華家



Benign Treasure


 ドアが閉まりきる前に、抱き締められた気がした。
 紬さん。耳元で聞こえた吐息のような万里の声に、紬の肩が震える。
「ば、万里くん……ねえ、シャワー、しよ……」
「なにそれ、一緒にってこと?」
「えっ、あっ、ご、ごめんそれはさすがに恥ずかしい! ごめん俺待ってるから、先に」
 言葉を選び間違えた、と顔を真っ赤にして万里の体を押しやる。
 さすがにキスもしたことない状態で、一緒にシャワーなんて、冷静でいられるはずがない。そう思った頃、万里の綺麗な瞳を、至近距離で目に映すことになった。
「キスだけさせて、紬さん。抑えきかねえ」
「あ、……ん」
 答えを返す前に、万里の口唇が触れてくる。もっとも、返す答えなんてひとつしかなかったけれど。
 触れるだけ。最初は本当にそれだけだった。
 万里は紬の反応を窺って、紬は万里の反応を窺っての、幼いキス。
 最初に口唇を開いたのは、紬の方だった気がする。
 もっと触れたい、もっと深く、もっと奥まで、と背中に腕を回せば、万里も紬を強く強く抱き返し、舌先を滑り込ませてくる。
「んっ……ん……っ」
 すぐに絡め取られてしまった舌は、ちゅっと音を立てて吸われる。感触を味わおうと思うのに、そんな余裕どこにもない。
 ただ万里の体を抱き締めるだけで、万里と舌を絡めるだけで、呼吸をするだけで、もういっぱいいっぱいだ。
「ぁ……万里……く、……っぁ、ふ」
 万里は触れる角度を何度も変えて、食らいついてくる。今まで抑えて溜め込んでいたものがあふれ出したのだろう。
 それは紬にもよく分かる。分かるからこそ、想いの大きさでは負けたくないと、負けじと誘い込んだ。
「紬さ……っ」
 万里の髪を指に絡めて、離れたくないと口唇を押しつける。混ざり合った唾液を飲み込んで、吐息と一緒に名を呼んで、思いがけず叶った嬉しさを、精一杯に伝えてみたつもり。
「紬さん、待って……これ以上したらホント止まんねーから……っ」
「ん、うん、分かってる……っごめ、俺、うれしくて」
「こっちの台詞っすよ、もー……んなキス、したことねーし」
 舌先で互いをつつき合ったあと、どちらからともなく体を離す。
 正直名残惜しい気持ちはあったけれど、これから思う存分味わうのだしとどうにか自分をなだめすかして、互いの背中ぽんぽんたたき合った。
「シャワー、紬さん先にする?」
「万里くん先にしてきて……俺いま正直立ってんのやっとなんだよね……」
「腰砕けてんのかよ。可愛い」
「可愛くないよ……もう、情けない」
「俺が可愛いっつってんだから、可愛いんすよ。じゃ、ちょっとシャワーしてくっから……待ってて」
 頬にちゅっとキスをくれて、万里はバスルームへと消えていく。
 紬は大きく息を吐き出して、その場にしゃがみ込んだ。立っているのがやっとと言ったのは、本当だ。
「万里くんのキス……すごい……なにあれ……」
 うれしくて気持ち良くて、悔しくて愛しい。
 年下の男の子相手に、リードできないのは情けないかなとも思うけれど、圧倒的に経験が少ないのだ、そこは許してもらおう。
「もう……キスだけでこんなになってて、これからどうするの、俺」
 ため息ひとつ吐き出して、紬は勢いをつけて立ち上がる。
 広すぎず狭くもない室内は、優しげな白とベージュで包み込まれており、紬の緊張を解きほぐしてくれた。
 ベッドに腰をかけて、先ほど万里が触れてきた自身の口唇を撫でる。
 そこはまだしっとりと濡れていて、頬の、いや、体中の熱が上がった。
「ゆ、夢じゃない……んだね、これ……」
 うううと羞恥に両手で顔を覆い、とんでもないことをしてしまったのではないかと後悔もする。
