華家



愛されて。


 不思議でならなかった。
 千景が、至を好きらしい――密がそれに気づいたのは、ほんの些細なきっかけだった。千景が彼を「茅ヶ崎」と呼ぶ時だけ、少し、本当に少しだけ声の色が変わる。幸せそうな色にだ。
 それは密にしか分からない変化だっただろう。長くともに過ごしてきたからこそ分かる小さな変化。

 別に、千景が誰を好きになろうと構わない。女であろうが男であろうが、それなりに覚悟をしているのだろうから。
 普通の世界に生きていないことを自覚して、それでも止められなかった想いを、他人が止められるわけもない。

 ただ、できれば。
 できれば、幸福になってほしいと思う。傷つかないような恋をしてほしいと思っていた。

(大丈夫なの、千景)

 恋というものはよくわからないけれど、一人ではできないものだ。一人ではないということは、相手がいるということで、自分の気持ちだけではどうにもならないことが多い。
 そんな穴に落ちて、千景は大丈夫なのか。

 同性相手に恋をした千景を、心配する思いはあった。
 自分たち以外に大事な相手ができたということに、少しだけ寂しさもあった。
 だけどそれ以上に、驚いたことがある。



「めちゃくちゃ見られている」
 密は至のソファに膝を抱えて座り、じっと部屋の住人を眺めた。至近距離でだ。
「密、どうしたの?」
 仕事から帰ってきて部屋着に着替え、いつものようにゲームを始めた至のすぐ傍で、穴が開くほど見つめた。当然ながら至からは怪訝そうな声が上がるが、訊きたいのはこちらの方だと密は思う。
「あ、先輩ならまだ戻ってこないよ。俺が会社出る時まだデスクにいたから」
 至の声が、当然ながらすぐ傍で聞こえる。密は彼にもらったペンギンの枕を膝と一緒に抱え、ゆっくりと口を開いた。
「千景なんかに用はない……」
「なんかって」
 笑いの混じる声に、密はひとつ瞬く。目を閉じたままになりそうだったけれど、どうにか頑張って目蓋を持ち上げたのだが、やっぱりどうにも分からない。

「分からない……」
「ん? なに? 密もゲームする?」

「数日観察してみたけど、至はなんで千景を好きなの……?」

「直球キタコレ」
 携帯端末の上を器用に滑っていた至の指が固まる。
 驚いたことに、至の方も千景を好きらしいのだ。それは世で言う両想いというヤツで、知らないうちに恋人同士になっていたようで、本当に、本当に驚いた。

 そうだと報告されたわけではない。決定的な場面を見たわけでもない。ただ、二人の間に流れる、入り込みづらい空気というものに気づいただけだ。
 最初に「千景を好きなの?」と至に訊いた時はさすがに驚いていたようだが、すぐに肩を竦めて肯定をした至に、また疑問が増えた。そんなにすぐ認めてしまえるほど、今の世間は優しかっただろうかと。

「は~、ほんとビビるわ。密にはバレるかもって先輩言ってたけど、こんなに即バレするとは思わなかった」
 どうも彼らは、周りにはバレないようにしておきたいらしい。それは理解ができるし、密は誰に言うつもりもなかった。言ったところで自分の睡眠時間が増えるわけでもないし、むしろ騒動になって減るかもしれないと思うと、百害あって一利なしだ。

「至……女の人にモテそうなのに、なんで千景を好きになったの」
「いや、なんでって言われても困るかな」
「だって、千景だよ。スパイス馬鹿だし、味覚おかしいし、ひねくれの甘ちゃんを、なんで? どこがよかったの、至……」
「ひどい言われようである」
 至はおかしそうに笑い、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。なだめるような仕種は、自分たちが知っている誰かに似ていた。
「それが分からなくて、俺のこと観察してたの?」
 密は頷く。至がどうして千景を好きになったのかが本当に分からなかったし、その気持ちの大きさも、深さも分からなかった。
 近くで見てみれば分かるかと思ったけれど、やっぱりどうにも理解しきれない。
 至は、どうして、千景を。どこまで理解して、いつまで傍にいてくれるつもりなのか。
 密は至の袖をきゅっと握りしめた。

「……千景は、これまでいっぱい傷ついてきたから。つかなくていい傷、いっぱいついてる……だから、もし至が軽い気持ちで千景と一緒にいるなら、やめて」
「ほんと仲いいよね、密と先輩。妬けるわ……」
「仲なんて良くない」
「心配してるくせに。先輩が傷つかないように、先輩が俺を傷つけないように。大事だから、でしょ?」
 言葉に詰まる。大事でないとは言えない。
 なくしてしまった〝あの人〟は、まだ心の中に生きている。彼を前に、千景が大事でないとは絶対に言えなかった。

「大丈夫、俺はね、先輩のことちゃんと好きだから。大体ね、軽い気持ちであんな人好きになれるわけないだろ。嘘つきで意地悪で素直じゃないノーロマン隠れコミュ障なんて、卯木千景じゃなきゃごめんだわ」
「……ひどい言われよう……」

「でも、そんな先輩にも、こうして心配してくれる家族がちゃんといる。そういうのさえ嬉しいって思うくらいには、あの人を愛してるから」

 すう、と体から力が抜けていく。千景が、どうして至に惹かれたのか分かるような気がした。傷も、闇も、取り囲むものすべてをまるごと受け入れてくれそうな温もりが、そこにあった。
「……至は、あったかいね……」
 彼なら大丈夫だ、と思う。ちゃんと千景を愛してくれる。千景も彼を愛していくだろう。
 そう思ったら、急に眠気が襲ってきた。
 こてん。
 そこから先、密の記憶はない。


「茅ヶ崎が俺をどう思っているのかよーく分かったよ」
「聞いてたんですか」
「ドアの外にいるの知ってたくせに、白々しいぞ」
「愛されてますね、俺にも、密にも」
「……余計な気を回しすぎなんだ、こいつは。というかどこで寝てる、密」
「膝枕くらいで怒らないでくださいよ、可愛いな。先輩にもしてあげましょうか?」
「……………………今度」
「なるほど甘ちゃん」
「うるさいぞ」

 そんな会話が続けられていることもしらないで、心地よい温もりの中で睡眠をむさぼった。



2018/07/31
お題箱より「ふたりが付き合っていることを知った密の反応」
  
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