華家



ねがいごとひとつ

 中庭が、いつものごとく騒がしい。
 この劇団に入団して、ここで過ごしていくと決めてから、およそ騒がしくなかった日などないのだが、今日は一段と騒がしいような気がした。
 今日は7月7日、七夕という日らしい。
 その行事の由来などは知っているが、そういったお祭り騒ぎに参加しようなどと、今まで思わなかった。そもそもがそういう行事に疎かったし、たまに知ったものがあっても任務だったり、独りきりだったりと、なかなか体験することがなかったのだ。

(アイツがいたら、やってたのかな。密も引っ張ってきて、短冊に願い事とやらを書くんだろう)

 千景は、リビングや談話室で書いた短冊を我先にとつるしに行く劇団のメンバーたちを少し離れたところから眺め、あの時離れるまで一緒にいた大切な家族を思い起こした。
 織り姫と彦星が年に一度逢えようとも、もう二度と逢えない大切な家族。反吐が出そうなほど胸くそ悪い組織に属していながらも、あの時は確かに幸福だったと、千景は唇を引き結んで拳を握った。

 今この瞬間が、幸福でないわけではない。
 あんなことをしでかした自分を受け入れてくれたこの劇団には感謝しているし、命に代えても守り抜くと決めている。

 だけど、寂しい。
 あの男がいないことが、とても、寂しい。

 もし彼がここにいたら、満面の笑みでみんなの輪の中に混ざっていただろう。彼にみんなを逢わせたかった。みんなに彼を逢わせてみたかった。

「っしゃ、会心の出来」

 楽しそうな声が聞こえた。千景がそちらを振り向けば、今まさに短冊を書き終えたらしい、茅ヶ崎至の姿。
 意外だなと思った。至が、こういう行事に参加するなんて。職場での彼はもちろん、ここでの彼はゲームにしか興味がないのかと思うほど、引きこもりだ。それでも恋人関係になってからは、外に出るようになったのだとか。しかし外とは言っても、結局は屋内に行くようなものだから、日を浴びないのは変わらない。

「茅ヶ崎も、短冊つるすのか?」
「まあ、便乗しなきゃソンですし? 一年に一度、恋人に逢えて織り姫も彦星も浮かれてくれてるうちにね」
「……へぇ。あんまりかわいげない答えだな」
「ハハッ、かわいげとかワロス」

 成人した男に、と至は肩を震わせる。曲がりなりにも恋人なのだから、多少は可愛いと思うこともあるのになと、口には出さないで千景はため息だけ吐いた。

「それで、なんて書いたんだ。随分時間かかってたみたいだけど」
「ん? コレです」
「……〝単発SSR祈願〟?」

 至は千景に得意げに短冊を向けてみせてくる。いったいどんな壮大な願い事が書かれているのかと思ったら、なんてことはない、いつもの茅ヶ崎至だった。これは果たして安堵していいものかどうか。

「ちょうど、そろそろ推しのイベントが始まるんですよね。だからこうして祈願を」
「お前……俺をノーロマンだのなんだの言うくせに、そっちも大概ロマンがないぞ」
「うるさいですよ。推しのSSRは究極のロマンです」
「はいはい」

 言って、至は短冊をつるしに笹の方へ向かっていく。そんな彼を笑顔で迎える他のメンバーが、なんとも微笑ましい。至も楽しそうな笑顔で、ここは彼にとっても居心地のいいところなのだろう。
 そういうところだからこそ、自分をさらけ出した願いを書けるに違いない。

 自分の背で届くところにつるせばいいものを、空に近い方がいいと思ってか、少しかかとを上げて笹に手を伸ばしている姿が、携帯端末の画像フォルダに収めたいくらいに可愛らしい。
 無意識に口の端を上げるけれど、彼を愛しいと思えば思うだけ、後ろめたさと寂しさが体の中に降り積もる。

 大切な人が、傍にいなくて寂しい。
 それなのに、笑っていられることが後ろめたい。

 こんなに簡単に幸福になっていいはずがないのに、湧き上がってくる温かな想いがある。
 それと同時に、簡単に願い事が書けてしまう至を羨ましいとさえ思う、黒い気持ちが這い上がってくる。

「ねえ、先輩の短冊見つからなかったんですけど、ちゃんとつるしました?」
「自分の終わったのになにをしてるのかと思ったら、探してたのか?」

 短冊を無事につるし終わって、満足そうな顔をしているかと思ったが、千景のもとに戻ってきた至は不満そうな顔つきだった。いや、不満というよりは、不安そうだった。
 探し足りなかったかなと、笹を再度振り向く至に、安心させてやろうという思いで口を開いた。

