夢でも、一日だけの魔法でも

2013/03/26



あー……と天井を見上げ、佐々山光留はため息を吐いた。

「テッ」

それを見咎め、手のひらで額を容赦なく叩いてくる男がいる。――宜野座伸元だ。

「なにが【あー】だ貴様。ちょっと目を離したらこれか……! どうして一時間も経たん内に逆に散らかってるんだ佐々山!」

片づけているんじゃなかったのか、事を順序立ててやらないなんて理解ができん、と年下の上司は眼鏡を押し上げる。いっそ犯してやろうかと思うほどに潔癖な彼には、だが確かに恋人と呼ぶ存在がいた。

「ギノ、そう熱くなるなよ。もともとがもともとじゃねえか」

こちらも年下の、上司だった男、狡噛慎也。今は同格で、ただの後輩だ。
【こちら側】に墜ちてきてしまった時には、ほんとにブチ殺してやろうかとも思ったが、予想よりも愉快なことになったしいいかと放置している。何より。自分がどうにかできる問題ではなかった。

「そーだぜギノせんせ。俺に片づけておけとか、勝手に無謀なこと言ってんのお前らの方だし」
「ああそうだな、貴様に任せた俺の落ち度だ。もう何もするな呼吸もだ」

ひでえ、と声を上げる佐々山に、こんなやりとりはもう慣れたと言わんばかりの宜野座が、見向きもせずに散らかった床やデスクを片づけ始めた。
もうちょっと構ってくれてもいいのになあと肩を竦めると、お前はあの反応が見たいんだろと狡噛が小突いてくる。まったくもってその通りだ。

「普段あんなピリピリしてんのに、狡噛の前じゃデレてんだろーギノせんせ。特に……ベッドでは?」
「見せんぞ」

否定しないあたり、事実らしい。この男もからかい甲斐がなくなってきたな、と佐々山は片眉を上げる。昔は宜野座との関係をちょっとつついてやるだけで顔を真っ赤にしていたのに。
あの頃の初々しさはいったいどこにいったのかと思うほど、狡噛慎也は立ち回りが巧くなった。宜野座伸元は、人を使うのが巧くなった。
出逢うのが決められていたような男たちが、今でも変わらずにいてくれることが、嬉しかった。

「狡噛、貴様もなにサボッてるんだ!」

佐々山の隣に腰を据えてしまっていた狡噛に、宜野座の怒号が降ってくる。ダダ漏れのヤキモチを振りまいて、彼はこちらを睨みつけてきている。
狡噛は佐々山と顔を見合わせ、ふっと笑った。
ああ、うん、変わってない、と安堵する佐々山の隣で、狡噛はハイハイと腰を上げた。
床もデスクもほぼ片づいているのに、呼び寄せたがる恋心。可愛いねえと二人の姿を視線で追う佐々山に、別の方向から声がかかった。

「ねーねーササ兄ィ、キツいの平気?」

しゃがみ込んでツンツンとシャツの袖を引っ張ってくるのは、執行官の中ではいちばんキャリアの浅い縢秀星。佐々山は振り返り、ニッと笑ってみせた。

「女はキツい方がいい、上の口も下の口もな」
「そーいう話じゃねえって! 酒だよ、キツいの平気かって訊いてんの!」

若干頬が赤らんだ縢に、佐々山は気分がいい。狡噛はからかい甲斐がなくなったし、宜野座は少々ガードが堅くなった。縢くらいが、いちばん構いやすいのだ。ササ兄ィ、と呼ばれる愛称も新鮮だし、人なつっこい笑顔は心地よい。

「俺にそりゃあ、愚問だぜ、シュウ」
「マジで? 良かったー。好みとか全然わっかんないしさあ」
「そりゃそうだろうな。――今日、初めて逢ったんだからよ」

そだねー、と縢は視線を移す。狡噛と宜野座に。
なぜ佐々山がここにいるのかと、最初、あの二人の困惑ぶりは相当なものだった。何かの罠か、と身構える宜野座の尻を触り、狡噛に頭を殴られていたのはほんの数時間ほど前だ。

