守り人

2016/12/17


 さく、と雪を踏む。荒らされていない新雪は、ブーツの底で潰れて銀時に感触を伝えてきた。
 は、と息を吐けば視界で白く踊って消えていく。
 寒いねと呟くが答える誰かが傍にいるわけではない。冬になると誰もが発してしまう独り言
 降ってないだけまだマシか、とどんよりした曇天を見上げ、こりゃあどれだけもしないうちに降ってきそうだと身を震わせた。
 足を踏み出すたびに雪が鳴り、手に提げたスーパーの袋が足に当たってカサカサ音を立てる。
 そこからはみ出した花びらを目に留めて、危ねえと腕を上げた。うっかり花を台無しにしてしまうところだったと。
 まあこれを捧げる相手は見えもしないのだが、口喧しい男があそこにいるのだ。

 元気かね、死んでないかね、と考える道程、銀時はふっと口の端を上げた。

 あの男が死んでいることはないだろうなと思うのだ。なにせ自分がここに生きているのだから。
 生涯の仇を置いたまま、あの男が死ぬはずないと。

 ぽつぽつと民家が見え始める。寒いのに頑張って柿を干していたり、畑で雪を掘り起こし天然の冷蔵庫で野菜を保存していたり、小さな子供が犬とはしゃぎ回っていたりと、見るからに平和そうな光景が広がっていた。
 穏やかだ、あの頃と変わらず。
 戦場に比べたら、どこでも穏やかだと感じるだろうが、ここは特別な地だった。

 故郷。

 どこで、どうして生まれてきたのかすら覚えていない銀時が故郷と呼ぶのはおかしいかもしれないが、流れ流れた地の中で、ここがいちばん幸福だったのだ。
 やがてひとつの民家にたどり着く。以前訪れた時と何も変わっていない。季節感はもちろん移り変わるけれど、安堵した。
 柵に積もった雪ごと門を引く。

「邪魔するぜー」

 出迎えも待たずに足を踏み入れ、小さな庭に目を移す。なんかまた緑が増えた気がすると思いつつも玄関の戸を引いた。まあどうせ出迎えなんかないでしょうよとブーツを脱いで勝手に上がり込む。出迎えなんかあったら逆に怖えわと、知った廊下を通って居間の戸を開けた。


「よぉ、高杉」

 窓際で相変わらず煙管をくわえながら新聞など読んでいる男の名を呼ぶ。
 高杉は銀時の来訪を驚くでも諫めるでももちろん喜ぶでもなく、視線だけを返してきた。

「髪、切ったの。前に来たときゃ長かったじゃん」

 それを気にすることもなく、むしろそれが自然で、それが自分たちだ。
 前に訪れた時は確か伸びた髪を無造作に結んでいたが、今は首筋でちゃんと切り揃えられている。

「あぁ、先月ヅラに切ってもらった」
「お母さんかよ」

 相変わらずだなと銀時は呆れる。ヅラこと桂小太郎は、どうもこの幼馴染を甘やかす傾向にあるのだ。
 もっとも、他人に言わせれば三人が三人とも、他の二人に甘いのだとか。

「何か飲むか?」
「いちご牛乳」
「んなもんあるわけねーだろ、相変わらずかよ」
「だったら訊くなよ」

 高杉はため息を吐いて、煙管を盆に置いて腰を上げる。
 ほうじ茶くらいは出してやると、厨へ向かう高杉の背中に、銀時は声をかけた。

「先に墓参りしていい?」

 高杉が足を止めて、顔だけで振り向いてくる。

「随分と行儀が良くなったもんだな、銀時ィ」
「うっせ、ほっとけ」

 クックッと肩を震わせる高杉をよそに、銀時は庭へと続く縁側の扉を開けた。石畳の上に揃えられていた草履を借りて履き、雪の積もる庭を歩いた。
 沈丁花の根元、小さな墓がある。石を磨いたような立派なものではなく、適当な大きさの石を立てただけのものだ。
 銀時は持ってきた仏花をその墓に供える。団子か何か一緒に供えればいいのかもしれないが、ここに眠る人物がそれを好んでいたかは分からない。