「心配しなくても、お前は見落としてないぞ茅ヶ崎。俺は短冊書いてないから」
「え?」

 恋人の短冊を見落としてたまるかという思いでもあったのだろうと、千景は笑いながらそう続けた。だけど予想に反して、至はさらに不安に駆られた顔つきで振り向いてきた。

「書いてないって……なんでですか? 短冊、まだいっぱいありましたよ? 真澄なんか、一枚じゃ足りないって3枚くらいにびっしり監督さんへの愛の告白書いてて……や、あれは願い事になってないけど、さらに二つ並べるとハートになるってヤツもあったし」
「うーん、願い事とかないっていうか、思いつかなくてね」

 白紙の短冊がなかったわけではない。今からでも書きに行こうと、指先を掴んで引っ張りかける至をやんわりと制した。

「願い事……ないんですか……?」
「そうだな。まあ、大抵のことは自分でなんとかするし」

 ひとつ嘘をついた。願い事がないわけじゃない。叶いそうもない願いがあるだけで。
 願い事なんか書けやしない。あの楽しそうな輪の中に入っていく勇気もない。

「紙切れに書いた願い事が叶うなら、俺は何枚でも――」

 何枚でも書くのに、と言いかけて、ハッと口をつぐんだ。

「いや、なんでもない」
「……ない、の、か……」
「茅ヶ崎?」
「…………なんでもないです」

 至は掴んでいた千景の指先をするりと放して、俯いて顔を背ける。寂しそうで、残念そうで、いったいどうしたのかと訊ねかけたけれど、パッと上げられた顔に遮られた。

「さすが、ノーロマン先輩ですね。ま、先輩に短冊の願い事とか、ハードル高かったんでしょ」
「あのな茅ヶ崎」
「俺、部屋に戻りますね。デイリー課題まだ終わってなくて」

 肩を竦めて、至は本当に部屋へと戻っていく。もしかして願い事を確認してからかいたかったとか、こっそりサプライズで叶えたかったとか、そういうことをしたかったのだろかと考えてみるも、至自身の願い事も大概ロマンがなくて、そんなに可愛らしいことを考えているとは思えなかった。
 千景は、不思議に思いつつも、ハードルが高いのも事実だなと苦笑して、綺麗に飾られた笹を振り仰いだ。





 その日の夜、月にかかっていた雲も空気を読んで退散し、空には綺麗な天の川が流れた。
なぜかいつもよりほんの少し豪勢な夕食を団員みんなで楽しんで、それぞれが思い思いに過ごし――たと思う。
 ただ、至の元気がないなと思ったのは、千景だけだろうか。笑ってはいるものの、ぎこちないような気がした。ため息も、多かったような。
 どうしたんだ、と訊いていい間柄ではある。会社での先輩後輩であり、ルームメイトであり、それ以上の関係でもあるのに、しょんぼりと落ち込んでいるように見える背中に、どう声をかけていいのか分からなかった。

「千景」

 不意に呼ばれて、千景はそちらを振り向いた。相変わらず気配のない、御影密だ。彼も、大切な家族のひとり。

「なんだよ」
「見せたいものがある」
「はァ?」

 昔からの癖もあり、密に接する時は他の団員より雑な対応をしてしまう。あの頃の日常を思い出せるせいか、変えようとは思わない。密と仲がいいですもんねと、至がたまに頬を膨らませるのも知っているが、至が本気でどうにかしてほしいと願っているわけではないことも知っているから、密との距離感を変えようという思考はなかった。

「見せたいもの?」
「外。っていうか、屋根……」
「屋根? 意味が分からん、ひとりで寝てろ」
「千景が見なきゃいけないものが、ある。……登れない?」
「ふざけるな」

 密の方も大概扱いが雑で、遠慮のなさが浮き彫りになる。だけどこれは、本当に昔からだ。
 彼が――オーガストがまだ、生きていた頃からの。

 千景は密に挑発されるがままに、2階の回廊から軒に手をかけ、壁を蹴り上げて体を宙に舞わせ、屋根に手をついて降りる。密の方も軽い身のこなしで登ってきた。ふたりでこうしていると、組んで任務に就いたことを思い出す。
 だが、心なしか嬉しそうな横顔は、そんな昔を懐かしむためではなかっただろう。

