華家



Strawberry


 ふう、と息を吐くタイミングが重なって、どちらからともなく視線を合わせて笑い合った。

「平気っすか?」
「ん……だいぶ慣れた……」

 紬はベッドに腕を投げ出して、疲労に包まれる体に休息を与える。そんな紬の髪をそっと撫でてくるのは、今の今まで繋がり合っていた恋人の手のひらだ。

「だろうな。一昨日より楽にできたし。やり方っつーの? 覚えてきた感じ。お互いに」
「うん、そんな感じだね……ねえ、万里くんも気持ち良かった?」

 その手のひらにすり寄って、紬は訊ねてみる。恋人である万里の頬が、さっと染まったように見えた。気持ち良かったかと訊いてくるくせに、訊かれるのは恥ずかしいとでもいうのだろうか。

「よ、良くなかったらイッてねーし……。なんか、紬さんにそういうこと訊かれっとすっげぇ照れくさい」
「なんで。俺には散々訊いてくるくせに」
「う……」

 明瞭な万里にしてはめずらしく、言葉が詰まる。促すように、今度は紬が万里の髪を撫でた。ベッドに突っ伏して、万里は言いにくそうに小さく紡ぎ出す。

「俺、今までさ……誰かとヤんのなんて、自分が気持ちよけりゃいーやって思ってて、相手のことなんて考えてなかったっつーか」
「前の彼女?」
「彼女って言うんかなあれな……って、イタタタ、イテ、痛いって紬さん、耳引っ張んなよ」
「ああごめん、ただのヤキモチ」

 お互い、劇団に入るまでは見も知らない相手で、恐らく街ですれ違ったことさえなかっただろう相手だ。過去があるのはどうしようもなくて、異性の肌を知っているのもどうにもしようがないことだ。だけどそれでも、嫉妬というものは生まれてしまう。紬は万里の髪を撫でていた手を、無意識に耳に移動させ、八つ当たりのように引っ張っていたらしい。

「もー……、仕方ねーじゃん、紬さんのこと好きになるまで、マジでこういう気持ち知らなかったんすから……」
「……万里くん、初恋?」
「そっすね。アンタは違うだろーけど」
「うーん……、それは、そうかも……いたたた、耳、引っ張んないで」

 初恋はとっくに経験していたという紬の耳を、今度は万里が引っ張る。ふてくされたような顔が可愛らしくて、紬はゴメンねと鼻先にキスをした。

「……いーけど。俺が、アンタの最初じゃなくても、最後なら」
「……うん、俺も、万里くんの最後がいいな」

 いつか終わってしまうことなんて考えない。お互いに、お互いが最後であればいいと願って、口唇に触れる。髪を撫でてくれる万里の手が心地良くて、また一回り、気持ちが大きくなっていく。

「……だからさ、俺。紬さんのこと好きになったら、全然世界が違って見えんの。自分が気持ちよけりゃいいなんて思えねぇっつーか、紬さんのこと気持ち良くしてやりたいっつーかな。ちゃんとできてんのか、確認してぇの。……紬さん、気持ち良かった?」

 紬は、ぱちぱちと目を瞬いた。気持ち良かったかと訊かれるのは別に嫌なことでもなかったし、恥ずかしい気持ちはあったけれど、意地悪をするためではないと知っていたから、ちゃんと応えてきたつもり。だけどまさか、万里がそんな風に考えて訊いてきていたとは思わずに、きゅうと胸が締めつけられた。

 ――――かわいいな……かわいいなあ、もう。

 普段あんなに自信満々な万里が、こんなときだけ不安そうな顔をする。紬に対することだけ、万里が違う表情を見せる。それがかわいくて、嬉しくて、口許を緩めた。

「すごく気持ち良かったよ、万里くん。優しくしてくれて、ありがとう」

 万里の表情がホッと安堵したものに変わる。
 万里ほど頭が良ければ、気がつくと思っていたのだが、どうやら恋に関してはそうでもないらしい。万里が、「紬さんに気持ち良くなってもらえたか知りたい」と思うのと同じように、紬だって「万里くんに気持ち良くなってもらえたかどうか知りたい」と思って訊ねていることに。

