華家



2.22のガチャ事情


 どうしたものか、と、茅ヶ崎至は頭を抱えていた。抱えてとはいっても気分の問題で、実際に頭を抱えているわけではない。そんなことをしたら、せっかくの新規配信の画面が見えなくなってしまう。
 至は両手で携帯端末を持ち、もう二十分ほど悩んでいた。
 というのも、今日限定のレアカードが配信されているからだ。二月二十二日ということでにゃんにゃんにゃんの、既存キャラが猫みみ姿になっているという、なんともベタなもの。
 しかしベタはベタだけあって萌える要素がてんこもりなのである。
 公式のお知らせで見られたレアカードは、進化前も進化後もデザインがよく、またキャラの表情もとてもいい。しかも今日限定とあっては、ガチャを回さざるを得ない。

 が、しかし。

「物欲センサー……」

 欲しい気持ちを気取られすぎているのか、何度回しても目当てのレアカードがきてくれない。
 もうここはさらに・・・課金して出るまで回すくらいしか思いつかない。
 いつもなら純真無垢な咲也の手を借りるのだが、今は深夜だ。真面目な咲也はもう眠っているかもしれない。起こすのも忍びない。
 ならば朝まで待てばいいと他人は言うだろうが、待てない気持ちほど厄介なものはないのだ。
 もう一回。もう一回だけ回してみよう。そう思って、十連のガチャを回した。

「……マジ最悪。出現率上げろよ運営……っ!」

 結果は、レア度で言えば高めのカードがきたものの、目当てのものではなかった。
 もう何度回したのか分からないが、こういうものは回した数を覚えていたら負けなのだ。

「あれ、まだ起きてたのか、茅ヶ崎」

 その時、小さなノックのあとにドアが開く。一応ルームメイトである、卯木千景のご帰寮だ。至はソファの上で、千景を振り向きもせずに画面を凝視しながらお帰りなさいと声を返した。

「遅かったですね、先輩。最近はこっちでまともに寝るようになってたのに」

 千景は、職場の先輩でもある。海外出張が多く、接する機会はあまりなかったが、MANKAIカンパニーに入ってから、同室ということもあり、コミュニケーションは多くなってきた。だがしかし、いまだに謎だらけ、本質など見えてこない相手だ。
 他人がいると寝られないらしく、公演前は本当にこの部屋で眠ることはなかった千景だが、どんな心境の変化があったのか、公演が終わってからはちゃんと部屋で過ごすようになっていた。
 ゲームの邪魔をされなければ別に構わないし、他人に干渉されるのが苦手な部分は共感できるし、してもらえている。至にとって千景は、実に都合のいいルームメイトだった。

「ああ、ただの性欲処理だ。本当に面倒だよな」
「あ、なーる。……あんまりそういうこと言わない方がいいんじゃないですか? うちの劇団って、結構純粋培養多いから」

 人である以上、本能として性欲は正常なものだ。それをどう処理するかはひとそれぞれであり、至が口を出すことではない。
 ただ、千景の言葉を振り返るにあまり褒められた行為ではないようだ。オトナの世界を知らない者が聞けば、軽蔑さえしそうである。

「ああ、それは分かるよ。からかう材料にはなるけどね。とくに咲也や綴なんかそうだろ。あいつらどうしてるんだろうな、こういうことの処理」

 千景もそれは理解しているようで、言う相手は選んでいるらしい。確かに至なら、純粋でもないし特に悪意もない。ルームメイトとして、お互いに必要な距離というものを、心得ていた。

「たまに思うんだよね。性欲とか全部、なくなればいいって。もともと欲しいものなんかないし、余計なんだよ。ああ、スパイスは別。あれは神の域だからな」
「先輩の物欲って、スパイスにしか反応しないんです? 女の子とか、お金とか、あるでしょ、いろいろ」
「ないよ。俺が欲しかったのは、……あいつら・・・・だけだったからな」

 ふ、と笑う呼吸が聞こえた。至はそれを不思議に思って、初めて端末から視線を背け、千景を見やった。眼鏡の奥の瞳は寂しそうに揺れていたが、これは訊くべきか。訊かないでおくべきか。

(……たぶん、後者。そういうことを俺に望む人じゃない)

 至は瞬きひとつ、ルームメイトとしての必要な距離を保ったまま、端末の画面へと視線を戻した。そこで、はたと気がつく。

(物欲がない? つまり、欲しくない・・・・・? ……センサー回避アイテムキタコレ)

