華家



こんな情報でもいいですか。


 お花摘みを終えてカウンターの席に戻れば、連れである男の傍に、知らない背中が見えた。
 至はあからさまに眉を寄せた。何しろ、連れとは言うがその男――卯木千景は恋人だからだ。あも紆余曲折を経てやっと結ばれた相手であり、そんな彼の傍に、自分の知らない誰かがいるなんて、心穏やかではいられない。
 我ながら心がせまい、と思いつつも、足を踏み出して歩み寄った。

「ねえ、お願い、もう一度抱いてよ、そうすれば僕が最高だって分かるからさ」
 至の知らないその男は、千景に抱きつかんばかりの勢いで無理難題を押しつけているらしい。
(はあ、昔の男、ですか)
 千景の過去に、何人恋人がいたか知らない。だけど千景が魅力たっぷりの男であることは事実で、男女問わず周りが放っておかないだろうことは理解できるのだ。
 たとえば昔関係のあった男が千景を忘れられずに追いかけてきたのだとしても、それは仕方がない。仕方がないが、気分は悪い。
(触んな、俺の人なんだよ)
 ぎり、と太腿の横で強く拳を握った。相手の男がどれだけ魅力的だろうと、はいそうですかと千景を渡すわけにはいかない。間に割って入ろうとしたら、

「悪いけど、連れがいるんだ。それに、ちゃんと終わらせたはずだろう?」
 千景がちゃんと拒んでくれる。信じていないわけではないが、やっぱりホッとした。
「連れってなに、次のターゲットでしょ? やっぱり僕と寝てたのって、あの情報が欲しかっただけなんだ!」
「情報? 何を言ってるんだ?」
 千景の冷たい態度に、相手の男が焦れ始める。プライドが傷ついたのか、自分自身に魅力がないからフラレたのではなく、はじめから違うところに目的があったに違いないということにしたいらしい。

 千景は首を傾げているが、至はああそういうことかと悟ってしまった。
 確かに、情報が欲しくて彼と関係したのだろう。
(ハニトラってヤツかなー)
 千景が、あまりよろしくない組織に属しているのは知っている。具体的に何をしているのか訊こうとは思わないが、たびたび〝仕事〟だと言って姿を消すことがあるのだ。千景が日々行っている情報収集も、その一環なのだろう。
(どっちがマシかな。昔の男と鉢合わせるのと、仕事の相手と鉢合わせるの)
 そもそも割り込んでいいものかどうか、と様子を窺っていると、千景の視線がふっとこちらを向いた。

「ああ、遅かったな〝修司〟」

 普段ふたりきりのときにはあまり見ない、爽やかな笑顔を向けられる。しかも、違う名を呼ばれた。
 瞬時に、スイッチが入った気がした。
「うん、ごめん〝貴史〟。取引先からの電話だったんだ」
 至も、千景に向かって他の名を使った。そうすれば男が不審そうに振り向いて、至を凝視した。男は至と同じくらいか一つ二つ年上のようだが、不快そうな感情をあらわにするあたりがどうにも幼いような気がした。

「友達? えーと、初めまして」
「ん~、昔、ちょっとね」
 至は千景の傍に歩み寄り、男に正面から対峙した。相手が少しひるんだのを見て、役者不足だなと内心で呆れてしまった。まったくの素人相手にエチュードを楽しみたいというわけではない。
 この男では、千景の相手は務まらない――そう思ったのだ。
「昔、ちょっと、ね。把握。貴史はなんていうか、そういうとこデリカシーないんだよ」
「言っておくけど、別に浮気じゃないからな。お前と逢う前だったし、ちゃんと終わらせたんだ」
「はいはい、分かってますよダーリン」
 そうしてわざと見せつけるように千景の頬にキスをした。
「くっ……こ、こっちは終わったつもりなんてないんだよ! ね、ねえ、えっと、貴史、新しい情報、あるから。欲しいなら僕、どんな情報でも手に入れるからさ、お願い、僕んとこ戻ってきてよ」
 少しやり過ぎただろうかと思うが、どうやら彼は名前も知らなかったようで、至は目を瞬く。これでよく追いかけてこられたなと。
「こいつだってどうせ利用してんでしょ? だったら僕でもいいじゃない! ねえ、気持ちよくしてあげるよ、何でも言うこと聞くから!」
「……あの、失礼ですが、そろそろやめてもらえません? 不愉快だ。この人には今俺という恋人がいるんですよ。あなたのところに戻る理由がない」
 利用されていた彼には同情もするが、不愉快さが上回る。恋人の前で、よくもそんな言葉が吐けるものだ。たとえほんの少し情があったとしても、消え失せてしまうだろうに。
「うるさい調子に乗るな! お前だって相当な情報持ってるから抱いてもらってるだけだろ!」
「えっ」
 男の手が振り上げられる。びく、と身を竦めた至だが、その手が襲いかかってくることはなかった。千景の手が、それを払ってくれたからだ。
「た、貴史」
「大丈夫か? 修司」
「うん、ありがと……」
「悪いけど、今こいつ以外に考えられないから。そっちとは終わらせたつもりだったけど、不義理を働いていたならすまない。情報とかなんとか、俺の何がそう誤解させたのか分からないけれど、そんなつもりはなかったよ」
 千景が、至を自分の腕でかばいながら男と対峙する。う、と言葉を詰まらせて、男は後ずさった。
「誰か他に、いいひと見つけてほしい」
 千景の優しい声に、しおしおと男の戦意が喪失していくのが見て取れて、至は心の中で〝騙されやすいひとだな〟と考えた。千景の演技は、そうやすやすと見抜けるものではない。同じ劇団に所属していてさえ、どっちなのだろうと思うことがあるのだから。

