華家



Are you ready?


 万里の口唇が、そっと重なってくる。押しつけるように触れてくるその口唇は、無理に紬を暴こうとはしてこない。右の端、真ん中、左の端、ゆっくりと移動し、口唇で挟むように触れてくるだけ。
 首筋を撫でる指先がくすぐったい、と少し身を引けば、そこでようやく追いかけてくる。がっちりと肩を抱かれ、紬には逃げ場がない。もっとも、万里の腕から逃げるという発想自体、今はかけらもないのだが。
「紬さん」
「え、……っん」
 名を呼ばれて、何だろうと訊ねるように口許を緩めたら、その隙に舌先を滑り込ませてくる万里。力強い万里の舌先にすでに捕らわれて、紬は万里のシャツを握る手に力を込めた。
 ――――ずるいなぁ、万里くんは。
 この男はタイミングというものを心得ている。紬が受け入れてくれるタイミングで肩を抱き、視線を合わせ、ゆっくりと口唇を合わせ、舌先を滑り込ませて、紬の中を万里で一杯にしてしまうのだ。
「んん……っ」
 口の中で舌の表と表が合わさって、絡め取られて口唇の間に隙間がなくなる。鼻から抜けていく音を楽しむかのように、万里は何度も角度を変えて、紬を味わってくる。思考回路がぼんやりとして、じんわりと熱が広がってくる。その熱の名前は紬も知っていて、だけどどうしたらいいのか分からない。
 ――――年下の男の子なんて、どう扱ったらいいのか分からないよね……。
 深いキスを受けながら、紬はそっと目蓋を持ち上げる。すぐに万里の綺麗な頬と長い睫毛、見慣れてしまった彼の髪が目に入ってきて、落ち着かないと再び目蓋を閉じた。
「つーむーぎーさん、何考えてんの?」
「えっ?」
 その様子に気がついたのか、万里がようやく口唇を離してくる。少し物足りないと感じてしまったのは、言ってもいいのかどうか。だが今の紬には、目の前で少し怒ったような表情をする万里の真意を確かめる方が重要だ。
「今、なんかちょっと呆れたような呼吸の仕方だったんだけど? ん?」
「そんなことまで分かるの!?」
 驚いてから、しまったと思った。これでは肯定したようなものではないか。事実、万里は肯定されたと受け取ったようで、片方の眉がつり上がった。本当に、年下の男の子というのは扱いが難しい。いや、自分自身でさえ扱いが難しいのに、他人なんて簡単に扱えるものか。
「……あのさ。俺、紬さんのことマジで好きなんだよね」
 じ、と見つめられ反応に困っていると、怒ったような表情から一転、ため息とともに万里はすいと体を引く。肩にあった温もりもなくなってしまって、紬は目を瞬いた。
「……うん」
 それは知ってる、と紬は心の中で思う。万里なら声をかければ女の一人や二人や三人や四人五人寄ってくるだろう。いや、むしろ向こうから声をかけてくる。それなのに、同性である紬相手に、こんなキスをしてくる理由。
「前も言ったと思うんだけど、アンタの嫌なことはしたくねーと思ってる。けど好きならキスもしてぇしセックスだってしてぇの。……ヤなら、言って」
 何もかもがうまく行きすぎて、人生のすべてがイージーモードだったと、いつか訊いたことがある。ゲームのようごは紬には分からないが、何でもこなせてしまうという意味なのだろう。だけどそれは逆に、寂しいことだ。何にも熱くなれない。打ち込むものが何もない。これだけは、と誰かに自慢できるものがないのだ。
 そんな彼が、今夢中になっているものがあるという。
 芝居と、紬。
 万里に好きだと言われた頃は紬も自分のことで精一杯で、その次に自身がリーダーを務めている冬組公演のことで頭がいっぱいで、とてもじゃないが恋愛なんて考えられなかった。今だって自分自身に精一杯で、劇団のことで頭がいっぱいだけれども、他の団員たちに目を向ける余裕も出てきた。冬組は個性的なメンバーばかりだが、それは他の組にも言えること。旗揚げ公演を通して、疎遠だった幼馴染みとも仲直りできたし、毎日が、楽しい。
 とりわけ、このカフェラテのような髪色をした彼と過ごすのが、楽しい。
 いつでも自信に満ちた瞳と仕草。言動からもそれは見て取れるのに、紬に関することでだけ、彼はその色を隠すのだ。
 紬が何を考えて、何を思って受け入れているのか、分からないからだろう。不安そうに視線を逸らし、戸惑う指先を無理に握り込んで、ダメだというラインを越えないようにしている。
 ――――万里くんは、ずるいな。
 知らなかった感情を、どんどん紬に植え付けていく。
 年下の男の子に好きだなんて言われて戸惑う気持ち。
 年下の男の子をかっこいいなあなんて思う気持ち。
 年下の男の子が可愛いなんてむずがゆい気持ち。
「万里くん」
 紬の両手が万里の頬を包み、自分の方へむけさせた市で固定する。ぱち、と瞬いた瞳をじっと覗き込んで、静かに音にした。
「俺、あんまり嫌だとかしたくないって思うことってないんだよね。あ、人の悪口は嫌かな。でも、したいと思うことが、少なかった。植物の世話と、好みのカフェ探すことと、今は、芝居」
「……充分あんじゃん。花、好きなの知ってっし」
「あとはね――万里くんとの」
 そうして紬は自ら顔を寄せて、万里の口唇に自分の口唇を重ね、離す。
「キャンディみたいなキスかな」
 離したあとの万里の顔は、面白いほどに茫然としていた。



2017/05/03
【装丁】A5/68P/600円/R18
万里→紬、十座→左京の状態で、ほだされた形で関係が始まったふたつのカップル(万紬+十左)。それぞれの夜と、それぞれの朝、紬+左京の、パートナーに対する思いと、万里+十座のパートナー自慢……?かな……?
  
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