内緒話をしよう

2012/12/17



ギノ、と呼ばれて顔を上げた。
視線の先には部下である狡噛慎也が、さも面倒そうに数枚の書類を手に立っている。

「ん」

その書類をずいと差し出してくる仕種は、とても上司に対するものとは思えず、目を細めて睨み上げてやった。
できましたとでも一言付け加えれば可愛げもあるものを、と思わないでもなかったが、狡噛が殊勝であったためしなどないと考え直し、差し出された書類を受け取る。
その書類は、先日起こった事件の顛末をまとめた報告書だった。
出せとせっついていたのは確かだが、わざわざプリントアウトして提出する意味が分からない。
データ形式は苦手だという征陸でさえ、報告書はデータで送信してくるのにだ。
狡噛がそっちの方面に疎いということもない。そんなものは研修生時代から共に行動していた俺はとっくに知っている。
そして、狡噛がわざわざ紙ベースで提出してきた理由は受け取った瞬間に知れた。


クリップで止められた右端に、小さなメモが一緒に挟まっている。
少し右に上がるクセのある走り書き。


『今夜部屋に来れるか?』


たったそれだけ。
だがなにを意味するのかくらい、過ぎるほどによく分かる。


部屋に行くイコールそれはつまり。
夜を共に過ごして朝を共に迎えるという暗黙のルール。


メールでは端末に履歴が残る。
デバイスで話しても通話履歴は残る。
二人一緒に休憩に行くほど仲が良いと見せかけてはいない。


内緒の恋、なんて青くさいことは言えないが、誰にも言えない恋だった。


カンのいい人間なら気がついていそうだが、自分から胸を張って公表するような関係でもない。
相手の視線に、言葉に、走り書きした些細な文字に、浮かれるような年頃でもない。

その走り書きには一瞬だけ目をやり、ついでに提出されたような報告書をめくった。

「…………狡噛」
「ん?」

ポケットに手を突っ込んだまま口角を上げる男は、当然色よい返事がもらえるものと思っているのだろう。
その自信はどこから来るのか、と訊いてみたい気もするが、どうせこう返ってくるに決まっているのだ。


俺がお前を好きでお前が俺を好きだから。


事実には違いないが根拠にはならない気がする。
ああ、馬鹿だ、本当に。
大きくため息をついてやった。狡噛に聞こえるように、あからさまに。

「ギノ?」

書類を手に立ち上がって、デスク横に設置したシュレッダーに遠慮無く投入してやった。
小気味良い音を立てて書類が飲み込まれていく。
向こうの方で縢はあーあと肩を竦め、征陸はやれやれと肩を震わせ、六合塚はちらりとコチラを見ただけでモニターに視線を戻す。

「……ギノ、お前な」
「誤字が多すぎる。ちゃんと見直したのか貴様」

狡噛のよこした報告書と誘いのメモは、細切れの紙くずになって、捨てられるのを待っている。
期待通りの答えが返ってこなかったことが気にくわないのか、狡噛の眉が常にないほど凶悪に寄せられていた。
ふん、そういつもいつも貴様ばかり優位に立たせてたまるか馬鹿め。

「十分ほど出てくる。その間にやり直せ」

ちょうど飲んでいたコーヒーもなくなったしと、往生際悪くシュレッダーを睨んでいる狡噛の横を通り過ぎ、こいつ以外には絶対誰にも聞こえないようにそっと、


「狡噛、今日は定時で上がる」


そっと、囁いてやった。


あんなメモ残せるわけがない、といい加減に気づけ駄犬。
内緒話はそれからだ。