「ねえ、あのふたりって前もあんな風だったの?」
「ん? んー、ああ、そうだな。本質は何も変わっちゃいねえ」

互いを尊重し、想い合い、支え合う。あの遠慮のなさが逆に周りには遠慮している風に見えた。が、そんなことはないのだ。
佐々山がいたころから、いや、もっとずっと前から、彼らはそうだったのだろう。

「周りを見てるようで、お互いしか見えてねえってな」
「そーかなー? あー、ギノさんはちょっとそのケがあるかなーと思うけど」

否定しつつも仕切れない縢に笑って、なんだやっぱり今もそうなのかと、佐々山は笑った。


「でもササ兄ィの誕生日祝うって言い出したの、ギノさんだし。それなりに見てたんじゃないのー?」


さて準備再開しよ、と腰を上げる縢を、見開いた目で追いかける。

「ギノせんせーが?」
「なんであんたが今ここにいて、俺らにも見えて、触れて、しゃべれるのかなんて俺には分かんねーけどさ。それが今日だってことに、ちょっとは意味があんのかな」

佐々山にも、実のところ分からない。今どうしてここでこうして【生きてるみたいに過ごしてる】のか。
確かにずっと見てきた。空の上から、なんて明確なことは言えないけれど、アイツら仕方ねーなあなんて思いながら、どこからともなく見ていた気がする。
墜ちていく狡噛を、一人で背負おうとする宜野座を、何もできない世界から見ていた気がする。

「魔法かな。かわいそうな俺に神様からの贈り物?」
「バカじゃねーの」
「お前可愛いのか可愛くないのか、どっちかにしろ」
「可愛いなんて思われたくねーし。…けど俺もさー、気になってはいたんだよねアンタのこと。コウちゃんが執行官になっちゃうきっかけ作ったひとっしょ? どんなヤツかと思ったら、こんな」
「こんな?」
「人間くさいクソヤローとか。マジ笑える」

一瞬おいて、佐々山は堪えきれずに噴き出した。いったいどんな男だと思われていたのか。しかも悪意がないだけよけいにおかしかった。

「縢くーん、なんか、お鍋! お鍋噴いてる!」
「どぅわっ、朱ちゃん見ててって言ったっしょお!?」
「だって見ててもわかんないし!」

キッチンの方から聞こえてきた悲鳴にも近い女の声に、縢は駆けていく。平和だねえと佐々山は笑った。

「おーい持ってきたぞ、酒ェ」
「おお、さすがとっつぁん、イイもん持ってんじゃん」
「今日は飲むぞ、光留」
「貴様の場合今日もだろう、征陸執行官」
「カタイこと言うな、監視官」

わらわらと、ひとが集まってくる。
祝いの料理ができたと得意げに縢が。
あまりハメを外すなよと狡噛が。
狡噛さんが言ってもちょっと…と苦笑しながら常守が。
遅くなってごめんとシャンパン片手に唐之杜が。
どこから持ってきたのか桜ひと枝抱えた六合塚が。
一升瓶とコップ片手に征陸が。
発案者である宜野座が。

佐々山光留の周りに、集まってくる。

「おーい、マジ泣かせんなよお前ら」
「貴様がこんなことで泣くようなタマか、ふざけるな」
「ギノせんせーほんっと変わんねーなクソ!」
「あーもーいいから、とりあえず乾杯だ、ギノ、佐々山」

変わらない。
ずっとあの頃から変わっていない。きっとこれからもだ。
根拠なく、そう思う。

乾杯、といくつものグラスが掲げられる。

今日一日だけの魔法、まだ解けないでいてほしい。
女を抱きたいなんて贅沢は言わない。
ただせめて、


「夢でも、言えて良かった。誕生日おめでとう佐々山」


泣きそうに笑うヤツらに、ありがとうと返してからにしてくれないか。