 眠るのは、朧という、兄弟子。

 本当の名前は知らない。そもそも兄弟子であったことさえ随分あとになって知ったのだ。
 吉田松陽の、一番弟子。最初の弟子。自分が最初じゃなかったんだ、とほんの少し羨む気持ちがなかったとは言えない。彼が高杉に語ったという真実の方が衝撃過ぎて、三秒も考えていられなかったような気がする。

 だけどもう十年も前のことで、朧に対する複雑な思いは大分落ち着いてしまっていた。
 朧のしたことを許すつもりはない。同様に、自分がしたことも許せるはずもないし、高杉のこともだ。
 桂だって、自分をいちばん許せない、許してもらいたくはないと俯きもせずに言っていたし、弟子四人が四人とも、なくしたものに、なくさせたものに、憤っていた。

 朧がついにその命を使いきった時、高杉は新たな事実とともに朧を……兄弟子を連れ帰った。
 そうして、この地に埋めたのだ。

 あの頃皆と、松陽と一緒に過ごしたこの土地に。

 焼け跡を整備し、あの頃と同じような家を建てた。
 鬼兵隊の連中に随分手伝ってもらったんだがなと、気まずそうにも、誇らしそうにも呟いた高杉の表情はまだ覚えている。

 あのゴタゴタが終わってから、高杉はずっとここに住んでいるのだ。家を、墓を守るように。
 過激派で通っていたあの男がだ。

 隠居するような歳でもないだろうにと笑って、銀時は墓の前で手を合わせ目を閉じた。
 松陽に、いちばん分かりやすく心酔していたのは高杉だ。
 その高杉が、それまでの諸々を受け止めて、この地で過ごしている。その心の内は図りきれないけれど、高杉なりのけじめでもあったのかもしれない。

「……あんたが、呑むかは分かんねーけど。毎回こんなんですまねーな」

 銀時は、花と一緒に持ってきた酒瓶の蓋をポンと開け、墓石にかけてやる。
 一度みんなで飲みたかったね、と、銀時なりの手向けだった。
 そうして兄弟子の墓参りを終えて、家の中に戻る。そこでは、温かいほうじ茶とミカンが待っていた。


「おーサンキュー」

 ありがたくそれをいただいて、冷えてしまった体を癒やす。

「なあところでさ」
「……んだよ」
「それ、なに」

 言って、高杉の膝を指でさした。

「見て分からねェのかい。猫だ」
「いやそりゃ分かってっけど。なんでここにいんのかって訊いてんの」

 高杉の膝を陣取る、真っ黒の子猫。毛艶がいいところを見るに、野良ではないのだろう。となれば、まさか高杉が? と銀時は不審そうに首を傾げた。

「この間はいなかったよな?」
「ヅラが置いてったンだよ。あまり頻繁に来られねーから代わりにってな……」
「あいつアホなの」
「昔からじゃねーか」

 そりゃそうだ、と銀時は同意する。桂は今、日本の政に関わっている。
 自分の時間を持つことも難しそうで、頻繁に来られないというのは事実だろう。だからといって子猫を置いていくとは。

「……なついてんね」
「メシやってるからだろ」

 だが子猫は驚くほど高杉になついている。相性がいいのか、高杉が愛情を注いでいるのか、気持ち良さそうに膝の上で丸まっている。
 メシ、と聞いて銀時はいなるほどねとひとり納得した。
 桂は自分が来られないから猫を置いていったのではない。高杉の隠居生活を、補おうとしてのことなのだろう。
 猫の世話をするついでに、高杉はちゃんと生きていくはずだ。

「腕、治んねーの」
「さあな」

 戦……というよりは長い間無茶な喧嘩を続けてきた高杉の体は、降り積もった疲労を受け止めきれなくなっていた。日常生活は問題ないが、以前のように剣を振るうことができない。
 それは銀時も同じようなものだったが、悲観していないつもりでも、剣を持てない腕は淋しい。
 だから桂は、剣の代わりに抱くものをこの家に持ってきたのだろう。

