ただそっと触れた手のひらで

2013/03/15
21話バレあり



周囲は警戒していたはずだった。
のだが。

「狡噛!」

背後から伸びてきた手に肩を掴まれ、狡噛慎也は思わず息を呑んだ。
バッと振り払うように振り向くと、したり顔の同僚がそこにいた。

「はーい確保。本来ならコイツ向けてやるとこだが、同僚のよしみもあるし、朱に止められてっからなあ」

コイツ、とドミネーターの銃口を上に向けて掲げてみせたのは、同じ執行官の佐々山光留。自分より一枚も二枚も上手なのは、きっと経験のせいもあるのだろうと、狡噛は舌を打った。

「お前の気配は読みづらいんだよ佐々山!」

だがこんなところで立ち止まっているわけにはいかないと、足を振り上げる。この隙にも槙島は世界の終焉を望んでいるに違いないのだから。

「おっ、やんのかテメ……ッ」

佐々山が臨戦体勢に入った時だった。


ドゥンッ!

地面を伝ってくる振動と音に、ふたりしてハッとする。

「な……っ」
「爆発……!?」

ここには狡噛や佐々山だけでなく、公安局の一係メンバーが集結している。もちろん、対峙すべきは槙島聖護。
直感と言うまでもなく、狡噛も佐々山も、その爆発音にはあの男が絡んでいると確信した。

「槙島ッ……!」

狡噛はその音の方向へ踵を返し佐々山の目の前を走り抜けていく。

「狡噛!」

追わないわけにはいかなくて、佐々山もそれに続いた。





触れるべき手が震えていることに、宜野座は気がついていただろうか。
すぐそこに槙島聖護という捕獲対象がいるということに、気がついていただろうか。

吐く息が震えた。目の前の光景を信じたくなくて、なにも考えることができなかった。

その様子を、槙島は愉快そうに眺めている。親子という情報は特に仕入れていたわけではなかったが、美しい輝きだと。


ガゥン、と発砲音が耳に入る。と同時か若干速く、すぐ傍を銃弾らしきものが通り抜けていった。槙島は条件反射でか肩をすくめて目を閉じたが、二発目が発射されることにはそれを認識してくるりと体を翻す。
やはり自分を追いつめるのはあの男か、と視界の端に狡噛慎也を捉えながら。

爆発音はやっぱり槙島が絡んでいたか、と狡噛はその背を追おうとして、足を止めた。

気配に気づいてかまったくの偶然か衝動か、宜野座の顔が上げられる。
擦り切れて汚れた容貌にはいつもの眼鏡がかけられておらず、茫然とした瞳はかろうじてこちらを見ているのが分かるくらい。
何か言いたげな、それでも何も出てこない、開かれた口唇が宜野座の心の内を伝えてくる。
目の前には、血塗れで体を投げ出した征陸の姿。

「とっつぁん……!」

かろうじて息をしているのが見える。おそらくもうあと僅かしか、その男には時間というものが残されていないのだろう。

「……っ」

狡噛は憤怒と後悔と贖罪と、その他にもいろんなものを噛みしめて呑み込み、くるりと踵を返した。

「狡噛!」

その背に、責めるように投げつけられる声がある。こんな時にまで槙島か、と舌を打つ、佐々山光留のものだった。
宜野座はそれにハッとして、眺めるしかなかった狡噛の背中から視線を逸らす。


結局、親子そろって、最後に頼るのは狡噛なのかと、口唇を噛んだ。


「ギノせんせー、おい平気か?」

まあ平気なわけないだろうけど、と状況を察して傍にしゃがみ込んだ佐々山は、切れそうなほどに口唇を噛みしめる宜野座に、そっと手を伸ばすが、

「――バカヤロー!!」

それを振り払うかのように、宜野座は叫んだ。

「なんで犯人を逃がした! アンタは……アンタはデカだろ!」

腹の底から声を張り上げた。
ずっと見てきた父親の生き様はまさに、昔何かの本で見た、そして征陸自身が語ってきた刑事、そのものだった。

「デカなんて……ロクなもんじゃないさ……」

ロクなもんじゃない、と言いながらも、いつもどこかに自分なりの自信を持っていた、間違いなく刑事の姿。
征陸の右腕が、口唇を噛みしめながら見下ろす宜野座の頬に伸びてくる。息も絶え絶えの中、その男は、笑った。

