月に、花を ■ 1 ■

2016/8/10 高杉晋助生誕祭



 今年は来ぬつもりか、と今日の昼に届けられた手紙の束を見返してため息をついた。
 ここ数日待っているものが、今日になっても来なかったいうことは、そういうことなのだろう。桂は手紙の束を机に放って、前髪をかき上げた。
 別に落ち込んでない、あの男の気まぐれはいつものことだと、自分に言い聞かせて、眉を寄せ目を閉じる。
 だがそうした傍から、あふれてくる寂しさを、どうごまかせばいいのか分からない。
 すうーと息を吸い込み、ふうーと吐き出す。それを何度か繰り返しても、胸の痛みが除かれることはなかった。今年は逢えないのか、という寂しさが、どうしても抜けていかない。
 桂が待っているのは、商売っけのあふれるダイレクトメールでもなければ、志士仲間からの近況報告でもない。ひとりの男からの文だ。
「高杉……」
 相手の名前は高杉晋助。鬼兵隊総督である。
 桂自身、国を相手に喧嘩を売る攘夷志士ではあるが、どちらかと言えば穏健派だ。その一派の頭が、過激派の頭と恋仲などと、笑い話にもならない。思想の違いがあるのに、どうしてあの男に向かっていく想いは減らないのか、と思い悩むことさえ面倒になるくらい、長い、長いつきあいだった。
 まだ真剣さえ握ったこともない子供の頃に互いの想いを知り、いちばん傍で過ごし、大切なものを守るために国に抗い、そしてなくした。それでも、変わらない物がある。
 生まれた日くらい、祝ってやりたい。祝ってもらいたい。
 だが幕府に追われながらも幕府を潰そうと画策しているあの男は、ひとところに留まっていない。逢いに行こうにも、今どこにいるかさえ分からないのだ。
 だから、桂が高杉に逢えるのは、高杉が気まぐれを起こした時。それでも、俺が家にいなかったらどうするのだと一度言ってやったら、次から文が届くようになった。短く、日時と場所の指定だけ。まったく一方的なものだ。桂の都合も訊かずに、そこにいろとだけ書いてある。優しい言葉も何もなく、簡潔に。
 去年も、一昨年も、その前も、高杉は生まれた日を祝われにやってきた。お前さんが逢いたがってると思ってねえ、なんて言いながら、ご機嫌でだ。
 まあ桂も実際、逢いたかったのだから否定はしてこなかった。
 それなのに、今年は文が届かない。いつも三日前には届いていた物が、当日になっても届かない。もうすぐ、八月十日が終わってしまうというのに。文がどこかで止まってしまったのか、そもそも来る気がないのか。
 ――――祝ってやりたかったのに。
 桂はまたため息をついて、腰を上げた。少し頭を冷やしてこようと、外に出る。もうすぐ日付が変わってしまうこの時刻ならば、歓楽街以外なら静かだろう。夏の熱気は夜になっても健在で、じんわりと汗がにじんだ。この状態で頭など冷えるのだろうかと苦笑しながら、川沿いを歩く。
 さらさらと流れていく水を眺めていると、どれだけか心は落ち着いてきたけれど、寂しさは抜けていかない。川面に映る月に気がつき、足を止めた。
 ――――今どこにいるか知らんが、これだけ大きな月ならば、アイツも見ているだろうか。
 そして空を見上げれば、大きな、大きな月。月明かりに浮かぶ顔はさぞや美しいだろうなと、恋する男を想う。
 桂は土手を下り、きょろりと辺りを見回す。そして見つけた小さな花を、すまぬと言いつつ手折った。そうして花びらに口づけ、川面に映る月に向かって放った。どこかにいるあの男に届きますようにと祈りを込めて。
 桂がそうして空の月を見上げた時、日付が変わる。高杉晋助の生まれた日が、終わってしまった。また何かよからぬことでも企てているのだろうが、次の季節が来る頃には逢いたいと、大きな月に願いを込める。

「そんなに恋しそうに眺めて、月にでも帰るつもりかい」

 聞こえた声に、桂は目を瞠った。
 聞き間違えるはずはない。間違えるはずはないが、幻聴の可能性はある。慌てて振り向いたそこに、

「――た、か……!」
 月明かりに照らされる、逢いたかったその男がいた。桂が想わず上ずった声を上げる前に、腕を引かれて足が踊る。煙草の煙と血の味がする口づけは、ああ間違いなく高杉晋助だと知らせてくれた。
「う……」
 突然なんなのだと抗議してやりたい気持ちももちろんあったけれど、それ以上に触れたかった想いが勝る。抱き寄せられるままに身を任せて、月の下、川の傍、長い口づけを交わした。
「……くくっ、どうしたんだいお前さん。いつもはこんな風にしがみついてこねぇだろうが」
 口唇がしとどに濡れた頃、ようやく離れていく。一月半ぶりの口づけに夢中になって、高杉の衿にしがみついてしまっていたことに気づいた桂は、今さらながらに居をただし、やんわりと体をおしやってみた。
「ふ、ふん、貴様が突然すぎるからだろうが。だいたい、来るなら来るで文をよこさんか、馬鹿者め。俺とていつも家にいるわけではないんだぞ」
 今みたいに、とつけ加えて嫌みを投げつけるも、高杉は喉を鳴らして笑う。
「ヅラ、俺からの文を待ってたか」
「別に待ってなどおらん!」
 桂はそう言って否定してみたが、うまくごまかせているとは思えない。いつ文が来るか、どこで逢えるか、楽しみに待ってしまっていたのだから。だけどそれは自分だけだったのだと気分が沈んでいく。こうして目の前に姿を現すことができたのに、事前に文をよこさなかったのは、逢うつもりがなかったのだろう。そんな風に考えてしまう自分が女々しくて、情けない。
「……本当にかい……?」
 高杉が確信的な物言いで訊ねてくる。そんなわけはないんだろうなと、どこか余裕のあるこの男に、言いたくない。待ってたなんて、言いたくない。
 だけど、
「…………逢いたかった……」
 手紙より何よりも、逢いたかった。誕生日を祝うなんて言い訳で、建前だ。
「貴様はどうかしらんが、俺は、逢いたかった。文もろくによこさん馬鹿な男にな」
 いっそやつあたりのようにさえ言葉を紡げば、すっと指先が伸びてくる。頬を撫でられ、なんだと問うように高杉を見返すと、月に照らし出される美しい容貌が待っていた。
「だが、逢えたろう」
 高杉の口の端が上がる。
「なぁヅラ。せっかくこうして逢えたんだ、祝いなよ、俺を」
 片方しかない目が細められる。機嫌がいいなと思うくらいには、高杉という男を知っていた。桂は、頬を撫でる手に応えるようにすり寄り、目を閉じた。
「ああ、そうだな……祝ってやろう」
 口づけを待って、触れる温もりにするりと心が解けていく。一日遅れてしまったけれど、彼の生まれた日を祝いたい。口づけの合間に、高杉、と呼ぶ声は、どうしても甘ったるくなってしまった。



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