「せーんぱい。ね、ちょっと頼まれてくれません? 画面のここ押すだけでいいんで」

 そう言って、千景に端末の画面を向けてみせる。千景は心底嫌そうな顔をして、嫌だとそっぽを向いた。

「ほんの一秒指貸してくださいってだけじゃないですか。つれないなあ……」
「それをすることに対して、俺のメリットはないな」
「俺のゲームライフに潤いを与えられるじゃないですか。ちなみにレア引けなかったらコロス」

 にこやか笑顔から一転、細めた目で千景を睨みつけると、彼は肩を竦めて息を吐く。メリットどころかデメリットだけだと。

「茅ヶ崎は本当に裏表が激しいよな。うすうす感づいてはいたけど、ここまでとは思わなかった。そんなに欲しいカードなのか?」
「ゲームは俺にとっての神の域なんで。このガチャ今日限定なんですよ。にゃんにゃんにゃんの日で猫耳つくあれ」
「……欲しがる理由が分からないけど、引けるまで頑張れば?」
「引けないから、先輩の指貸してって言ったんでしょう。物欲センサーに引っ掛かって推しがこない」

 千景に力を貸してもらうのは諦めて、単発で回してはみたものの、やはりこない。がくりと項垂れて端末を手から離すと、珍しく千景が隣に腰をかけた。

「指、ねぇ……色気があるんだかないんだか」
「え、なんですか? あ、ちょっと」
「大丈夫、画面は触らない。……ふうん? これが茅ヶ崎のハマってるゲームなのか」

 千景が至の端末をひょいと持ち上げ、つまらなそうに首を傾げる。興味もないのだろうなと思うより先に、ふわりと香る香水の匂い。

(……あれ……)

 慣れない香りだ。言葉で認識するより早く、脳がそう認識していた。千景の香りではないと。

「先輩、これ」
「なあ茅ヶ崎、物欲センサーって、これを欲しいと思わずに回せばいいんじゃないのか?」

 この香りは誰の、と訊こうとして、訊く理由がないのに気づく前に、千景が端末を返してくる。そんな分かりきったことを、さも名案だと言わんばかりに告げられて、むっと口が尖った。

「それができれば苦労しないですよ。だから物欲のない先輩の指貸してって――」

 そんな至の顎を、千景の指先が撫でる。ほんのわずかな力で振り向かされたと思った次の瞬間、口唇に何かが触れていた。

「ああ、聞いたよ。それに対して、俺のメリットがない、と返したな?」
「……な、ん」

 すぐにその感触はなくなったとはいえ、今のが何だったのかくらい、分かる。
 
 それは確かに千景の口唇だった。

 至は目を見開いて、目の前にある千景の顔を凝視した。

「キスしたくらいで、なにを驚いてんだ? 童貞じゃあるまいし」

 ニ、と口の端をあげる千景にハッとして、至は眉を寄せながらも舌先でぺろりと口唇を舐め、挑発的に笑ってやった。

「まさか」
「そのカード欲しいって思う余裕がなくなればいいのかな? 今ボタン押せばよかったのに」
「理屈は分かるんですけどね、ガチャ回す暇なかったし、そもそも先輩とキスしたって推し欲おさまるわけないし」

 意識を他のものに向けさせて、物欲がダダもれていないその隙にガチャを回せばいいという理屈は分かる。
 分かるが、分かりたくない。

「へえ、言うなあ」

 肩に、千景の手が回される。そのまま引き寄せられて、吐息が感じられるくらい近づいた。

「じゃあもう一回試そうか」
「ハハハBL展開キタコレ。冗談はここでやめといてくださいね、先輩、――」

 千景の特技は嘘を操ることだ。それは劇団での公演を経て知っていたし、どこまでが本気でどこからが嘘なのか分からないのも、ゲームとしてはおもしろかった。
 だけどまさか、本当に。

「んぅっ……!?」

 本当にもう一度試して来るなんて思わないだろう。
 触れて、覆ってきた千景の口唇に目を瞠るも、入り込んできた舌先に、反射的に目を閉じてしまった。
 ぬらりとした舌が、至をすくい上げる。つんと舌の裏をつつかれて、逃げたつもりが捕らわれて、強く吸い上げられた。

「んんっ……! んぐ」

 舌を絡めて引っ張られ、千景の咥内へ誘われる。千景は至の中を荒らし、互いの真ん中で舌が絡み合った。

「ふ、……ぅっ……ん、は」

 舌のサイドをなぞられ、びくりと腰が揺れたのを自覚する。ちゅ、ちゅうと立てられる音はわざとだと分かっていて、羞恥が競り上がってきた。

(まずい……っていうか、ヤバ……)