「やっぱり、親子なんだなあ……」

温もりを伝えるように、撫でて確かめる。

「目元なんざ、若い頃の俺に……そっくりだ……」


そうして、男は。
満足そうに笑って、命の火を、消した。


「親父……」

トサリと地に落ちた右腕に追いすがるように、宜野座は身を乗り出す。
長く呼んでいなかった、父への呼びかけを口にして。


「親父ィィイ――――ッ!」


叫び、血塗れのシャツを掴んで揺すってみても、もうその目が開くことはない。口唇が動くこともない。伸元、と音を奏でることもない。

「何でだ? なんで……」

征陸の触れた頬に、流れた涙の筋が光る。幾度も幾度もそこを伝って滴は流れ、顎を伝い喉を濡らした。

「遅すぎるだろうがアァア――――っ!」

喉がつぶれてしまいそうな、悲鳴にもよく似た慟哭が、その空間に響く。

タ、タ、と近づいてくる足音に気づいたのは、いや、気づける余裕があったのは、傍で静かに眺めていた佐々山だけだった。
声を殺してポタポタと涙を流し続ける宜野座を、佐々山はグイと自分の肩に抱き寄せる。
突然認識した他人の力と体温に、宜野座は目を見開いた。
若干強張った体でそれを悟ってか、佐々山は小さく呟く。

「いいから、ギノせんせー」
何が、とは言わずに、宜野座の頭を抱える腕にさらに力を込めた。そんな何でもないような仕草に、宜野座の体からすっと力が抜けていく。

「宜野座さ、……!!」

近づいていた足音の主が、ドミネーターを構えながら到着した。横たわる征陸を視界に認め、常守朱は息を呑んだようだった。

「征陸さん……!!」

遅かったんだ、と目に涙を溜め、歯を食いしばる常守に、佐々山は言い放つ。

「おい、泣きわめくのは宜野座だけで充分だ。さっさと槙島と狡噛追いかけろ、朱!」

宜野座の涙を隠すために抱きかかえる佐々山に気がついて、常守は溜まった唾液を呑み込んだ。立ち止まるわけにはいかないと決めたのは、ほかでもない自分自身だと。
常守はカッと踵を揃え、物言わぬ征陸に向かって敬礼し、涙を拭って駆け出して行った。

「ハハ……頼りなかった小娘が、いっちょまえになりやがって」
宜野座を抱えたまま、佐々山は彼女たちの消えた方向を眺める。きっと大丈夫だ、このヤマが終わったらみんなで楽しく酒が飲めるはず、と。

「……っ」

時間はかかるだろうが、きっと笑える日がくる。そう思っていないとやってられない。

「なあギノせんせー。とっつぁんは、満足だったと思うぜ……」

いまだに声を殺して泣くしかできない、父を亡くしたひとりの男を抱きしめる。自分の涙も引き受けてくれているような、優しくて不器用な男を。

「デカとして生きて、それでも最期はデカとしてじゃなく、父親としていちばん大事なもん守っていけたんだ。見ろよこの幸せそうな顔」

笑ってんじゃねーか、と震える顎で、佐々山はそれでも笑う。
肩を抱く手にぎゅっと力を込めて、どうか安らかであるようにと、自分の父親のようにも慕っていたひとりの男へ別れを告げた。

「誇りに思えよ、バカヤロウ」
「……わかってる、お前に言われなくてもずっと……」

ずっとそうだった。そしてこれからも、たったひとり、血を分けた父親だ。
宜野座は右手で頬をぐいと拭い、深く息を吸い込む。そして細く長く吐き出した。まだ涙は流れてくるけれど、それはきっと目の前に横たわる男が望むところではないだろう。