 だけど万里も、同じ気持ちを抱えていてくれた。好きだという恋情だけではなくて、深い繋がりを持ちたいという劣情まで。
 そこまで同じ気持ちでいながら、どうして今まで気づかずに、片想いだなんて思っていたのだろう。
 もう、知らなかった頃には戻れない。
 後戻りできないのだったら、もっと深く、深く、万里のことを知りたい。
 誰に祝福されなくてもいい、万里がそこにいてくれれば、なんだって乗り越えられるような気さえしてくる。
 ――――万里くんがいないと生きられないなんて言うつもりはないけど、万里くんがいてくれたら、長く生きられるような気がする。
 もしこの先何かの原因で恋人ではいられなくなったとしても、芝居を通して繋がっていられる。
 紬にとって、芝居をするということは生きるということで、そんな中で出逢えた万里を、本当に本当に大好きになってしまった。
 ――――泣きそうだよ。うれしくて仕方ない……どうしよう、こんなこと、ないと思ってたのに。
 好きなひとに好いてもらえる。これほどに幸福なことはない。絶望的だと思っていた恋ならなおさらだ。
 好きなひとに抱いてもらえる。こんなにも嬉しいことはない。
 欲望ごと受け入れてくれる相手に出逢ってしまった。
「万里くん……」
 万里はどんな風に触れてくれるだろう。
 多少乱暴でも構わないから、好きなようにしてほしい。もちろん自分も気持ち良くなりたいけれど、それよりも万里が気持ち良いと嬉しい。
 紬はベッドの上に体を転がして、何度も深呼吸を繰り返した。
「俺ほんとにこういうの慣れてないけど、大丈夫かな」
 気持ち良いどうこうの前に、ちゃんと最後までできるだろうか。
 痛そうだけど我慢して、変なことだけはしないようにしようと、ぐるぐる尽きない悩みを思い浮かべる。
「紬さぁん……俺だって慣れてるわけじゃねーんすけどー……」
「え、わっ!?」
 突然聞こえた他人の声に、紬は跳ね起きる。声のした方向を振り向けば、これから他人じゃなくなる他人が佇んでいた。
 上半身は裸のまま、前をくつろげたジーンズと、そこから覗くボクサーパンツ。正直、目のやり場に困る。
「あ、は、早かったね万里くん」
「次どーぞ。さっぱりしてきなよ」
「う、うん……」
 紬はベッドから腰を上げて、気恥ずかしさからそそくさと万里とすれ違う――はずだった。
「紬さん」
 すれ違う地点のそこで、万里に腕を掴まれた。
「俺、おんなじ気持ちだから。すっげぇ緊張してんの、分かるっしょ。……でもその緊張以上に、紬さんのこと抱きてぇからさ」
 紬はぱちぱちと目を瞬いて、言葉の意味を考える。
 俺も慣れてるわけじゃない――さっきそう聞こえたのは、気のせいではなかったらしい。紬の緊張を知って、同じだよと安堵を与えてくれる。また、紬の中の気持ちがふくれあがってしまった。
 万里とちゃんと繋がりたい。多分その気持ちだけで大丈夫なはずだ。
「……うん、じゃあ、ベッドで待ってて、万里くん」
 すうっと緊張が抜けて、紬は笑う。
 そうして、引き留めてくれた万里の頬に、小さくキスをした。
 それからバスルームへと向かうのだが、入る直前に見えた万里は、頭を抱えたまましゃがみ込んでいて、何か間違ったかなあと的外れなことを考えてみたりした。



2017/10/01
A5表紙FC/60P/500円/R18
【再録集】ワンドロワンライで連載していた物中心に再録しました。
きみといっしょに /  この雨になれたら /  だから恋は困るんだ /  TEMPO /  恋人同士になりましょう /  しあわせになる前に /  Strawberry /  ただそれだけで /  大人の階段(書き下ろし)
  
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