華家



初めての夜


 仕事が終わって、劇団の寮に戻って、美味しいご飯とちょっと楽しくなってきた稽古と、お風呂を済ませた。
 そこから、以前ならアジトの方に向かっていた俺だったけど、最近は談話室で過ごすようになった。コイン勝負を挑んでくる咲也も、監督を驚かせるためのマジックを教えてと頼んでくる真澄も可愛いし、ネタに詰まってうんうんうなりながらもこぼす愚痴が楽しそうな綴も、盛大に日本語を間違えてみんなにツッコまれるシトロンも、面白くて好ましい。
 主演でありながらあんなことをしでかした俺を、受け入れてくれた大切な場所。俺の、俺たちの大事な家族である密が、この場所にとどまっていたのも頷ける、暖かな場所だ。

 でも。
 それでも俺は、日付が変わる頃には寮を出る。誰かに見つかれば、ちょっとコンビニにねなんてごまかしてだ。
 実際はそのままアジトの方に向かって、そこで一応の睡眠を取って、みんなが起き出す前に寮に戻ってくるだけなんだけど。
 なんでそんな面倒なことをしているかというと。正直、まだ、他人と過ごすことに慣れていない。習慣というものはそんなに簡単に治らない。
 ……という言い訳を自分自身にしているけれど、本当は、あの部屋で過ごせない理由があるんだ。ちゃんとした、とんでもない理由が。

 寮の部屋は、二人部屋。つまり俺の他に他人がいるということで。
 その相手――茅ヶ崎至が、面倒くさいのだ。以前結んだ個人間契約は、破棄してくれていいと言われたけれど、無理なんだよね。
 何しろ、手がかかる。部屋は片づけないしゲームオタクだし会社とのギャップがものすごい。
 可愛くて仕方がないんだ。
 春組の中では年長組のくせに、全然そんなふうに見えないところも(どうかすると綴たちの方が上に見える)、会社では見せない凶悪な顔も言葉も、気を許した場所だからなんだろうなと思うと、たまらない。
 意地悪っぽく俺を見つめて「せーんぱい」なんて呼ばれてみろ、死ぬだろ。
 たまに「千景さん」って呼ばれた時には、危うく返事を忘れそうになるほど、幸福な気持ちになる。

 ああ、好きなんだよな、茅ヶ崎のこと。

 面倒くさいってのは、そういうこと。
 だって無理だろ。惚れた相手と同室なんて。理性はあるけれど、間違って手を出してしまいかねない。あの散らかった部屋のソファの上、茅ヶ崎の腕を押さえつけて体を押しつけて、心を押しつける前に彼の体を暴いてしまいかねない。
 無理だろ。同じ部屋でなんて寝ていられない。
 寝息が聞こえて幸福な気持ちになるなんて、そんなことあり得ない。無防備に寝るなって息の根を止めてやりたいとさえ思うのに。

 だから、入団してからこっち、以前は他人となんか過ごせない気持ちで、今は好きな相手と同室なんて冗談じゃないという思いで、俺は103号室で眠ったことがない。
 茅ヶ崎も何も言わないから、きっと好きなだけゲームして配信でも万里との共闘でもやってるんだろう。
 翌朝何も知りませんなんて顔でおはようございますと言われるのは、やっぱりちょっと寂しいけどね。