「ギノせんせ、手当しよ。そのまんまじゃ血ィなくなってアンタもあっちにいっちまうぜ」
「……ああ、すまない」

痛みなんか感じなかった。いや、感じないことの方が危険なのだが、これはどうしようもないと、つぶれた自分の左腕を今さら眺めた。

「元通りにするには、ちょっと時間かかるだろな、これ」

止血と応急処置を施しながら、佐々山もそれを眺める。綺麗な手だったのに残念だと茶化すように呟くと、宜野座はようやっと口の端を上げた。

「義手でいい」

と。

「……そっか」

お互いそれ以上は何も言わずに、ただ血と埃のにおいを意識で追う。

「公安局戻ったら、志恩にちゃんと手当してもらおうな、せんせー」
「佐々山」

俺らもアイツら追わねーと、と佐々山はひとつの呼吸で気持ちを切り替えた。きっとまだそうはできないだろう監視官を、自分がフォローしなければという意識があったに違いない。


「礼を言う。親父の最期を見てくれて……助かった」


目を瞠った。動く右手で征陸に触れる宜野座は、先ほどまで自分の肩で泣いていた男とは思えないほど優しげな顔をしていた。

きっとひとりじゃ語り継げない、と宜野座は投げ出された征陸の手を握る。話せなかったことがたくさんある。聞けなかったことがたくさんある。触れあうべきだった日もきっとたくさんあったあだろう。
後悔というものは、シビュラを信じきったままでは生まれてこなかった。

「俺はまた、何もできなかった。だから……絶対に忘れない」
「そうだな、後悔して、ずっと思って、生きてやれ。きっとそれがいちばんいい」

ひとしずく、流れた涙を指先で拭う。今はこれが精一杯の親孝行だと、横たわる征陸の体を眺め下ろし、そして顔を上げた。

「佐々山。狡噛を止めたい」

手伝ってくれ、と動く右手をぎゅっと強く握る。
征陸は狡噛の逃亡を幇助した。だがそれは決して狡噛を殺人犯にしたがってのことではないはずだ。
宜野座伸元ができなかったことを、征陸智己がやってのけた。

だったら父ができなかったことは、息子である自分が成し遂げなければならない。

男の、意地だ。

まっすぐに前を見据えてそう言い放つ宜野座に、佐々山はふっと口の端を上げる。
この男の下でなら、きっと今よりもっと人間らしく生きることができるだろうと。

「おっけーギノせんせ、狡噛ふん縛って槙島とっ捕まえて、みんなで帰っぞ!」

佐々山はそう言って、動かなくなった征陸の体を引き起こした。

「佐々山!?」
「あー、さすがに重いわとっつぁん。ギノせんせー、ちょっとこれ縛って」
「佐々山……なにを」

しゃがんだまま背に担いだ征陸の腕を胸の前で交差させ、佐々山は自分のタイを引き抜いて宜野座に差し出して来る。


まさか、と思った。
まさか、


「言っただろ、みんなで帰るぞ」


物言わぬ骸になった、その男も連れて帰ると言ってくれるのか。

「……っ」

宜野座は震える唇を噛みしめることで我慢して、今はもう流すまいと勝手に決めた涙を耐えて、征陸の腕にタイを巻き付けて結ぶ。


ささやま、と呼ぶ声は、音にはならなかった。


よっ、とかけ声のあとに佐々山が腰を上げる。さすがに大の男ひとり背負うのは大変そうだ。
宜野座は佐々山に背負われた征陸の……父の背中を、そっと、支えた。

「だいぶ……遅れを取ってしまったな」
「バッカお前、真打ちってのは遅れて登場するもんなんだよ。まさに俺が」
「バカはお前だ……」

一歩、一歩、踏みしめて、前に進む。
やがて速くなっていく歩調に合わせ、泣きたがる呼吸を吐息でごまかした。

ただそっと背に触れる手のひらで、慕い続けた父を支えながら。