華家



脅しにならない


 茅ヶ崎。
 そう呼ばれても、至は振り向かないでいた。彼の言いたいことが分かるからだ。

「こっち、向いて」
「絶対嫌です」
「なんで」

 なんでもなにもない馬鹿、と心の中で悪態を吐く。
 だって彼は――千景は分かっているはずなのだ。至の顔が、とても赤いことなんて。

「そんなに恥ずかしがるくらいなら、あんな思わせぶりなこと書かなきゃいいのに。公開されてる以上、ブログは俺たちだって読むんだぞ? なんなら左京さんのチェック前で非公開にされてたって、マイページ入れば読めるんだから」

 至はぐっと言葉に詰まる。千景の言う通りだ。あのブログを書いた時は、まだ舞台の余韻が残っていて、そんなことまで考えられなかった。
 あれでも、何度も何度も読み直して、どうにか読まれてもいいくらいにしたのだが、時間が経つと次第に照れくささが積もって、山のようになってしまったのだ。
 今も会社帰りの車の中で、言う言わないの押し問答。
 さすがに、言い合いながらの運転はまずいからと、路肩に停めてからエンジンを切ったのは、たぶん十数分ほど前。

「ちーがーさーき」
「ほっぺたつつかないでください、絶対言いませんからね」

 今からでもあのブログを消したい、と至は心からそう思う。いや今さら消したところで春組のメンバーには読まれてしまっているし、シトロンなんか公開と同時に飛びついてきたし、咲也も目をうるうるさせて喜んでいたし、綴はプレッシャー……と呟きながらも口許が緩んでいたし、真澄でさえが監督のためだとか言いながら嬉しそうだった。彼らについては、恥ずかしいが本心を綴っただけだし、構わない。
 しかし千景については、思わせぶりなことをしすぎたと後悔をしている。

〝伝えたいこと色々あったけど〟
 なんて書いたら、余計気になるのが人の性というものだ。しかも、〝揶揄われるの癪〟だなんて、どうぞ揶揄ってくださいと言っているようなもの。失敗した、と会社でもずっとそわそわしていた。

「仕方ないな……じゃあ、言うまでキスしないけど、いいの?」
「は?」

 至は思わず隣を振り向く。助手席では、楽しそうに笑う恋人がいて、腹が立った。その余裕面が崩れる時は、果たしてあるのだろうかと。
 何がなんでも、千景に伝えたかった言葉を言わせたいらしいのだが、至も素直に言うつもりなどなかった。

「そんな脅しに乗ると思ってるんですか」
「いや、これが茅ヶ崎には脅しになるって分かっただけでいい気がしてきた」
「……っ何それ、別に脅しになんかならないですよ!」
「今、そんな脅しにって言っただろ」
「う……」

 千景に、口で勝てる気がしない。至は項垂れて頭を抱えた。本当に、言葉でも敵わないし、キスのテクニックでだって絶対に敵わない。
 そこで、ふと考えた。
 至は顔を上げ、千景を振り向き直す。〝キスしない〟というのが脅しになると分かって、上機嫌に見える千景の顔を。
 ふぅん、と目を瞬いて、口の端を上げた。

「脅しにならないです。だって、先輩が俺にキスするの我慢できるわけないでしょ」

 にっこりと笑って言ってやると、千景はぱちくりと目を見開いて、驚いたようだった。まったく気分がいい。

「ね、せーんぱい」

 わざと体を千景の方に寄せる。千景はふっと笑って、指先を至の唇に当てた。

「そんなふうに俺を煽るなんて、悪い子だ」

 そうして至が寄せ足りなかった分の距離を、千景が埋めてくれる。助手席と運転席の真ん中で、そっと唇が触れ合った。
 本当は、殺陣でまた惚れ直しただとか、真剣にキャラ作りをしてくれて嬉しかっただとか、大事なことに気づかせてくれて感謝しているだとか、今度は一緒にゲームをプレイしたいだとか、色々伝えたいことがあった。本当に、たくさん、たくさん。
 だけど、そんな言葉が全部、彼の唇にさらわれていく。
 千景は分かっているはずだ。それでも今夜、ベッドの中でなら、言えるかもしれない。

「……行き先、ナビに入れるか?」
「……いえ、もう覚えてますよ、いつものとこでしょ」

 コンソールの上で手を絡め合って、至はエンジンをかけた。行き先は、いつもの秘密の場所だ。

「先輩、……もうひとつだけ」
「うん?」
「大好きですよ」
「知ってるよ、茅ヶ崎」

 千景が手を握る力を増やしてくれる。普段なら傲慢にさえ思うその言葉も、今は優しさに包まれていた。


2018/07/01
イベント無配
  
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