華家



俺だって我慢の限界はあるんだよ。


「いい加減にしろ、茅ヶ崎!」

 自分で思ったよりも、大きな声が飛び出した。
 たぶん、隣どころかその隣にも、上階にも聞こえてしまったのではないだろうか。
 だけど限界だった。

「先週も言ったよな? ちゃんと掃除しろって。百歩譲って掃除機かけないのはいいとしても、なんだってこんなに散らかるんだ!?」

 ここMANKAI寮の103号室は、俺と茅ヶ崎の部屋だ。俺が入団するまでは一人部屋を満喫していた茅ヶ崎だけれど、今は違うのだから、掃除くらいしてほしい。俺もそう神経質なほどに潔癖症というわけではないけれど、これはひどい。本当にひどい。
 洗濯しなければいけないものが散乱していたり、菓子の袋や空き缶やドリンクが入っていた紙パックがそこかしこに落ちている。いや、中身が空ならいいけど、たぶんあのテーブルに一昨日から置いてあるものは、中身が入っている。
 どうやったら、そんなことになるんだ? この部屋にゴミ箱がないわけじゃない。ゴミの収集日もご丁寧に談話室のスケジュールに書き込んであるんだから、前もって準備することは可能なんだ。

「えっ……と」
「いいか、ここは今俺の部屋でもあるんだ。子供じゃないんだからちゃんと片付けろ。不衛生だろ」
「パソコン周りは綺麗に」
「配信作業の勝手がいいようにしてるだけだろう。足の踏み場もないなんて、俺はもう嫌だ」

 それでも以前は、部屋の半分くらいは綺麗なもんだった。同室の俺に配慮してたんだろう。まあそんな気が回るくらいなら掃除をしろと言いたいが。それが今じゃ、部屋の3分の2が汚れている。
 見かねた俺がゴミを片付けて洗濯物を洗濯機に放り込んでスタートボタンを押してやって、仕事用のシャツを自分のと一緒にクリーニングに持っていってやらなければ、ここはどうなっていたんだろうか。

「もう無理だよ、茅ヶ崎」

 腹の底から息を吐き出した。ふつふつと湧き上がってくる不快感と怒りは、たぶん自分の生活しか考えていない茅ヶ崎への不満だ。今の今までため込んでいたものだろう。
 他人と生活できないんじゃないですか。いつだか茅ヶ崎にストレートに訊かれたことがある。それに否定はしなかったし、これでも改善はできたと思っている。誰かと一緒に眠れるし、食卓を共にできる。自分だけの時間が欲しい欲求はあるけれど、それはたぶん誰もが同じ思いを抱えていることだろう。
 だけど、茅ヶ崎も大概、他人との生活なんて慣れてないんじゃないかと思う。そうでなければ、どれだけ注意してもこの散らかし癖が治らないわけはないんだ。自分一人だけではない空間――俺たちは、お互いそれに慣れてなかった。