「そだ、これヅラからね。あと辰馬な」

 そう言って、スーパーの袋の中身を全部出してみせる。

「白菜とーツナ缶とー、なにこれ金?」
「あァ……先日やった情報の報酬だろな。辰馬のやろう、こんな危ねーヤツに金預けやがって」
「なにそれ失礼しちゃうわー」

 この十年、おおむねこんな風に生きてきた。
 大掛かりな喧嘩をすることはなくなったし、やんちゃをすることもなくなったし、周りの環境も変わっていった。

「今日はメシ食ってくのか?」
「出してくれんのなら」
「大したもんは出せねーぞ」

 いーよ、と銀時は笑う。正直、高杉とこんな風に穏やかな時間を過ごせるようになるなんて、思っていなかった。
 みんな立派な大人になったのかねえなんて、音には出さずに考えた。
 高杉の膝から降りた子猫が、銀時の正体を確かめるようにぐるぐる歩き回る。味方ではないが敵でもないつもりなんだが、と思っていたら、小さな手で膝をとんとん叩いてくる。

「え、なにこれ」
「あぁ、膝に乗りてえんだろ」

 なつかれたな、と高杉が笑ったのと同時に、子猫はぴょんと膝に乗ってくる。座り心地を確かめて爪を立てる猫を、指先で叩いた。

「痛いでしょうがコラ」

 子猫はちろりと銀時を見やったが、ふいとそっぽを向いてくつろぎ始めてしまう。

「なんかこいつヅラっぽくてムカつく。そういや前に猫になった時のあいつと同じじゃねーか、真っ黒って。コノヤロ」
「ヅラっぽいってのはあるかもな。そいつメシの時間になると俺を急かすんだぜ。メシ用意してやっても俺が自分の食い始めてからじゃねーと口つけねえんだ」
「お母さんかよ」

 桂がそこまで意図してこの子猫を選んだのかどうかは分からない。だけど想像以上の効果はあるだろう。
 銀時は膝の上でくつろぎ始めた猫を撫で、こんな時間もいいよねえと考えた。

「なあ、今度ガキどもも連れてきていい?」
「いつの間にこさえたんだよ」
「そっちじゃねえわバーカバーカ」
「……万事屋のか? まぁだ飽きもせずつるんでやがんのかよ」

 飽きもせずとは言うが、それならお前ともそーじゃねえか、と銀時は思う。仲良しこよしというわけではないが、くされ縁には違いない。

「つーかガキどもっていってももういい歳だろうがよ」
「そーね俺らだって歳取ったんだし。ガキどもと、そのガキも、いーよね? 連れてきて」
「所帯持ったのかい。ガキどもに先越されてちゃ世話ねーな銀時ィ」
「うるせー俺は引く手あまたなんだよ。つーかてめーに言われたかねーわ」

 そっちだって独りもんのくせにと銀時は口を尖らせる。所帯でも持っていれば、桂が心配して猫を置いていくこともなかっただろうに。
 銀時自身は、あまりそういうものを持つことに実感が湧かない。いい仲になった女がいないわけでもなかったが、所帯ともなるとそう簡単な話ではなかった。
 そもそも神楽が沖田と所帯を持ったのも、新八が文通を続けていた彼女とめでたくゴールインしたのだって現実味がなかったのに。

「辰馬がいちばん早かったんだっけ」
「ヅラんとこはまだぐずぐずしてんのか?」
「なんかもー、色々ビックリだらけよね、俺らの人生」
「そうさな。まぁ……悪かねェ」

 銀時は、高杉の口から出た言葉に目を瞬いて、ぬるくなりかけたほうじ茶をすすった。
 高杉から、悪くない人生だなんて聞けるとは。

 そうね、そだね、悪くはないよ。

 銀時も音には出さずにそう思い、子猫を撫でた。
 この先何かがあっても、ここで生まれた絆は切れたりしない。
 天国に行っても地獄に落ちても、松陽に笑って報告できるだろう。

「先生に……頭撫でてもらいてぇよな、一回くらい、ゲンコツじゃなくてさ」
「ダイジョブじゃね? あいつのことだから、一緒に待っててくれっだろ、兄弟子と一緒によ」
「俺はてめーを待ちゃしねーぜ?」
「あっそれは俺もだわ。誰がてめーなんか待ってるかっつーの」

 ミカンを投げつけてやるけれど、それは難なく受け止められる。ふたりして、短く息を吐いた。

 だから死ぬまでゆっくり生きてろよ。

 そんな呼吸で伝え、なんでもないようにミカンを口に運んでいく。
 いつか命を消すその日まで、高杉は墓を守り、銀時は万事を守る。


 それが、ふたりの魂だ――。