華家



寝かせてくれない


「せーんぱい」

 至は、携帯端末を両手で握りながら、隣に座る千景に声をかけてみた。騒がしい夕飯も春組の稽古もめんどくさいお風呂タイムも終わって、普段ならネトゲだの配信だのに興じている時間だ。

「何かな? 茅ヶ崎」

 千景はタブレット端末をついと撫でながら、楽しそうに返してくる。至はそれで確信した。千景は、わざとやっているのだと。

「腹立つ」
「理由が分からないな」

 至の持ち込んだソファの上で、それぞれ思い思いのことをしているとはいえ、恋人と二人きり。邪魔も入らないこの状況で、「何かな」とはいささか意地が悪すぎる。

「わざとやってるでしょう」

 至は眉間にしわを寄せて、素っ気ない態度の千景を責めてみた。苛立つほど長い足を組む聡い男が、気がつかないわけはないのにだ。

「何をそんなに怒っているのかな」
「今日がなんの日か知ってます?」
「ラブレターの日」
「そっちか」

 即座に返されて、がっくりと項垂れた。そんなものも絡む日だとたった今知ったが、至が言いたいのはそちらではない。
 今日はキスの日だ。初めて映画でキスシーンが流れた日だとかいろいろ由来説は囁かれているが、どれが真実でも構わない。大事なのは、キスの日だという事実だけだ。
 至はゲームのアプリを強制的に閉じて、端末を放り投げた。
 せっかく、いつ中断しても問題ないようなゲームをして待っていたというのに、いつまで経っても千景からキスをしてもらえない。

「そのほかに、何かあったっけ?」
「先輩の端末、ガラクタなんですか? それで検索したらいいでしょう」

 キスができる完璧な状況を作ってみたというのに、面白くない。至はふいとそっぽを向いてすげない答えを返してみるが。

「俺からしかキスしちゃいけないルールはないだろう、茅ヶ崎」
「は?」

 ため息交じりの声に、そっぽを向いていた顔で千景を振り向き直した。

「待ってたのにな。そんなに俺からキスしてほしかった?」

 そこには楽しそうに笑う千景がいて、してやられたと頬を染める。至がそれを待っていることをやっぱり知っていて、あえて千景も待っていたのだと知り、ふつふつと湧いてくる悔しさと、ふわふわと浮き上がりそうな照れくささが同居して、至は舌を打った。

「俺、先輩のそういうとこヤなんですけど」
「それは残念」
「そういうとこも好きだって分かっててやるの、本当にずるいですね」

 肩を竦め端末を手放した千景に身を寄せて、唇にかみついてやる。憎たらしい、だけどどうしようもないほど好きだと、諦めさえ混じっていた。

「……痛い」
「俺をイジメた罰。かみ切られなかっただけありがたいと思ってください」

 至は腰を上げ、千景の膝の上に乗り上げる。そうしてシャツを両腕で捲り上げ、笑ってみせた。

「まあ、いいですけど。そっちがその気なら、俺の全部にキスし終わるまで絶対寝かせてあげませんから」



 最初は髪の上から額にキスをもらった。その次は髪をかき分けて素肌の額に。そうして耳へ、右の目蓋に、左の目蓋に、鼻先に唇が降りてくる。左の頬へ、右の頬へ。
 次は待ちに待った唇かと思いきや、千景の唇は素通りして顎に触れてきた。

「オイコラ先輩」

 それが不満で低く呟く。ここは流れと空気を読んでほしかったと膝に乗り上げたまま口をとがらせた。

「なんでそこスルーなんですか」

 隠さずに不満をぶつけてやると、千景はふっと笑う。そうして、自身の中指に口をつけ、その指を至の唇に押し当ててきた。

「後でたっぷりとね」

 その仕種と艶っぽい笑みに、至はカアッと熱を上げる。絶対に分かってやっているに違いないのに、今回も陥落してしまった。

「……今度覚えてろよ先輩」

 視線を背けぼそりと呟けば、千景は楽しそうに口の端を上げる。結局惚れた方の負けで、いつもこうなってしまうのだと面映ゆい気持ちを隠せない。

「何をしてくれるのか楽しみだけど」
「何もしないのはアリの方向で?」
「ナシでお願いしたい」

 ちゅ、と首筋に口づけられる。千景の唇は鎖骨に、肩に、腕に、指先に、手の甲に、手のひらに、順番に触れてくる。
 その優しい唇が心地よくて、至は熱っぽく吐息した。

「先輩……」

 胸に降りてきたそれは肌を強く吸い上げ、赤い痕を残す。

「胸は、所有……だったかな?」
「は?」
「喉は、欲求。手首は……欲望?」

 呟くと同時に千景の唇がその箇所に降りてくる。腹なら回帰、と手で撫でられた瞬間、至は悟る。千景はキスの場所とそれが意味する情動を言っているのだと。

「ずる……興味ないみたいな素振りしといて」
「さっき調べてた。気づかなかったのは茅ヶ崎の方だろ」
「俺のせいにしないでください。先輩案外むっつりスケベですよね」
「なんとでも。茅ヶ崎、ちょっと位置変わって」