「ご、ごめん……本当に、忘れられなかっただけなんだ……」
「うん、そこまで想ってくれてありがとう」

 トドメさされてる、とすごすごと去っていく男の背を眺めて、至は長い息を吐いた。
「先輩、ほんとクズ」
「なんで」
 ぎ、と千景の横の席に座り、新しいカクテルをオーダーする。千景は、騒がせた詫びにと、店内にいる数名に一杯ずつとバーテンに頼んでいた。
「さっきあの人のポケットにUSB戻すの見えた。情報、抜き取ったんでしょ」
「……ふふ」
 肯定もしないが、否定もしない。あの男は本当に、千景に利用されたのだと理解した。もっとも、彼の気を千景から逸らさせる手伝いをしてしまったのは至なのだから、責めきることもできなかった。
「エチュード付き合ってくれてありがとうな、茅ヶ崎。よく分かったな」
「そりゃ、違う名前呼ばれりゃ分かりますよ。……先輩に初めて抱かれたあの夜と、同じ名前のエチュードだし」
「覚えてた?」
 そりゃね、といつだかのことを思い出す。ナンパに引っかかりそうになったところを、千景のとっさの機転で逃れたのだが、そのときに呼び合った名前だった。
「本当にハニトラとかやってたんですね」
「……仕事なんだ、仕方ないだろう。チッ……ろくな情報入ってないじゃないか」
 千景は抜き取った情報の質を確認しながら、眉を寄せる。あんな場面を見られたというのに、至に対して弁解も何もしないのが、千景らしかった。
「先輩、いつか刺されますよ」
「そうしたら看病してくれるだろ?」
「やです」
「ひどいな」

 ちゅ、と唇が重なってくる。油断も隙もないなと眉を寄せて口を尖らせたら、そこへまた合わせられて、怒る気力も奪われた。

「ん、ねえ……俺、なんの情報も持ってませんよ?」
 アルコールの匂いが混じる唇と舌が、至に触れてくる。千景なりの詫びのつもりなのか、それとも単なる愛情表現なのか、そのどちらもなのか、まだまだ読み切れない。
「持ってるだろ……俺にとっていちばん大事な情報」
 唇のすぐ傍で、千景はそういって笑う。
 至は首を傾げた。それが欲しくて恋人のふりをしているのか、なんてことは思わないけれど、千景に有益になりそうな情報など、心当たりがない。
「え、なに……」
 ん、と唇を吸われ、はあ、と吐息する。いっそこれがトラップでもいいと思うくらい、心地のよいキスだった。

「茅ヶ崎至は卯木千景が大好きだっていう、重要で重大な情報だよ」

 くらりと目眩がするようだ。
「ば、馬鹿なんですか……」
「えぇ? 持ってるだろ?」
「…………持ってます」
 千景に敵うことなんてないのだと、こんなときに思う。戯れのようなキスでさえ、幸福だという情報が、至の中に蓄積されていく。

「じゃあ、このあともっと引き出させてくれるかな、ハニー」

 何がハニーだと思いつつ、噛み付こうとしたキスは、やっぱり普通に情熱的なキスに変わってしまった。



2018/08/07
お題箱より「千景が過去にハニトラで落とした相手が千景を忘れられず現れ、至と対面」とのことで。
  
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