華家



ハニー ソー スウィート


 今夜は月が綺麗で良かった。至はそう考えながレンガ調の歩道を歩く。雨ではせっかくの気分が台無しだし、できればロマンチックな方がいい、なんて。

「あ」

 そんな浮かれ気分で歩いていたら、ふらついた足がもつれる。

「危ないな」

 よろめいた体を支えてくれたのは、千景の腕だった。高鳴った胸を気づかれないうちに離れ、すみませんとひとまず謝って、七割がわざとだったお決まりの展開に、視線を泳がせる。

(いや、これはさすがに気づくわ)

 会社の飲み会を、「飲みすぎると怖いから」と適当に切り上げてきたが、実際はどれだけも飲んでいない。心も体も頭も素面だ。
 千景にもう少し近づきたかったなんて思いで足をもつれさせたけれど、わざとらしかったかもしれない。曲がりなりにも舞台役者が、情けないことである。
 空気を変えようと、至はしっかりと足を踏みしめ、千景に訊ねた。

「ところで、今日はどういう風の吹きまわしだったんですか? 先輩が飲み会に出るなんて、珍しいこともあるもんですね」

 お互いアルコールが入っているせいか、いつもよりゆったりとした歩調が、至には嬉しい。ゆっくりならその分だけ、千景と過ごす時間が増えるのだから。

「それはこっちのセリフだと思うけど。お前が参加するって言った時の、女の子のどよめきといったらまあ、凄かったぞ」
「ああ、俺モテるんで」

 さらりと返してみるけれど、内心で舌を打つ。確かに、会社の飲み会なんてできれば回避したいもののひとつで、よほどのことがなければ出なかったのは事実だ。

「今日は、ゲームとかしないで良かったのか」
「……いいんですよ、今日は。たまに出ておかないと同期のヤツらもうるさくて」

 なるほど、なんて呟いて、千景は空に浮かぶ月を見上げている。先ほど至がしていたようにだ。
 その横顔がやけに色っぽくて、見惚れてしまうのかどうにも悔しい。

(先輩が珍しく参加するって聞いたからだよ、鈍感……)

 いや、千景はきっと気づいているはずなのだ。千景に向かっていく至の恋心など、とっくに。
 いつだか気づいてしまったこの気持ちは、否定したかった至の思いさえも巻き込んで丸め込んで、こんなに大きく育ってしまった。もう、体中からあふれてしまっているような気さえしてくる。
 そんな想いを一身に受けている千景が、気づかないわけはないのだ。もともとがそんなに鈍い男ではない。
 そしてまた、至も気づいている。千景から向かってくる、自分と同じ種類の想いなど。自惚れかと思ったときもあったが、よこされる視線が熱すぎて、気づかざるを得なかったのに。
 それでも気づかないふりをして隣を歩く、お互いのズルさ。
 そっちが先に言えばいいと、恐らく二人ともが思っているのだろう。自分から言ってしまえば、なんだか負けたような気分になると考えているに違いない。

「でも、今日の飲み会、料理も美味しかったですよね。正直そんなに期待してなかったんですけど、アタリだったかな」

 おかげで、こうして二人きりていてさえ、会話に色気がない。もう少しでも色っぽい話題に持っていけば、何かのきっかけになるかもしれないのに。恋することに慣れてないのだと、こんなことになって初めて自覚した。
 器用なふりをして、きっとお互い不器用なのだ。

「そうだな。美味しかったけど、俺としては物足りない」
「先輩にかかったら、カレー屋か激辛系じゃない限りほぼ物足りないと思いますよ」
「茅ヶ崎、一緒に行く?」
「いや俺辛いの得意じゃないんで。ジャンクフードなら付き合います」
「……そう、残念」