 千景相手に、抵抗がない。それどころか、気持ち良くなってきてしまっている。別に経験のない童貞じゃあるまいし、キスなんかで物欲を消せるとは思っていない。

「ん、んん……ふぁ」
「茅ヶ崎、駄目だろ……まだだ」

 かたかたと手が震える。ガチャのボタンを推したいわけではない。もう少しキスをしたいだけ――そう思ってしまったことに気がついて、千景を押しやった。

「先、輩」

 だけど許してくれず、また引き戻される。口唇が再び覆われる直前に見えた、眼鏡の奥の瞳は、面白そうに輝いていた。

「う……んぅ」

 じぃんとしびれるほど、甘い痛みが至を覆う。酸欠のせいか、それとも浮される快感のせいか、頭がぼんやりとしてくる。鼻孔を通っていく香りが千景の香水でないことに若干の苛立ちを感じながらも、舌と一緒に絡められた指先に胸が高鳴った。

「茅ヶ崎、こっち……ここ、な……ほら、いいよ、押して」

 促された指先が、端末の画面を撫で、押したようだった。
 独特の、それでも聞き慣れた機械音が耳に入ってくる。

「え、あっ?」

 思わず顔を離してしたを向き、画面を確認する。今度は難無く離れることができて、ほんの少し、寂しい。だがそんな寂しさにもキスの余韻に浸る暇もなく、至の目は見開かれることになる。
 知らないうちに回されたガチャは十連の方。これを最後に、必要な石が消費された状態だった。

「マジか」

 だが至が目を見開いたのは、石を消費してしまったからではない。画面に、欲しかった限定SSRが表れたからだ。

「っしゃあ!」

 思わず拳を握り、スクショまでぬかりなく撮ったところで、目が点になる。
 続けざまにもう2枚、出現率がそう高くないはずの限定SSRが開かれた。

「…………神引きキタコレ」

 いっそ、うさんくさいほどの好運に、テンションが上がりすぎて逆に冷静になってしまう。

(これは夢だ夢にちがいないそうに決まっている、だが何かの間違いでこれが現実だったとして、このあとバグでも起こったら困るしスクショだけでも撮っておこう)

 十連のカードが表示された状態でスクショを保存し、何かあってもこれを証拠に運営に問い合わせをしようかなどと、普段なら考えが及ばないことにまで意識が回った。

「欲しいのきたみたいだな。ハハッ、にゃんにゃんにゃんで三枚、ってとこかな?」

 千景の楽しそうな声にハッとして、彼の存在を思い出した。振り向いた先では、濡れた口唇を拭い笑う男。

「茅ヶ崎、お礼は?」
「…………………………アリガトウゴザイマシタ」
「棒読み。まあいいけどな。それなりに楽しめた」

 千景のおかげかは分からないが、物欲どころではなくなったのは、確実に千景のせいである。三枚のSSR、進化させるには充分で、コレクションとしても申し分ない結果。
 たかがキスのひとつやふたつ、目くじらを立てることもあるまいと、至は顔を引き攣らせながらも礼を告げ、大仰に息を吐いた。

「次も俺を頼れよ茅ヶ崎。夜中に咲也起こすんじゃないぞ」
「先輩頼るくらいなら、咲也が起きる時間まで待ちますよ」

 そうだ、たかがキスのひとつやふたつ。
 気持ち良かったなんて認めたくもない、キスの、ひとつや、ふたつ。

 至は、足元から競り上がって来る羞恥心をどうにか悟られないようにと、ゲームの画面に集中する。せっかく引けたSSRを進化させて育成して、ゲームに役立てよう。

「明日も仕事だろ。って、もう今日か。早めに寝ろよ、起こす義理はないからな」
「余計なお世話です」

 千景は満足そうにソファから立ち上がり、ナイトウェアに着替えて自分のベッドへ上がっていった。

 声は震えていなかっただろうか、手が震えているのは気付かれなかっただろうか、顔が赤いのは気付かないでいてほしいと、逸る心臓を押さえようとした、その時。

「あ、そうだ茅ヶ崎。ルームメイトだから一応言っておくけど」

 ベッドの上から身を乗り出して、千景が楽しそうに見下ろしてきた。


「俺、女の子嫌いなんだよね。おやすみ~」


 それだけ言って、千景は体を引っ込める。
 ガゴン。
 至の手から落ちた端末が派手な音を立て、千景のベッドの方からかすかな笑い声。

「え、…………ガチで?」

 至の小さな呟きには、誰もなにも返してくれない。
 千景の、どこまでが冗談なのか分からないその一言で、至はその夜一睡もできなかったという。



2018/02/22
にゃんにゃんにゃんの日
  
designed