華家



はじまりのカフェ


 本編の前に流れる予告編を、ぼんやりと眺めながら、紬は先ほどの万里の言葉を思い起こす。
 ――――なおさらお断り、かぁ……。
 本気で好きな子だっているかもという紬の仮定に、万里はそう返してきた。
 ならば遊びならいいのかというと、今はそういうものも興味がないらしい。
 ――――本気の俺は、全然駄目ってことだよね。
 ぎゅうぎゅうと、内臓が体の中で暴れている。まったくなんだっていうんだ、たかがひとつの恋をなくしてしまっただけで。
 紬はスクリーンを見るともなしに眺め、万里への想いをどうにかかみ砕いてしまおうと、考え込んだ。
 ――――いい機会だ、やめよう、もう。だいたい、男の子だし、未成年だし、恋に興味ないなんて言う子だし。叶う可能性が一パーセントもないんだから。だいいち、なんで万里くんなの。大丈夫、好きじゃない。恋なんかしてない。嫌いじゃないけど、大丈夫、恋じゃない。
 ようやく始まった映画本編の字幕を追いかけて、ストーリーを追いかけていれば平気だ。万里の存在を意識する必要はない。
 そう思った矢先。
 主人公の仕草を、トレースするような指先が視界に入ってきた。万里のものだ。
 ――――あ。
 即座に気がつく。万里の体が、楽しそうにスクリーンの中の世界を感じていることに。
 足を洗った元殺し屋の男が、恋人を人質に取られ仕事を請け負うという、わりとありふれた題材ではあるのだが、激しいアクションの中に垣間見える恋人への想いは、優しさに満ちあふれていた。
 なにか、自分の演技に参考になるようなところを見つけられたのだろうか、と紬は唾を飲む。
 ――――あぁ、駄目だ。
 やっぱり、万里を好きでいることを、やめられない。
 諦めようと思ったときに、こんな風に新しい部分を発見してしまう。
 それを嬉しいと感じてしまう自分が、どうして恋を諦められるのだろう。
 紬自身も打ち込んでいる芝居に、万里も熱くなってくれるのだと思うと、嬉しくて、嬉しくて、愛しくてしょうがない。
 ――――ほんと憎たらしい。やめてよ、やめさせてよ、……きみを好きなこと。
 こんなに近くでは、こんなに深く入り込んでしまっては、こんなに些細な仕草で、こんなに胸が痛くなる。
 下手をすれば、少しでも気を抜けば、気づかれてしまいそうで、呼吸さえままならない。
 ――――開き直ってきみを好きでいるには、俺はまだまだ弱すぎる。スターにもヒーローにも、悪役にもなりきれないもんね。
 たとえばスターのように人を惹きつける力でもあれば、万里を振り向かせてみせる。
 たとえばヒーローのように強靱な精神を持っていれば、こんな些細なことでくよくよせずに済む。
 たとえば悪役のように強かさがあれば、いっそ万里を引きずり口説き落としてみせるのに。
 紬には、そのどれも備わっていない。演技でも、できるかどうか。
 ――――今俺がやらなきゃいけないのは、万里くんに恋なんかしてない自分だよ。しっかりしろ。気づかれたら、こんな距離にもいられなくなる。それは絶対に嫌だ。
 近くにいたら、もっと好きになってしまって苦しいけれど、離れることを考えていられない、恋の矛盾。
 どちらかを選べと言われたら、紬は迷わず万里の傍にいることを選ぶだろう。
 万里の呼吸が感じられる。万里の体から発せられる熱を感じる。
 ――――ごめんね万里くん、好きになってなんて言わないから、せめてこの距離にいさせてね。
 紬は目を閉じて、万里の存在を全身全霊で感じ、自分の中で、必死で昇華していった。