「今日も、向こうで寝るんですか」
 愛機を取りに部屋へ足を踏み入れれば、ソファの上から茅ヶ崎が声をかけてくる。最近は隠しもせずに出ていくせいか、彼も遠慮なく訊いてくる。
「……ああ。今日は徹夜かな? 茅ヶ崎。いくら明日土曜日だからって、ほどほどにしておけよ」
 茅ヶ崎はショートスリーパーというわけではなさそうだし、体に良くないと思うんだけどな。まあ俺が何を言ったところでこのゲームオタクがやめるわけないんだけど。
「あの、やっぱり俺のせい、ですか」
「は?」
 茅ヶ崎が、遠慮がちに口にする。
 焦る。ああ確かにここで寝ないのはお前のせいに間違いないんだけど、なんでバレた? そんなヘマしてないはずだろ! 茅ヶ崎がそんなに聡いわけ……ああ、でも、咲也に引き留められたあの日、本当は茅ヶ崎から連絡がきたんだって言ってたな……くそっ、こんな形でバレ――いや、まだバレたと決まったわけじゃない、ごまかせる。
「無理してます? 人がいるとこで寝るの、あの、好きじゃないんでしょ……」
 そっちか。良かった。まあそうだよな、普通はそう思う。
「ここで寝てないの知ってるの、まだ俺だけですけど……咲也とかが知ったら、心配すると思うんで、少しずつでも、慣れていった方がいいかなって思って」
「ああ……そうだな、咲也は心配すると思う。目に浮かぶよ」
 勘弁してくれ茅ヶ崎。俺のことを心配してくれているのはお前だろう。これだからいちばん接点の多いヤツは困るんだ。いっそ腹が立ってくるぞ。しかも咲也を持ち出してくるのはずるい。
「俺がいるの駄目だったら、たまになら俺、談話室で寝落ちしとくんで、その……ここで寝てくれませんか」
 ああ本当に腹が立つ。こっちの気も知らないで、無責任にそんなこと言うんじゃない。
 言ってやろうか、俺がこの部屋で眠らない理由。お前はその顔をどんなふうに歪めるんだろう。
「……別に、他人と過ごすことには慣れてきてる。眠ることも、できる」
「じゃあどうしてですか」
「お前の身が危険だからかな。この部屋で眠ってほしいなら、俺に抱かれてみる?」
 そっと歩み寄って指先で頬に触れる。顎を持ち上げてやると、目を見開いて、瞬いて、さっきより大きな瞳で俺を凝視した。
 まあこれの意味が分からないほど子供でもないだろう。
「え、あ、の……えっと、ひとつ質問が」
「なに」
 茅ヶ崎の頬も顎もまだ触れていたかったけれど、これ以上触れていたらまずいと、俺は体を離した。できるだけそっけない口調で返してやったけれど、茅ヶ崎の声にそわそわ感が含まれているのは、きっと好奇心なんだろう。

「先輩、ゲイなんですか?」

 そうきたか。思いのほか鈍いな。よくこれで舞台役者が務まるもんだ。
「うーん……女性にはあんまり興味ないからな……はっきりと自覚があるわけじゃないけど、そうかもね?」
「マジか。ワンチャンキタコレ」
 ん? なんで茅ヶ崎嬉しそうなの? ワンチャン?
 茅ヶ崎がソファから腰を上げて、俺の腕を握る。
「もし俺が先輩の好みの範疇なら、好きになってもらえる可能性あります?」
「は?」
 どういうことだ。
 何が起こってる? 好みの範疇どころか、俺はお前が好きなんだけど。
「可能性があるなら、体からでも構わないって思ってます。そういうの、無理ですか?」
「茅ヶ崎、ちょっと、ちょっと待て」
「朝、先輩のベッドが全然乱れてないの、すごく寂しくて駄目なんですよ」
「落ち着け茅ヶ崎、何を言ってるか分かってるのか」
 落ち着けてないのは俺の方だ。
 だってまさかそんなことあるわけないだろう。ちょっと俺に都合良すぎだ。何かの罰ゲームで言わされてるんじゃないだろうな?
「無理、ですか?」
「無理とかそういうことじゃない。茅ヶ崎、俺のこと、す、き、なのか?」
「はい」
 簡単に頷かないでほしい。散々悩んで我慢して気持ちを抑えつけてたこっちがバカみたいだろ。
 いつからなのか、俺と同じ種類の気持ちなのか、訊きたかったのに。
 茅ヶ崎の唇に、それが全部奪われていった。
「無理じゃないなら、ここで一緒にいてください」
 頭を抱えたかった。惚れた相手にそんなことを言われて、さらに同じ気持ちでいると分かった状態で、嫌だなんて選択肢があるわけないだろう。
 分かった、と頷いて、深呼吸をして、今度は俺から茅ヶ崎に触れるだけのキスをする。このまま抱いてしまうには、きっとお互い心の準備ができていない。
 なだめるように茅ヶ崎の髪を撫で、自分を落ち着かせようと軽く抱きしめるだけにとどめておいた。

「じゃあ、こっちで眠るよ」
 そういって初めて自分のベッドにのぼる梯子に手をかけたら、茅ヶ崎がものすごく嬉しそうな顔をしてくれた。可愛い、死にそう。
 ベッドに横たわれば、当然初めての感触が体を支えてくれる。悪くない寝心地だ。
 そうして茅ヶ崎も自分のベッドに横たわる気配がする。ごそごそと立てられる音に、胸がくすぐったくなった。

「茅ヶ崎」
「はい? あ、明日いちばんにおはよう言ってくださいね」
「うん、それの前に、言い忘れてたんだけど」
「なんです?」
「好きだよ。おやすみ茅ヶ崎」

 は? とか、え? とか、茅ヶ崎の困惑が聞こえてきたけれど、俺は幸福な気分のまま初めて103号室で眠りに就いた。



2018/08/03
タグ#103号室の初夜、お借りしました。
  
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