華家



ジェラシィの欠片


「いい加減にしろ、茅ヶ崎!」
「はァ? 先におかしなこと言い出したのそっちでしょうが!」


 舞台ナイランの千秋楽を終えて、やっと落ち着ける。実際、二日ほどは稽古もなく、若干力尽きたふうになっていたかもしれない。それでも、恋人と過ごす時間は嬉しかった。
 ソファに二人で腰掛けながら、他愛のない会話をしていたはずだ。舞台のこと、ナイランの新作、役作り、疲れたけど全力投球できた、楽しかった、うん実はまだやりたい、なんて話していたのも、ほんの数分前。
 なのに、なぜこんなに声を荒らげなければいけないのかというと。


「そういえば、アイツとはちゃんと決着ついたのか?」
「アイツ? ああ……もしかして外岡ですか」
「そう、彼。お前を〝チガ〟なんて呼ぶ男。なんだあれ」

 千景の言葉に、妙な引っかかりを感じた。不機嫌そうな声で、視線も背けられている。至は首を傾げ、千景を呼んだ。

「先輩? なにそれ、なんか、……やきもち?」

 千景が、はじかれたように至を振り向く。気に障ったのか、自覚をしていなかったのか、見開かれた目はすぐに細められた。あ、これ地雷踏んだ、と気づいても、もう遅い。

「……、つきあってた?」
「寒いこと言わないでください。アイツとはただの友達で、それだって途中で破綻したって、ちゃんと言ったでしょうが」
「それがずっと引っかかってる。彼のその行動こそ、やきもちに他ならないだろ。少なくとも向こうには、友情以上の気持ちがあったんじゃないのか」

 至は頭を抱えた。まさか外岡とのことを、そんなふうに捉えられていたなんて。ぞわ、と鳥肌が立つようだった。たとえ向こうにそういう想いがあったのだとしても、至は欠片ほども考えた事がない。
 あの頃の胸くその悪さを思い出して、すっと醒めていってしまったうつろさも思い出して、せっかく楽しい気分だったのに、全部めちゃくちゃにされてしまった。

「そういう感情があったらなんだっていうんですか。元カレとよりが戻るかもって? 先輩そんなこと考えるひとでしたっけ? 幻滅させないでくださいよ」
「そうじゃない茅ヶ崎、わだかまりが残ってて、この先またお前に妙なちょっかいを出されたらたまらない。よりなんてふとしたきっかけで戻ってしまうんだぞ」
「それ、経験則ですか。いっぱいいたんでしょ、お相手」
「なんでそんな話になるんだ」
「同じことですよ、先輩だって、いつ昔の男と再会して俺のこと放ってそっちに走るのか、分かったもんじゃない!」

 そうして、冒頭である。
 珍しく千景までもが声を荒らげるのは、その可能性があるからなのか、それとも自分の醜い嫉妬を覆い隠したいからなのか。
 ソファの上でお互いがにらみ合って、どちらも引く気はないようだ。
 ぐぎゅう、と潰れる音がしそうなほど、胃が痛い。千景に信じてもらえないことが苦しい。千景がいつかいなくなってしまう可能性が怖い。自分の想いを守ることが精一杯で、相手のことなんて気遣えない。

「……俺のこと、信用してないのか」
「俺を疑う人を信用しろって言うんですか」

 少しの沈黙が流れる。にらみ合った視線は、千景の方から外された。途端、急激に体が冷えていく。今の今まで、屈辱と胃の痛みで熱かったはずの体がだ。
 千景が、ふいと顔を背け、ソファから腰を上げる。生産性のない言い合いに、終止符を打ちたいようだった。

「もういい、分かった」
「……え?」
「少し距離を置きたい。しばらく留守にする」
「は!?」

 千景はそれだけ言って、ドアに手をかける。まさかそうくるとは思わなくて、至は声を上げた。距離を置くとはどういうことか。しばらくとはどのくらいか。そもそも怒っていいのはこちらではないのか。
 そんなことを考えているうちに、千景はドアを開けて部屋を出て行ってしまう。直前に振り向いたかと思えば、

「言っておくけど、情報収集以外の目的で男と寝たことなんかないからな」

 そう吐き捨てられた。
 今起きたことが信じられなくて、至はただ茫然とソファに腰をかけなおす。いったい何が起きたのだろう。
 外岡とのことを疑われ、ありえないと否定したはずなのに、よりが戻るのはふとしたきっかけなんて追い立てられた。
 ありえない、とふるふる頭を振る。外岡のことをそんなふうに見たことはなかった。高校時代のあの行動が外岡のやきもちだったのではなんて言われて、初めてそうなのかもと気がついたくらいだ。それにしたって、恋情が絡んでない可能性だってあるのにだ。
 何が、千景を刺激してしまったのだろう。自分の知らないところで、何かあったのだろうか。あんなに外岡のことを気にするなんて。

「やー、でも……俺は怒っていいでしょ……いいよね……?」

 最初におかしなことを言い出したのは千景だ。おかげで至もおかしなことを言ってしまった。
 この歳で、話しづらい過去のひとつやふたつやみっつよっつ、あるに決まっているのに、お互いが責め合った。しかも、本人がそれと自覚していない過去をだ。
 ひとりになってしまった部屋で、至は大きく息を吐いた。

