いちばん最初のクリスマス−−

2012/12/24



「ギノ」

後ろから声をかけられて、宜野座は振り向く。そこに、少し足早に寄ってくる同僚を見つけた。廊下を走るなと言ってやりたいが、走る、まではいかない歩調が宜野座に言葉を飲み込ませる。

「狡噛、なんだ?」

珍しく早いなと付け加えたのは、せめてもの小言。
だけど立ち止まって、肩が並ぶまで待ってやってしまうのは、相手が相手だからだろう。

「明日の夜、空いてるか?」
「明日?」

肩が並ぶと、宜野座の方がほんの少しだけ目線が高い。
おはようを言う前に明日の予定を聞いてくるのかと眉を寄せかけたが、そういえばおはようの挨拶は習慣のようになってしまったモーニングコールで済ませたのだっけと思い直して、デバイスのモニターを立ち上げる。

「なんか……予定入れてんなら、別にいいが」
「いや、特に入ってない」

だがモニターを立ち上げたのはただのポーズに過ぎない。遠慮がちに付け加えてきた狡噛に慌てて返してしまったのは、空けておいたことを悟られたくなかったからなのだが、もしかしたらカンのいい狡噛のことだ、気がついているかもしれない。

「そうか。じゃあ、仕事終わったらどっかメシでも食いに行こうぜ」

だけど、ホッとしたような狡噛の表情にそんな疑惑も羞恥も消えていく。
まさか、今朝のモーニングコールの時に様子がおかしかったのはこれを言い出したくて言い出せなかったせいなのか。

「あ、ああ……事件がないことを祈るか」
「ハハ、そうだな」

野生的な外見に反して案外可愛い男だなと、宜野座は赤くなった顔を背けてごまかすように眼鏡を上げる。
これが欲目というやつかと思わないでもなかったが、そう感じてしまう気持ちは本当なのだから仕方ない。

「じゃあギノ、あとで。ちょっと先に経理課寄っていくから」
「書類の提出か? 昨日の内に済ませろと言っただろう」
「なかなかお前のようにはいかないんだよ」

狡噛は笑って宜野座の背をポンと叩き、今度こそ駆け足で目的の場所へと向かってしまう。走るんじゃないと背中にかけた声は、聞き入れられることなく空気に混じった。

「まったく……」

仕方のない奴だ、とひとりごちながらも、宜野座はどこかくすぐったい気持ちを隠すように眼鏡を再び上げ直す。

「よぉチカちゃん、朝っぱらからデートの約束たぁ、隅に置けねーなあ」

笑い混じりにかけられた声にハッとして、宜野座は悪い予感を胸に振り返った。

「佐々山、その呼び方はやめろと言っただろうッ」

振り返った先には、すぐ傍の喫煙所から出てきたらしい佐々山がニヤニヤと口の端を上げながら笑っている。
言葉から察するに、聞かれていたのだろうと眉を寄せた。いちばん聞かれたくない相手に聞かれるなんて、朝からツイていない。

「だってよう、お前のことギノって呼ぶとアイツ怒るんだぜ。他にどう呼びゃいいのよ」

心が狭いよなあとでも言いたげに頭を掻く男は、狡噛との友人としてではない関係を知っている唯一の人間だ。

「普通に宜野座と呼べないのか」

自分から言ったわけではない。
お前と慎也が恋人同士だってことくらい、見てりゃ分かると喉を笑いに震わせながら告げてきたこの男は、宜野座にとって苦手な部類だった。

「いやいや、親しみがねえだろ」
「そんなもの持たんで結構だ。現場での経験は貴様の方が上かもしれんが、俺は監視官であり貴様の」
「上司だ、ってか? ホントにお前ら、正反対だなあ。慎也なんか何も言わねえぜ。チカちゃんちょっと気にし過ぎなんじゃねえのか」
「人の話を聞け、その呼び方をやめろと言っているんだ」
「親しみがねえってのよ。チカちゃんこそ人の話聞こうな?」

