さくら、ひとひら

2016/04/10 14:33



珍しく、本当に珍しく、朝早く目が覚めた。一年に一回あるかないかの奇跡だ。
普段なら目が覚めないか、覚めても二度寝を決め込むのが銀時の常だったが、なんの気まぐれか、早朝の町を散歩してみようと思った。――のが間違いだったのだろう。

「げ」

左手から歩いてくる人物に気がついてしまった。銀時が歩いていきたいのは右手、このままではその人物と同じ方向に行くことになってしまう。

「げ」

朝から逢いたいヤツじゃねーなぁと顔を引きつらせていたら、相手の方も気がついてしまい、銀時と同じように顔を引きつらせた。
できれば気づかずに通り過ぎてくれないかと思ったし、恐らく相手もそうなのだろうと思うが、いかんせんこの二人は目立つ。

「なんでてめーがこんなとこにいやがんだ」
「そりゃこっちの台詞だバーカ。朝っぱらから気分台無しにしてくれんじゃねーかよ」
「んだとコラぁ」

声を張り上げそうになって、早朝に迷惑かとハッとし踏みとどまるのは、土方十四郎。真選組、鬼の副長と呼ばれる男だ。今日は非番なのか、勤務時間前なのか、隊服ではなかったけれど。

「こっちだってな、朝からてめーの顔なんざ見たかねーんだよ。こんな早朝じゃあてめーの好きな甘味処も開いてねェだろが」

大仰にため息をつかれて、銀時は眉を寄せる。何のバチが当たって、気持ちのいい早朝の空気をこの男の煙草で台無しにされなければならないのか。
これは早々に立ち去った方がいいと、口許を引きつらせながらも、銀時は行く予定の方向を指さした。

「あー、俺あっち行くから、あっちな。てめーは向こう行け、向こう」
「……なんだっててめーの都合に合わせなきゃいけねーんだふざけてんのか。俺だって行くのあっちなんだよ。不満ならてめーが向こう行きやがれ」

しかしながら、非常に残念なことに、土方が向かう方角も銀時と一緒らしい。
ならば、と取った銀時の行動は、競歩でもするのかと思うほどの速度で、歩みを進めることだった。これなら行く方角が同じでも問題ない、と思ったが、それも間違いだった。
何しろこの二人、お互いが極度の負けず嫌いだったからだ。
土方も負けじと足を踏み出し、尋常ではない速度で着物の裾を捌き歩く。
そうやって土方が銀時を追い越せば、負けるかァ! と銀時はさらに速度を速め、土方もまたそれを追って速度を速める。
しまいには二人共が全力で早朝の町中を疾走していた。早朝からドドドドと音を立てながら走り回るとは、まったくはた迷惑な話である。
途中で我に返ったのか、息が続かなくなったのか、最初に足を止めたのは、銀時の方だった。
ぜえ、はあ、ぜえ、はあ、と胸と肩で息をしながら、桜の幹に手を当てて体を支える。その隣には、両膝に手を当てて体を支える土方がいた。

「ハッ、情け、ねぇ、なあ、万事屋ぁ……っ、この程度で、音を上げて、んのかっ……」
「るせぇ、んだよ、このマヨ星人が……っ、てめーだって相当、息、上がってんぜ……ッ」
「うるせえ上がってねえ、てめーは甘ぇもんばっか食ってっから、体力続かねぇんだろが」

土方が取り繕うように体を起こし、煙草に火をつける。そんなものばっかり吸ってるから体力続かねーんじゃねーのとは、言わないでおいた。

「ほっとけや、俺ぁ最初からな、ここに来るつもりだったんだよ、別に息上がって止まったわけじゃねーんだからな。お前と違ってよぉ」
「んだコラ、俺だってな、最初からここにくるつもりで――……なんだと?」
「あ?」

また売り言葉に買い言葉か、と思われたが、土方が途中で言葉を止めたのが気にかかる。ん? と銀時は土方を振り向いた。
視線が重なる。それは三秒だけとどまって、銀時のもたれかかった桜の木に移された。
もしかして、と再び相手を見やると、また視線が重なって、逸らされる。
なんで、よりによって、今日、この時間に、なのだろう。

「てめーもこの桜、見にきたんかよ……」
「……てめーに桜を愛でる甲斐性があったたぁ、驚きだぜ」

銀時が、触れた桜を見上げる。土方がふうっと煙を吐き出し、隣に並んで見上げる。煙が桜に向かっていかなかったのは、土方なりの愛で方だったのだろうか。
桜を見上げた格好のまま、銀時は瞳だけで土方を見やった。同じような格好で桜を見上げる男がそこにいて、少し居心地が悪くなった。

「なんで、この桜だよ」

今の時期、他に桜が咲いていないわけではない。見ようと思えばどこでだって見られるはずだ。それこそ、真選組屯所の近くでも。なぜ、この川縁の桜なのだろう?

