた失態。
もうほんの少しでも耐性がついていたら、気を失うなんてことにもならなかったのだろうと、宜野座は自分に言い訳をした。


狡噛の感じているものを、自分も感じてみたい。


狡噛と同じ物を同じ量だけ出され、宜野座はやっと同じ位置にまで登った気がした。実際は墜ちているのだろうが、気持ちの問題だろうか。
潜在犯に墜ちるわけにはいかないが、せめて少しだけでも。

グラスの中で、氷がカラリと音を立てる。
だけど、持ち上げたはずのグラスは、狡噛の手の中へと移ってしまった。

「ギノ、やっぱりお前こっち飲め。ちょっと辛口にしてもらったから」
「なんでだ」

代わりにと狡噛が渡してきたのは、先ほどと同じテキーラ・サンライズ。辛口にしてもらった、というのはせめてもの思いやりなのだろうか。

「お前を酔いつぶさせるわけにはいかねえだろ」
「だから、バカにするなと言って――」
「なあギノ」
「なんだ!」

取り上げられたグラスを取り戻そうと身を乗り出した時、狡噛は手の届かないところにグラスを逃がし、スーツの内ポケットに手を忍ばせた。相変わらず静かな声に苛立ちを覚えたが、

「――部屋、取ってるんだが」

「……なッ……」

指先が内ポケットのカードを持ち上げて見せたのに目を見張って、告げられた言葉に、カアッと耳まで赤く染める。

「外泊許可を申請する」

指先につまみ上げられたそのカードはこのホテルのカードキーだ。狡噛はカウンターにこれ見よがしに置いて見せ、わざわざ宜野座の正面まで滑らせた。

「こ、これが目的か、貴様……」
「半分な。もう半分は、お前の隣で飲んでみたかった」

膝の上に置いた拳に、狡噛の手のひらが重なってくる。カウンターの下で絡み合う指先が熱いのは、決して酒のせいだけではないはずだ。

「ギノ、許可は?」

訊ねておきながら、申請が通らないとは露ほども思っていないのだろうと、宜野座はカウンターに置かれたカードキーをピンと爪で弾いて狡噛のところまで戻す。

「き、許可、する」


もう手遅れだろうけど、赤くなった顔を隠すために背けて、眼鏡のブリッジを上げた。




>>チョコより甘い

お題:リライト様
/もどかしい二人へ5のお題より 「別に、理由なんてない」