佐々山とは、いつもこんな風だ。相手にするのも無駄なのかと思うほど、意見が合ったためしがない。この男を管理しているのは主に狡噛だが、よく耐えていられるなと、何度も思ったものだ。

「なんで狡噛は貴様なんかと仲が良いんだ。理解ができん」
「気が合ってるだけだろ。なにチカちゃん。それ、嫉妬?」
「そんなわけないだろう」
「俺に嫉妬するたあ、チカちゃんも余裕ねえなあ」

やっぱり人の話を聞かない人種なんだそうに違いないと宜野座は眉を寄せ、これ以上戯れ言につきあっていられるかと正面に向き直って足を踏み出そうとしたが、背中から首に腕を回され引き寄せられる。

「何を……!」
「潜在犯を理解しようとすんなよチカちゃん、人間なんていつどうなっちまうか分かんねえんだぜ。たとえばこのちょっと力入れれば折れちまいそうな首、俺が殺意を込めたらアンタは死んじまうかもな」
「局内でそんなことをしようものならすぐさまドミネーターの餌食になるぞ。そんなことも分からんほど頭が悪いわけでもないだろう、佐々山」

耳元で低く囁く声に、いつもの朗らかな様子はない、だがここで慌てようものなら相手の思う壷だと、宜野座は身じろぐことなく目を細める。

「嬉しいねえチカちゃん、それって少しは俺のこと評価してくれてんのか?」

喉を絞めていた腕がスッと離れて、背中を支配していた体温も離れていく。そう言って苦笑した佐々山を顔だけで振り返り、

「曲がりなりにも執行官だ、それなりに考える脳ミソくらいあるだろう。それに」
「あん?」

「狡噛が、そんなつまらん奴に目をかけるわけがない」

少し乱れた襟を直し、宜野座は今度こそ足を踏み出した。一秒あとに吹き出した笑い声が聞こえたが、振り向くつもりはない。

「慎也も相当だったが、チカちゃんも相当ベタ惚れだなあ。けど気をつけろよ、慎也ってあれで結構モテんだぜ」

いまだに肩を震わせながらあとをついてくる佐々山に、宜野座は知っていると抑揚なく返す。ときおり意味心な視線を向けてくる職員がいることくらい、ずっと前から知っている。

「だーから、素直になった方がいいって忠告してやってんだろ。デートの誘いが嬉しいなら嬉しいって、ちゃんと言ってやれよ」

愛想尽かされんぞと付け加える佐々山に、それが簡単にできるくらいならとっくにしてると、口に出さずに悪態をついた。
いつもいつも、狡噛を前にすると素直になりきれずに後で悔やむことになる。好きだの一言も言えずに、何が恋人だ。
だから今回こそ、自分から誘おうと思っていたのに先を越されたのだ。

「な、チカちゃん。明日が何の日かくらい、知ってんだろ?」

一歩踏み込んで隣に並んだ佐々山に、視線だけで肯定を返す。

12月25日―イエス・キリスト降誕祭。世間では俗に、クリスマスと呼んでいたらしい。

いたらしいというのは、文献でしかその存在を知らないからだ。今ではこの時期にそんな単語が飛び交うこともないし、クリスマス商戦という想像しにくい現象も起こらない。
宜野座も実際、この歳になるまで気にしたことなどなかった。ただ、大切な人たちとプレゼントを贈り合い生誕を祝うのだという知識しかなかったのに。
恋情というものが、こんなに厄介なものだなんて初めて知った。

「その日くらい、素直になってみてもバチは当たんねーと思うぜ、チカちゃん」

何せ神様の誕生日を祝ってやってんだからなと佐々山は笑う。そんなに押しつけがましいハッピーコールでいいものかと宜野座は短く息を吐いて、

「貴様に言われるまでもない」

決意を固めるように、カツと踵で床を蹴った。




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