 ――――自分だけじゃ、駄目なんだよね。恋って、こんなにくすぐったいものだっけ。

 愛しいなあと、なんのてらいもなく思う。高校生の男の子相手に、こんな風になるなんて思っていなかったけれど、幸福な気持ちでいっぱいだ。

「よかった、アンタ全然拒まねーから、どこまでしていーのか分かんねぇし」
「そう? 嫌なときはちゃんと嫌って言うよ、俺」
「ん、よろしく」

 ホッとしたのか、万里はベッドに体を預けて目を閉じる。紬は両肘をついてそれを見下ろし、こんなときだけ年相応に見える万里の顔を楽しんだ。

 ――――綺麗な顔してるんだよね、万里くんて。モテるんだろうなあ……俺がクラスメイトだったりしたら、放っておかないけど。……あ、無理、万里くんみたいにカッコイイ子に声かけるなんて、絶対できない。それを考えると、劇団で出逢えてよかったよね……。

 そっと、鼻筋を撫でる。指先で、ふに、と頬をつついてみる。

「くすぐって……」

 そうは言いながらも目蓋を持ち上げもしない万里に、紬は笑う。気を許してくれているのかなと、あやすようにも髪を撫でた。
 汗でしめった髪は、それでも指をするりと抜けていく。

「万里くんの髪って、さらさらだよね……」
「あー……そーかも。おかげでセットしづらいんすけどね。ワックス使わねーと全然まとまんなくて」
「ふぅん」

 万里は自分の見た目が良いことを知っている。さらに、どう見られているかも知っている。その期待に応えられるだけの心の余裕があって、いつも身だしなみには気を遣っているらしい。

 ――――その万里くんが、俺の前ではこんなに乱れるんだよね。もっと、俺しか知らないことがあればいいのに。

 セットが崩れた万里の髪が、律動に伴って揺れる様を、紬は何度も見てきた。荒々しい呼吸とともに、紬さんと呼ぶかすれた声とともに、滴る汗とともに、自分の上に降ってくる様を、何度も感じてきた。

 ――――俺しか知らない万里くん……。

 紬は、万里の髪を一房すくい上げる。それを三つにより分けて、順番を間違わないようにゆっくりと編んでいった。

「ちょ、なにしてんの紬さん。おーい」

 万里の瞳が届く場所ではない。紬が何かをしているということくらいしか分からないようで、万里は笑いながら訊ねる。

「ん、だめ、動かないで」
「なんすかそれ……」

 紬は万里の抗議も訊かずに、髪をもてあそぶ。そうしてできあがったのは、

「万里くん、みつあみも似合うね」
「はァ!?」

 万里の前髪を編み込んだ、細い三つ編み。まあそれを留めるものがなく、紬の指先でかろうじて三つ編みの形になっているだけではあるのだが。

「なにしてんのアンタほんと……あとついたらどーすんだ」
「あ、せっかく似合ってたのに」
「んなわけあるか」

 紬の指を外させ、万里はその三つ編みをほどく。紬はふてくされたような声を上げつつも、万里に恒常的なッ三つ編みを求めているわけではない。ただ万里の髪に触れていたかっただけなのだ。

「でも、ほんと万里くんの髪、気持ち良い……手触りっていうか、すごく好きだよ。俺もこういうのがよかったな」
「そっすか? 俺は紬さんの髪の方がいいけどな。触ってて気持ちいーの」
「やだよ俺、いつもここだけ跳ねちゃうし」

 万里が髪を撫でてくれるけれど、紬には自分の髪が好きになれない。嫌いなわけではないのだが、どれだけセットしてもひとふさ跳ねる部分が、気になってしまうのだ。

「あーこれな。俺ずっと、わざわざセットしてんのかと思ってたわ」
「そんな面倒な」
「なんでここだけなんすかね」
「うーん、つむじの関係かなぁ……なんだか触角みたいでちょっと恥ずかしいんだよね」
「可愛いじゃん、アンテナ。なんかセンサー仕込んでそう」

 万里の指が、いつも跳ねる紬のひと房をつんつんと引っ張っていじる。ほんの少し頭皮を刺激する痛みは、だが不快なものではなかった。

「あ、カフェセンサーかな」
「ははっ、確かに紬さん、カフェ見つけんの上手いもんな。入り組んでるとことかさ。どーやって見つけんのか不思議だったんだけど、ナットク」

 おかしそうに笑う万里に、まさか納得されるとは思っていなかった紬が面食らう。この年下の男の子は、案外ロマンチストで、たまにこんな非現実なことを受け入れてしまう。おそらく丞あたりに言っても「馬鹿か」と返ってくるはずだ。