「てめーこそ」

質問に答えていないどころか、同じようなことを返してくる。やっぱこいつ嫌いだわ、と心の中で思うには、それで充分なのだけど。
少しの沈黙のあとで口を開いたのは、土方の方。どことなくためらいがちなのは、自分のことを話すのが苦手だからなのか。

「別になんでってこともねーんだけどよ。……こっから見える景色が、好きでな」

銀時は目を二度、瞬く。隣にいるのが自分なのにそんな優しい声は珍しい。見上げていた桜から視線を外して下ろす土方を、銀時の方こそ視線を顔ごと下ろして眺めた。

「特に朝だな。川縁だからか、霧っつーか、もやがすげぇ時があんだよ。それと桜がな、妙に合ってて、見に来る」

今日はちょっともやが少ねーけど、とほんの少し残念そうに不満を漏らす。銀時はそんな土方の隣で、ガシガシと頭をかいた。
まったく本当に、なんで今日、この時間に、逢ってしまったのだろう。
銀時は足を踏み出し、土手を下りた。

「おい、万事屋?」

土方がその行動を不思議がり、眉を寄せる。今日はもやも強くないが、どうかするとその銀の髪がもやに紛れてしまいそうだ。

「てめーに桜を愛でる趣味があるとは思わなかったが、そういうことなら、なあ、こっち来てみな」

土手の下から声が聞こえ、まさか落とし穴でもあるまいと、土方はゆっくりと下りていく。それを待っているような銀時の表情に、舌を打ちたくなりながら。

「で? なんだよ」

下りきって、銀時の真意を訊ねてみる。同じ視線に並んでみれば、それは下りてくる自身でなく桜に向けられていたのだと知って、土方は今度こそ舌を打った。

「俺ぁこっからの眺めの方が好きでな」
「ここからぁ?」

銀時がそう呟く声は、隣にいるのが自分なのに優しいなと、聞き慣れない音を耳にして眉を寄せる。けれど、その視線を追って見上げた桜に、息を飲んだ。
土手の上からは、桜を見上げもやを見下ろした。
だが土手の下からは、もやと桜を見上げることになる。白色に覆われた、桜色。まだ陽の差しきらない空に溶けて、それはそれは美しく映えた。

「な、綺麗だろ。上からじゃこれは味わえねーんだよ」
「……確かに、この時間、この場所じゃねーと見られねぇな」

ひらりひらりと落ちてくる花びらに、ここももうすぐ葉桜になってしまうだろうと、少し残念に思う。あと何回奇跡が起きて早起きできて、この光景を眺められるだろう。もう無理かなーと思うと、残念でならない。
それでも、今年最後かもしれない光景を、誰かと一緒に見られて、良かったと銀時は思う。
それがこの男で不満な部分もあるが、不満だけでも、なかった。

「てめーにしちゃ、風流なもん見つけたじゃねーか、万事屋。マヨネーズパフェでもおごってやろうか」
「マヨネーズパフェってなに。それほぼマヨネーズじゃねーのどこに売ってんのマヨネーズ星?」

せっかくの気分が台無しじゃねーか、とそっぽを向いて小さく呟くと、聞き逃さなかったらしい土方が、何だよ気分ってと訊ねてくる。
なんでこんなところで地獄耳だよ俺やっぱりこいつ嫌い、と銀時は心の中で毒づいた。

「別になんでもねーよ。俺だってなぁ、綺麗なもん見んのは好きなんだって、そんだけで」
「ああ、まぁ、分かるぜ。ここからの眺めは、悪くねえ。白いもやと雲が……てめーの髪に似てるな」

桜を見上げる土方の口から、とんでもない言葉が飛び出してくる。なんで今言うんだよと銀時は口許を押さえ、俯いた。
本当は、このまま桜を眺めるだけ眺めて、もう一度眠りに帰るつもりだった。本当だ。それをこの男は、と八つ当たりでしかない文句を、心の中で並べ立て、銀時はため息とともにある言葉を吐いた。

「あのよー、…………この間、朝帰り、したろ。……そん時に、見つけて、な」
「あ? 朝がえ……、…………あっ、お、おお……」

この間、朝帰り、その言葉が意味するところを把握して、土方の頬がらしくなく染まる。
二人してそっぽを向いて、沈黙をそわそわとやり過ごし、お互いに相手からのアクションを待った。
先にじれたのは、土方の方。

「なぁ、……時間、あンのか」
「……ねーこともねぇけど」
「ふぅん」
「ムードねーなてめぇはよ」
「てめーがムードなんか気にするタマかよ」
「うるせー男はみんなロマンティストなんだよ」
「知ってらぁ、そんなこと」

そう言って口唇を重ねようとした二人の間に、ひらり、ひとひら、桜のはなびら。いつもの口唇とは違う感触に、二人で笑った。