「面白かったね」
 ざわつく映画館の中、紬は隣の万里に声をかける。
 万里と映画にくるのは初めてだが、エンドロールがきっちり終わるまで席を立たないのは、紬の見方と同じで安堵した。
 紬はひとつの物語を創り上げたもののすべてを隅々まで見たい方なのだが、本編が終わればさっさと席を立って出ていく人たちもいる。
 それはその人の見方なのだろうが、そういう相手とはゆっくり観られないなと思っているだけに、万里がそうでなくて良かったと思う。
「んー、まあ、アクションは良かったかな」
 人が少なくなってからようやく万里が腰を上げ、紬もそれに続く。だがしかし、紬はストーリーの半分くらいしか頭に入っていない。かろうじて最初と最後はちゃんと追えていたかなと思うのだが、正直言って隣の万里を気にするあまり、スクリーンの中のストーリーに意識を向けていられなかったのだ。
「アクションは、って……なんだか不満そうだね」
 とはいえ、つまらないものだったとは思っていないのだが、万里の言葉は歯切れが悪い。中だるみでもあっただろうか? と首を傾げた。
「あー、恋愛要素が邪魔だったな。なくても良くね? つか、紬さんポップコーンほとんど食ってなかったな……」
 ほぼ空になったポップコーンのカップとふたつのコーヒー、トレイごと係員に渡して、人の流れに沿って出口へと向かう。そんなのあったっけ、と思うくらいには、集中などできていなかった。
「そう? 俺はあれでよかったとは思うけど……」
 だけど、ほとんど観ていなかったなんて言えるわけもなく、当たり障りのない感想を呟く。
「だってヒロイン、民間人じゃん。足かせになるって分かるのに、なんでわざわざそいつを好きになんの? あの女の方だって、死ぬかもしんねーのにほいほい着いていったりさ。案の定人質にされてんだから、ウケる」
 はは、と乾いた笑いをこぼす万里に、紬の方こそ乾いた笑いを漏らす。
 ――――ああ、恋に興味がないと、そういう風に思うのか。
「なんすか」
「……ううん、万里くんは子供だなあって」
「はア?」
 口に出してから、しまったと思ったけれど、もう戻ってきてくれない。
 何が人を傷つけるか分からない。発言には気をつけないといけないのに、どうしても、悔しくて、寂しくて、口を突いて出てしまった。
 案の定、万里の声がとげとげしいものに変わる。ふたりきりでいて、多分初めてだ。
「なに、それ」
 逃げ出してしまおうかと思った。万里にそんな目で睨まれるなんて、辛い。
 だけどそれは紬が生み出してしまったものだ。無責任に逃げ出すなんてできないと、紬はせめてそう感じた理由をちゃんと話そうと、万里の隣を歩く。
「恋、したことないんだよね。危ないって分かってても、好きになっちゃいけないって思ってても、止められない想いがあるってこと、万里くんは知らないんだよ。だから、恋愛要素が邪魔だなんて言えるんだなって思ったんだ」
「女を守りきる力もねーのに? 自分が邪魔になるってこと考えもしない馬鹿な女に惚れて、弾道鈍ってたじゃん」
 恋をしたことないのは否定しないんだなと、万里の苛立った声を聞きながら思う。
 物語を見るのに、どこを重要視するかは人それぞれだ。役者の演技を観るか、ストーリーを観るか、演出か、音楽か。
 万里はアクションを観に来たのだろう。それは分かる。だけど恋を知らないということで、描かれた根幹の部分をそんな風にしか思えないのは、すごくもったいない。
「そこも、重要なとこだと思うけどな。引き金を引くまでに、どれだけの葛藤があったか、そういうのは考えてみたりしないの?」
「知らねーよ、そんなん」
「そう……。秋組、アクションが売りで良かったよね。ごめん嫌みじゃなくてさ、たぶん今の万里くんは、冬組みたいに「愛」が絡む演目はできないと思う」
 もったいないな、と純粋に思う。
 演技は、技術でカバーできるものとそうでないものがある。
 たとえば視線のひとつ、指先の動きひとつ、その感情を知っているかどうかで大分違ってくることがある。
 人を恋しいと思う気持ち、愛しいと思う気持ち、憎らしいと思う気持ち。
 感情の種類は様々だが、張りぼての感情では役に深みが出てこない。
「誰に言ってんだよ、よゆーっしょ。アンタのやってたミカエルだって、完璧にやれるし」
 台詞全部覚えてんだぜ、と万里は続けてくる。
 これは万里のプライドを刺激してしまったんだろうなと、紬は俯いた。



2017/07/17
【装丁】A5表紙1C/28P/300円
【あらすじ】万里に片想いをしている紬だが、恋を知らない万里は「演技の練習相手になってよ」と持ちかける。紬は苦しい恋になると知っていながら、それを受け入れた。続き物の1作目です。
  
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