 そうして互いにフラグを折るのも一度や二度ではなかった。まるで好みが違うのを、ここまで恨めしく思ったことはない。
 いっそ何も言わずにホテルに連れ込んでやろうかなんて、至がため息をついた時、ピロンッと可愛らしい音が聞こえた。聞き慣れたその音は、どうやら千景の携帯端末に届いたLIMEメッセージのようだった。
 千景はポケットから端末を取り出して、アプリの画面を確認している。普段なら、至もそんなものは気に留めなかっただろう。
 だけど千景の横顔が、この上なく嬉しそうだった。
 ズキ、と心臓が痛む。そんな顔は見せてくれたことがないのに、誰からのメッセージでそんなに嬉しそうに微笑むのか。
 ドキン、ドキン、と胸が鳴る。置いていかれそうで、足下から冷えていくような感覚を味わった。

「……誰、から……ですか?」

 思わず立ち止まって、普段なら訊かない野暮なことを口にしてしまう。自分が隣にいるのに、小さな画面に向かって嬉しそうにしないでほしい。

「もしかして、密とか?」

 千景が立ち止まって、振り向いてくる。千景が密と何らかのつながりがあるのは分かっていて、そこに入り込めないことも理解している。恋愛感情でないとは思っているものの、どうしても嫉妬は湧き上がってきた。

「なんでそこでアイツが出てくるのか分からないんだけど。まぁ……可愛いハニーからね」

 怪訝そうに眉を寄せながらも、次いで千景は上機嫌に口の端を上げる。これ見よがしにアプリの画面を向けてきたが、そんなものは見たくない。至はあからさまに不機嫌顔で返してみせた。

「はぁ、可愛いハニー、ですか。おかしいですね」
「おかしい? どういうことかな」
「だって俺は何も送ってませんし」

 至も携帯端末を持ち上げて、千景にアプリの画面を向けてみせる。当然ながら、千景に送ったメッセージなどなかった。可愛いハニーから来たというなら、自分であっていいはずなのにと。
 告げるはずのなかった言葉と、目をぱちぱちと瞬く千景に居心地が悪くなる。
 正直逃げ出してしまいたかったが、そうするより早く、端末を持った手首を千景に捕らえられた。

「へぇ……なんなら、今送ってくれてもいいんだけど、ハニー」

 愉快そうな顔をした千景の額が近づいてくる。ハニーはハニーでいいらしいのだが、どうにも千景の方が優位に思えてしまう。

「両手が塞がってて操作できませーん」

 至の左手には、仕事用の鞄。そして端末を持った右手首は、千景に捕らわれている。メッセージを送るにしても、何もできやしない。
 そんな事実と建前で、「そっちが言え」と言外に含めてみた。

「困ったな。じゃあ……どうしようか?」

 千景は少しも困っていないような口調で、こつりと額を合わせてくる。瞬きをするのが惜しいくらいの距離に、至は早々に諦めることになった。

「……ずるい」
「ずるくはないだろ」
「ずるいですよ、馬鹿」
「茅ヶ崎、目は閉じない派?」
「逃げられそうで」
「馬鹿だな、捕まえてるのは俺なのに」

 ぐい、と手首を引かれ、距離が一気に埋まってしまう。
 触れた唇に、至はようやく目を閉じた。



 右手と左手をつなぎ合わせ、月下の道を二人で歩く。
 結局明確な言葉もないままで、恋人同士になってしまった。だけどこれだけは訊いておかねばと、至は隣の千景を振り向く。

「ねえ、結局誰だったんですか、LIME」
「ん? 行きつけのスパイス店、明日からセールやるって宣伝」
「何がハニーだペテン師」
「褒めてくれてありがとう」

 褒めてない、と言ってもきっと無駄だろう。お互いがこんなに緩んだ顔をしていては、すべてが愛に変わってしまう――。



2018/06/06
・終業後、飲み会帰りかたまたまかで徒歩で夜の道を歩く二人。
・他愛のない会話が続くが、千景にLIMEが届く。相手を訊ねる至と、軽くかわす千景。
・その掛け合いの中で、思わず恋を告白してしまう。
・相手から返事をもらい、手をつないで歩き出した。
※できれば好きという単語を使わずに
というプロットよりストーリーを書くという小企画?で
  
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