「むり」

 千景のことを信用しきれない。千景の過去を許容できない。千景をこれ以上恋人として見られない。
 ――そんなことではない。

「先輩がいない部屋、寒い」

 この季節にそんなことはないはずなのに、寒々しくて、さみしい。千景もそう頻繁にこの部屋にいるわけではないのに、たった数分でもこんなにさみしい。
 至はソファから腰を上げ、ドアへ向かう。今なら追いつけるだろうか。どこに行ったのかも分からないけれど、今千景と離れてしまったらいけないと、玄関へと足を向けた。
 そうして、玄関の手前で、運良く千景を見つけられた。まだ寮内にいてくれた、と気持ちが逸る前に、ツキンと心臓が痛む。
 傍に、密がいたからだ。
 彼らの間に恋愛感情などないと分かっていても、どうしても嫉妬してしまう。自分とは違う意味で、千景にいちばん近い存在だ。

「……馬鹿なの、千景」
「うるさい」

 彼らのやりとりが聞こえてくる。どうやら密はコトの次第を聞いたようで、それにもチクリと胸を刺される。密が引き留めてくれたから千景に追いついたのは良かったが、痴話ゲンカさえ筒抜けなのはどうしたものか。
 壁の影に隠れ、そっとなりゆきを見守る。千景がどういう思いであんなことを言ったのか、それを密に打ち明けるのかどうか、知りたかった。

「冷静さを失ってるんだ、しばらく離れるしかないだろ。あんなケンカしたくない」
「俺たちとはしょっちゅうしてたけど……」
「家族と恋人は同列に語れない」

 じわ、と胸が熱くなってくる。同列では語れない――それでも同じほど大事。そう言ってくれた。あれだけ大事にしている密と同じだけ、大切にしてもらっているのだと知った。

「でも、つきあってなかったって否定してくれて、助かったな。そうでなきゃ、相手を社会的に抹殺するところだった」
「……手伝う……?」
「冗談だろ、馬鹿。少し頭冷やして、アイツに謝るよ。あんなことでケンカしてたんじゃ、茅ヶ崎の全部なんて背負い込めない」
「……オレには分からないけど、千景がそうしたいなら、いいと思う……」

 全部を背負い込みたい。そんな甘ったるい言葉に赤面していると、密の静かな声。引き留めてくれるんじゃなかったのか、と慌てて身を乗り出した。

「でも、オレじゃないひとが、引き留めるよ、千景……」
「え?」
「あ」

 身を乗り出した至を、密が指さす。いったいいつから気がついていたのか、密の視線は至を向いていない。千景の目だけが、至をしっかりと捉えていた。
 茅ヶ崎、と小さく呟いたのが耳に届く。引っ込みがつかなくなって、至はゆっくりと歩みを進めた。もともと千景を引き留めようとしていたのだから、問題はない。少し照れくさいだけだ。

「本当、冷静じゃないね、千景。至の気配に気づかないなんて」
「……うるさい」

 密は楽しそうに笑って、踵を返し至とすれ違っていく。彼には今度、マシュマロでも買ってあげようかと、至はその背中を見送った。
 そうして、改めて千景に向き直る。

「あの」
「すまない、言い過ぎた」

 言い出す前に、千景に先を越される。出鼻をくじかれて、至は口を尖らせた。千景が悪かったのは事実だが、至も悪くないとは言い切れない。
 過去なんて気にしないとは言えないが、疑うべきではなかったのに。

「俺も、すみませんでした」
「いや……俺は自分がこんなに嫉妬深いと思ってなかったから、今回は俺が悪い」
「でも俺だって先輩の過去の傷とか抉ったんでしょ。お互い様でいいですか?」
「お前がそれでいいなら」

 いいです、と答える。正直、もう、疑われたことも、不安も、不満も、吹き飛んでいる。千景に、ちゃんと大事にされていることが分かったから。
 部屋に戻ろうと至が踵を返しかけたその時、つん、と袖を引っ張るものがあった。千景の指先だ。不思議に思って振り向けば、少し困ったような顔をした彼がいた。

「先輩?」
「茅ヶ崎、車のキー持ってきて」
「え? 出掛けるんですか?」

 せっかく部屋でまったりできるかと思ったのに、千景はどうやらでかけてしまうらしい。しゅん、と眉を下げた至に、千景はそっと身を寄せてきた。
 囁かれた言葉に、頬の熱が上がる。キーの場所など知っているくせに、至に持ってこさせようとするのは、面倒だからではない。至に選択権を与えてくれているせいだ。ここで嫌だと言えば、千景はきっと引き下がる。
 だけど至は、車のキーを持ってくるために体の向きを変えるのだ。


「二人で出掛けよう。ここじゃお前を抱けないよ」


 千景はやっぱりずるい、と真っ赤な顔で歯を食いしばった。



2018/06/23
かなれさんからいただいたプロット「部屋でまったりしていたら、ケンカっぽくなる→どちらかが部屋から出て行く→残った方が少し考えて、仲直りしたいと追いかける→無事仲直り」 からできあがったストーリーです。
  
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