 千景は背もたれから体を起こし、至にそう訴えてくる。重いとでも言いたいのかと思ったが、そんな不満げな顔で心情を察した千景が、指先を腰に滑らせてきた。

「これより下はこの体勢じゃキスできないだろう」
「え、ほんとに全部する気かこの人」

 言いながらも、至は千景の膝から降りてソファへと座り直した。手のひらが、腹を滑る。その軌道をたどるように、唇と舌がなぞって降りていく。少し冷たかった指先が、同じ体温になていくのが嬉しくてたまらない。至は小さな呼吸を繰り返した。
 腰に束縛のキス、太腿に支配、脛への服従、脚の甲へ隷属と、つま先に崇拝のキス。

「ちょっと、待っ……先輩、そこ、ない……はず、なんですけど」

 そうして、口づけた指先を背中に滑らせて、次に千景がたどり着いたのは、欲で立ち上がった至の中心。キスの日によく取り上げられる、〝意味のある場所〟ではないはずだ。だが千景はやんわりとそれを包み込み、ぺろりと先端を舐めてくる。

「あ……っ」

 びくりと背をしならせて、今までの緩やかな愛撫とは違う刺激に声を上げた。そうする間にも千景の手は至を包み込み緩急をつけて誘惑してくる。

「しなくていいのか? 茅ヶ崎」

 熱い吐息が吹きかけられて、至はソファの上で爪を立てた。千景も大概意地が悪いと、意地と羞恥を放り投げ、至は震える声でねだる。

「…………して……そこにも、キス」
「オーケイ」

 そのおねだりに満足したかのように口の端を上げ、千景はためらいもせずに至の先端に口づけた。

「んっ、ん、ふぁ、う」

 ややあってすっぽりと口で覆われ、舌が擦り付けられる。ぞくぞくと腰を這う快感と、集中していく熱。じゅぷ、ぬぢゅ、とわざと立てられる淫猥な音と、千景の息づかい、そして自身の喘ぎ声が耳を犯し続けた。

「せんぱ……っ、あ、ンッ、ん、駄目……離して、いやだ」

 じゅ、と吸引されて脚がびくびくと躍る。これ以上続けられたら、千景の口に放ってしまうことになり、恥ずかしさで死んでしまう。至はふるふると首を振り、千景の髪を掴んで引こうとするが、彼はなかなか離してくれない。

〝イッて〟

 と咥えたまま言われたようで、至は思わず腰を揺らして達してしまった。

「あ、んう、んっく……う、ぁ……――」

 びくびくと体がわななく。天井に向かっていくあられもない声が、余計に恥ずかしかった。

「少し早くないか……」
「イ、かせておいて、何を、言ってん、ですかね、ふざけんな」

 荒い息の中、うっかり本音の悪態までついてしまうが、どうしようもない。こんな千景を憎たらしく思うのは以前からだし、

「別に文句を言ってるわけじゃない。〝ここ〟はそんなに俺のキスを待ってたのかと思うと、可愛くて仕方がないんだ」
「な、バッ……馬鹿な、こと、言わないで……ください……」

 憎たらしい以上に愛しく思ってしまうのも、やっぱり以前からのことだった。照れくさくて、語尾がだんだんと小さくなっていく様を、千景は楽しそうに聞いている。どうしても勝てないんだなあと、至は両腕を広げた。

「待ってんの、キスだけじゃないんで」
「いつからそんなにおねだり上手になったんだ?」
「さあ。いつですかね」

 その広げた両腕の中に千景は誘われてくれて、より深いつながりを持つ。千景を奥まで受け入れて、至の体は歓喜に震えた。

「あ、あぁ……、あ」

 ゆさり、ゆさりと揺さぶられ、千景の背中にしがみつく。喉にそっと口づけて、もっと欲しいと求めてみせた。

「先輩、先輩……っ奥、もっと……きて」
「キツくないか?」
「平気、です」

 脚を抱え上げられて、ずんと奥まで突かれた。

「あっ、い……く、いい、先輩、イキ、そ……っ」

 背をしならせれば千景の腕が抱き留めてくれる。どんなに腰を使われても、こうして支えてくれる腕があるから平気だと、至は荒々しい波のような快感に溺れて達した。

「あ、や……中……っ」

 中で千景の熱を受け止めて、ふるりと体を震わせる。気怠さに弛緩していく腕が、ずるりと千景の肩から落ちたけれど、その腕を取ってソファへと寝転がされた。

「え」
「これで終わりと思ってないよな?」

 至はソファの上で千景を見上げ、見慣れた天井をその後ろに見る。たった今深くまで激しくつながっていたというのに、まだするつもりなのだろうか。目をぱちぱちと瞬いて、どう反応を返そうか考えあぐねていたら、

「まだ〝全部〟にキスしてないからな。寝かせてやらないよ、茅ヶ崎」

 ぺろりと自身の唇を舐めて、楽しそうに笑う千景に心も体も持っていかれてしまう。もう二度と千景を煽ったりしないでおこうと至が思うのは、これで八度目ほどだった。



2018/05/23
アンケート結果「噛みつく」。+キスの日だったので
  
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