「無理って、先、輩……?」
「しばらくこっちには帰ってこない。お前は好きにしたらいいよ」

 そう言ってくるりと踵を返すと、あまり大事に捉えていなかったらしい茅ヶ崎が、慌ててソファから腰を上げる。部屋を出る直前に、泣き出しそうな顔をした茅ヶ崎がちらっと視界に入ったけれど、無理なものは無理だ。
 幸い仕事に必要なものは向こうの家にそろっているし、わざわざ不愉快になりに帰ってくることはない。
 まあそもそも、明日からの出張の準備しようとしててブチ切れてしまったんだけど。3日の間に、あの部屋は改善されるんだろうか。
 うーん、無理かな。
 そう思いつつ、寮を離れる。ちょっと怒ったくらいで茅ヶ崎が習慣を変えられるくらいなら、もっと前にできてたはずだ。あのゴミも、あの洗濯物も、1時間もかからず片付けられるものなのに。
 なんでアイツはああなんだ。ゲームが好きなのは構わないしそれに時間をついやすのも別に気にならない。物が多いのも、平日は仕事で疲れてる(その割にゲームはできる)っていうのも全然、構わない。
 俺はそんなに難しいことを言っているだろうか? 毎日掃除機をかけろとか、埃ひとつも許さないとか、言ってないだろう? ゴミはゴミ箱に入れる、回収日にちゃんと出す、洗濯物もちゃんと出す、それだけだ。
 茅ヶ崎の表の顔にだまされてキャッキャしてる子らに、あのだらしなさを教えてやりたい。ああそれはいい案だ。そうすればみんな幻滅して、あのどうしようもない男にちょっかいかけようなんてヤツらは全滅するだろう。
 ……いちばんどうしようもないのは、そんな茅ヶ崎に惚れてしまっている俺なんだろうけど。
 ま、今回は良い機会だから、頭を冷やそう。茅ヶ崎にも少し自覚してもらわないといけないしな。
 出張から帰って、部屋があのままだったら、……どうしよう。俺じゃ茅ヶ崎を変えられない、茅ヶ崎は俺のために変わってはくれない、俺の言葉は届いてないんだ。散らかった部屋でゲームをするその空間が、茅ヶ崎にとっては何よりも大切なのだろう。そう思うしかない。
 ああ、気が重いな。
 恋人なんだし好かれてるとは思うんだけど、生活習慣を変えてもらえるほどには、愛されてる自信がない。
 お互い様だと思うけどね。俺だって、茅ヶ崎のために裏の仕事辞めるとか考えられないし、スパイスのことだって譲れない。
 だけど、茅ヶ崎のために怪我はしたくないと思うし、彼の好きそうなジャンクフードの店も、リサーチするようになった。
 だから茅ヶ崎にも、少しだけ俺のために、って思うのは、わがままなんだろうか。ほんの少しでいいんだけどね。
 恋愛ってこんなに面倒くさいものだったんだ。茅ヶ崎とじゃなきゃ、絶対にごめんだな。
 重い足取りで、俺はアジトの方へ向かっていった。



 実体のある出張を、こんなに憎らしく思ったのは初めてだ。
 早く帰りたくてしょうがなかった。早く帰って、彼に触れたい。早くあの部屋で、茅ヶ崎を抱きしめたい。
 そんな時に限って、出先から会社へ直行しなきゃならないスケジュールなんだよな。ああ、クソッ、取引先のバカがごねなきゃ、昨夜帰れたのに!

 無理だ、と思ったんだよね。あの時は。ゴミが散乱する部屋なんて、我慢していられなかった。
 今、別の意味で無理だと思ってる。
 茅ヶ崎が可愛くてしょうがない。早く抱きしめたい。

 一昨日、万里から個人LIMEが来た。脱出ゲームの誘いかと思ったら。

『レア動画撮れたっすよ』

 というメッセージのあとに、リネンボックスをずるずると引きずりながらしょんぼりと廊下を歩く茅ヶ崎の動画が送られてきた。
 さらに、昨日。

『ゲームそっちのけなんすけどナニコレww』

 って、楽しそうなメッセージのあとに、携帯端末を覗き込んでる茅ヶ崎を背後から撮った写真。茅ヶ崎の端末画面には、いつ撮ったのか分からない俺の写真が写り込んでいた。
 万里の写真に写った背景は、綺麗に片付けられた103号室も写っていて、どうしようもない愛しさに駆られた。取引先の客蹴り倒して帰ろうかと思ったけど、どうにか思いとどまったよ。誰か褒めてくれ。
 あとなんで万里は俺たちのこと知ってるのかな??
 早く帰ってきてちゅーでもなんでもしてやったら、と添えられたメッセージには、寮に帰らなかった時の説明は任せるよと返しておいた。
 出先からの直行で、会社に着いたのはちょうど社員が昼休憩に入る頃。スーツケースをロッカーに放り込んで、社食へ向かいかける茅ヶ崎を見つけた。
 とぼとぼと寂しそうに歩く茅ヶ崎の腕を背後から掴んで、使われてない書類庫に引っ張り込んだ。もちろん誰かに見られるようなヘマはしない。

「せんぱ……っ」

 ただいまを言う前に、おかえりなさいをもらう前に、キスで唇を塞ぐ。食んで、舐めて、舌を絡め、一通りのキスを楽しんでから、名残惜しいけれど放してやったよ。

「あ、の、先輩、部屋、ちゃんとしたんで」
「うん」
「すいません、甘えっぱなしで」
「うん」
「帰って、きて、くれます?」
「やだ」

 びく、と抱きしめた茅ヶ崎の体が強張る。泣き出しそうな顔をした彼の頬にキスをひとつ落として、付け加えた。

「部屋を綺麗にしたとこ悪いけど、今日は二人で過ごそう。いつものホテルでね」



2018/08/01
お題箱より「本気で至に怒る(怒鳴る)千景」
  
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