華家



鏡越し


 は、と至の唇から熱い息が逃れていった。その音を、背後の男は楽しそうに受け入れて、笑ったように思う。

「……悪趣味」
「そうかな」

 後ろから抱き込まれているせいで、彼の声は耳元で聞こえる。
 悔しくて眉をひそめようとしたけれど、すぐに思い直した。目の前に鏡がある状態では、どうしたってそんな自分の姿が目に入ってしまう。
 千景の足の間で抱き込まれる自分も、不愉快げなふりで眉を寄せる自分も、指先に快楽を覚えて歯を食いしばる自分もだ。

 このホテルを選んだのはわざとなのだろうかと、シャツ越しに千景の体温を感じながら思う。
 ベッドのすぐ傍、狭い空間を挟んで作業デスクとチェアー、身だしなみを整えやすいようにか大きな鏡。その配置は、夜に目覚めて体を起こせば、自分の姿が視界に入る。寝ぼけた頭ではちょっとぞっとするような光景になるだろう。睡眠のさまたげになりそうなことを考えても、至はこのレイアウトが好きになれない。

 背後から抱かれてネクタイをほどかれる様というものを、先ほど目の当たりにした。そんなものに興奮する浅ましい自分を見せつけられるようで、落ち着かないのだ。

「俺は楽しいけど。茅ヶ崎が、どんなふうに自分が抱かれてるのかを見て、悔しそうに歯を食いしばるのも、恥ずかしそうに顔を背けるのも、鏡越しに俺を睨んでくるのも、全部新鮮に感じる」
「だから悪趣味だって言ってるんですよ、先輩」

 こちらは全然楽しくないと目を細めれば、やっぱり千景は楽しそうに笑った。
 どうしてこんな男に惚れてしまったのか、いまだに分からないでいる。
 職場の先輩であり、劇団を介しての家族であり、近くて大切な存在ではあったのだが、何をどう間違って、それが恋に進化してしまったのか。

「茅ヶ崎は、気にならないのか?」
「何がですか」
「俺がどんな顔でお前を愛撫するか」

 ふ、と耳に息を吹きかけられ、ぞわりと背筋を震わせた。
 体中の熱が一気に上がったようで、腰が浮いてしまう。逃げるつもりはないのに、千景の腕でがっちりと抱え込まれて再び沈んだ。

「な、そ、そんなのっ……」
「気にならない?」

 再度訊ねられて、答えに困る。視線を泳がせ、右へ、左へ。そして正面に戻したら、鏡越しに千景の視線と出逢ってしまった。

「俺は茅ヶ崎のシャツから覗く鎖骨に欲情して、全部触りたいと思いながらも、見えない肌に興奮する」
「あ……っ」

 千景の両手が、シャツの裾から入り込んでくる。這い上がってくる手のひらの熱に歓喜し、至は小さく声を上げた。
 シャツの中をもぞもぞと動き回る千景の手を、鏡で確認する。肌では感じ取りながらも、そこで何をしているのか、これから何をされるか分からないという〝期待〟が、疼きとなって至の熱を上げさせた。

「先輩、ちょっと……待って、手、エロ……っ」
「愛撫の仕方は変えてないよ、茅ヶ崎。こうしていやらしい腰を撫でるのも、可愛い乳首をつまむのもね」
「はあっ……う」
「いいね。茅ヶ崎がいつもより感じやすくなってる。自分でも分かるだろう?」

 自覚はあるため抗議はできない。カッと顔を赤らめるだけで、すぐに千景の愛撫に意識を持っていかれてしまう。

「最初の頃は、緊張でそれどころじゃなかったみたいだしな。初めて抱いたときなんか、敵意むき出しの野良猫みたいだった。まあ茅ヶ崎がネコなのは違いないけど」
「そんなの、覚えてませんよ、俺」
「……うそつき」

 シャツの中で両方の乳首をつまみ上げられて、至はのけぞる。
 実際、忘れてなんていなかった。成り行きみたいに恋を告げ、成り行きみたいに肌を合わせ、成り行きみたいに恋人同士になった。忘れていない。

 至は千景に背を預けたまま、そっと鏡に視線を移す。

 首に舌先を這わせながらじっとこちらを見つめる千景の表情は、明らかに性の欲がまとわりついていた。
 ぞくぞくと足下からせり上がってくる、歓喜。
 欲情されているのだと、その目で確かめられたせいか、千景に触れられている部分すべてが、いつもより熱を持っているように思う。

「せ、先輩」

 ドキンドキンと胸が高鳴った。
 千景の方こそ、あの頃とは表情がまるで違うじゃないかと。そんなに愛おしそうに見つめられたら、そんなに優しく触れられたら、調子が狂う。

「なに、茅ヶ崎」
「……好き、です……あなたのこと」

 狂って、普段なら絶対に言わないようなことを、熱い息と一緒に吐き出した。

「俺が先輩に抱かれてるとこ……先輩が俺を抱いてるとこ、全部、見せてください」

 鏡越し、欲情した瞳同士がぶつかり合う。至は顔を限界まで横向け、千景はそれに応えて回り込み、承諾と興奮と、恋心をキスで伝えてくれた。



2018/05/20
お題は「服の中を指が這う」
  
designed