「それで、なんだ。二人で月見でもないだろう」
「あれ、さっき見つけた」
「は? 笹じゃないか。見つけたもなにも、昼間からずっと飾ってあるだろ」

 密が指を指したのは、寮の壁に沿わせるように立てられた、笹。2階を覆い、屋根にまでかかっている。大きいわけではなく、少しでも空に近いようにと、大分底上げして立てられているせいだ。
 だがその笹は、千景だって見ている。立てるのを手伝わされもした。それなのに、密は何を見つけたと言って人をこんなところまで駆り出したのか。

「あそこの短冊。緑色の」
「え? ……ああ、誰だあんなとこに」
「立てる前につけたんだと思う……至が」

 密が口にした名前に、千景は目を瞠った。
 笹の、ひどく先端の方に、エメラルドグリーンの短冊が見える。下からでは絶対に確認できない位置だ。笹の色と相俟って、あると知って見なければ埋もれてしまいそうなものでもある。この屋根の、この位置からしか、見られない。

「え、でも、茅ヶ崎の短冊、違うヤツだったけど……」
「2枚書いたんじゃないの……名前ないけど」
「は? 名前がないんだったら、アイツのとは――」
「さっさと読んで、千景」

 オレは早くここで眠りたいと続ける密に、部屋で寝ろと悪態混じりに返してやりつつも、風に揺れる短冊を注視してみた。

〝先輩の願い事が叶いますように〟

 目を見開く。
 これは確かに、茅ヶ崎至しか書けないものだ。この劇団で卯木千景を〝先輩〟と呼ぶのは、彼しかいない。
 千景は、心臓から沸騰した血がせり上がってくるような感覚に襲われて項垂れて頭を抱えた。
 至の元気がなかった理由はこれか、と理解できてしまう。
 せっかく願い事が叶うようにと祈ったのに、千景はその願い事がないと言ってしまったせいで、無駄になってしまったと落ち込んだのだろう。それでもなんでもないように振る舞って、いつも通りゲームにいそしむふりをしたのか。
 そう思うと、彼がいじらしくて仕方がない。

 本当の願いをかけらも知らないで、無責任にも叶うようにと祈ってくれた彼が、どうしようもないほど愛おしい。

「アイツは俺を昇天させたいのか……」

 願いはひとつだった。
 もう一度オーガストに逢いたい。
 そのためには、彼がこちらに降りてくるか自分が昇天するしかないのだが、別の意味でも昇天しそうである。

「馬鹿なヤツ……」
「千景、ニヤニヤしてて気持ち悪い」
「うるさい、アイツには言うなよ」
「マシュマロ」
「…………明日買ってきてやる」
「楽しみ」

 千景はひょいと器用に屋根を降り、迷うことなく103号室へと向かった。

「どこ行ってたんですか?」
「ん? ちょっと」

 部屋のドアを開ければ、ソファでいつも通りゲームを楽しんでいるように見える至の姿。それでも指先の動きがいつもより鈍くて、無駄に落ち込ませてしまったんだなと、千景は反省することしきり。

「願い事ね、あったんだ」
「え? そうなんですか……って、は!?」

 そんな至の隣に腰をかけ、肩に頭を預けた。こんなことをするのは初めてかなと思ったら、間違っていなかったようで、至があからさまに動揺してゲーム機を床に落とした。

「あ"ッ、やべっ……」
「……拾わなくていいの?」
「え、あ、あの、でも」

 至はそれでも、拾おうとしない。きっと拾おうとすれば千景の頭がずれてしまうからに違いない。触れていたい、触れられていたいという思いがあるようで、千景はホッとして口の端を上げる。
 同じ思いだと。

「あの、それで、先輩の願いって……?」
「話せない」
「は?」
「今はまだ、話せないんだ、俺の願い」
「何それ」
「だから、話せる時がきたら、聞いてくれる? 茅ヶ崎」
「焦らしプレイキタコレ」

 できることなら叶えさせてあげたかったのに、とでも思っていそうな横顔をちらりと盗み見て、千景は続ける。

「茅ヶ崎はマゾだから大丈夫だろ」
「マゾプレイはゲームに限ります」
「うーん、まあ、死ぬ時くらいには、言えるかな?」
「いつだよおつおつ」
「鈍いなあ、やっぱりお前もノーロマン」
「意味が分かりません」
「その時まで、ちゃんと一緒にいろってことだ」
「え、は、…………え?」

 千景は、至が意味を把握できるまで待ち、彼が驚嘆で口を覆ったのを確認して、その手を剥ぎ取って唇にキスをした。


 願い事はひとつだった。
 ひとつだけのはずだった。
 増えた。きっとこれから、彼の傍でもっと増えていくに違いない。


 いつかまたオーガストに逢えるまで、傍で、ともに――。



2018/07/07
お題は「七夕」
  
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