「な、これさ、カフェ見つけたらピコピコ動いたりすんの?」
「うん、動くよ」
「マジでか。今度観察しとこ」

 悪ノリする紬にも、ぽんと言葉を返してくる万里。それがおかしくて、嬉しくて、紬は目を細めて笑った。

「あとね、最近、感知する対象物増えたんだよ」
「増やせんの!? アンタすげぇな? で、何が見つけられんすか。たまご料理とか?」

 たまごが大好物なことも覚えていてくれる。そんな万里の胸に頭を乗せて、紬は嬉しそうに呟いた。

「万里くん」
「は?」
「万里くんを見つけられる。万里くん目立つってのもあるけど、人混みでもすぐに分かるし。最近じゃ寮の中では人の気配も分かる。それが万里くんだと、そわそわするんだよね」

 マジで、と万里の手が髪を撫でてくれる。嘘ではないけれど、嬉しそうに受け入れてしまう万里の素直さを、紬は好ましいと思っている。

「それを考えると、このアンテナも悪くはないかな?」
「俺も欲しいな、これ。紬さんがどこにいんのかすぐに分かるし、カフェとか、たまご料理旨いとこ見つけられるだろ。そのうちアンテナ同士で会話したりすんじゃねーの」
「えぇ……ナイショ話とか?」
「そーそー、今日は兵頭いねぇから部屋にこねえ? とかさ」

 紬は万里の胸の上でおかしそうに肩を震わせる。そんなナイショ話がアンテナでできてしまったらそれは楽なのだろうが、少し寂しい気もするのだ。

「でも俺、誰もいないこと確認して耳打ちしてくる万里くんの声、すごく好きだよ」
「…………アンタずりぃ。そゆこと言うから、毎回負けた気になるんすよ」

 胸の上から顔を上げ、万里と視線を合わせる。照れくさくてバツが悪いのか、万里の口唇はほんの少しとがっていた。
 伸び上がってちょんとそこにキスをし、ふふと笑ってみせる。

「ねえ万里くん、声、聞かせて」
「なら、紬さんも聞かせてくださいよ。イイ声、な」

 言って、万里は紬の体ごと位置を反転させる。わ、と声を上げたけれど、多少見えていた未来だ。

「万里くんのえっち」
「どーせな」

 ほっぺたを軽くつねられるが、そんな接触さえ紬には嬉しかった。万里が、紬にだけ見せる子供っぽい指先と、大人っぽい瞳と、色気のある吐息。それらすべてが「摂津万里」を飾っている。

「好きだよ、万里くん」
「ははっ、俺なんか紬さんのこと愛してっからな」
「えっ、なにそれずるい……俺だってきみのこと愛してるもん」
「だーめ、俺が先」

 笑いながら口唇にキスをしようとした万里との間に、紬はそっと指先を差し入れる。ストップをかけられた万里の目が不機嫌そうに細められるけれど、紬も譲る気はないようだった。

「先とか後とかないと思う、俺が万里くんのこと愛してるのは事実だよ」
「ベッドん中で説教すんなよ。負けず嫌い」
「そんなとこも好きでいてくれるんでしょ」
「あーはいはい好きっすよ、…………すげぇ、好き。大好き。どーしてくれんの、俺のこの先の人生」

 ふてくされた口調の中に、万里のまっすぐな想いが混ざる。こつんと額を合わせてくる万里の背を抱き、撫でてみた。

「大丈夫、俺がぜんぶもらうから」

 先なんて、心配しなくて大丈夫。そう言って笑う。万里は決まりが悪そうに視線を逸らして、赤くなった頬を隠すように覆った。

「アンタのその自信、どこからくんの……」
「ナイショ」

 そうして紬は、万里を誘う。ストップをかけていた手のひらを抜き、口唇にキスをして、足を絡めた。万里の方からキスを深くしてくれて、互いの肌をゆっくりと撫でる。吐息のタイミングを重ねて、紬は万里を受け入れた。
 のけぞっても、万里の背を抱く腕を外すことはない。からだ全部で、万里と触れ合っていたいのだ。

 ――――俺の中の自信は、全部万里くんがくれたものだ。そうじゃなきゃ、怖くて愛してるなんて言えないよ。

 万里のまっすぐな想いは、知ってみれば分かりやすい。愛されていると自惚れでなく思える日常が、紬の中に自信を流し込んでくる。
 紬のせいで万里の[[rb:世界 > いろ]]が変わったように、万里のせいで紬の[[rb:世界 > いろ]]も変わってしまった。
 触れ合って、混じり合って、ひとつの色になっていく。

 ――――きみがくれた[[rb:自信 > いろ]]だから、大事に、大事に育てていくね。

 紬は万里を強く強く抱き締める。そんな紬が可愛らしくて、万里も強く抱き締め返した。



2017/07/16
7月オンリー、6冊目の新刊を諦めたのでおたきあげ(……?)
ただ万里くんと紬さんがいちゃいちゃしてるとこ書きたかっただけです
  
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