華家



のろける、とろける



「へえ、そんなことがあったんだ」
 一〇三号室のソファの上、紬の柔らかな声に至は安堵する。聞き上手なんだろうなと思うと、彼の存在はありがたかった。

「ちょっと、びっくりしたんだよね。先輩があんなふうにさ……」
 昨日起こった出来事について、キモチを整理したかったというか、自慢したかったというか、ひとまず誰かに聞いてほしかったのだ。だが誰にでも話せる内容ではない。そう思って、ゲームのタップだけ手伝ってほしいという建前で紬を連れ込んだわけで。
 連れ込むというのは語弊があるが、紬はいやな顔ひとつしていない。それどころか、どうしてか嬉しそうに笑うだけだった。

「至さーん、先週借りたゲーム……っと、あ、なんだ紬さんも来てたんすか」
 そのとき、ノックのあとにドアが開く。ゲーム仲間である摂津万里だ。ソファに座る紬の姿に気がついて、いつもより柔らかな表情になったことに、当人たちは気づいているのかどうか。
「うん、今ね、至くんの惚気聞いてたとこ」
「惚気じゃない」
「ぶっは! 至さん惚気んのかよ」
 紬の幸せそうな顔と、照れくさくて背けられる至の顔と、至と惚気という単語のミスマッチに噴き出しおかしそうな万里の顔。三者三様の表情が、一〇三号室に浮かんだ。
「いやー俺も聞きてーわ、至さんの惚気」
「惚気じゃないですー」
 万里は肩を震わせながら歩み寄ってきて、ソファの前に腰を下ろす。ちゃっかりと紬の脚に頭を預けるあたり、このカップルも相当遠慮がないなと思うのだ。
「ば、万里くん」
「紬さん駄目、今のいいポジションだったんだって」
「あ、そ、そうなの?」
 突然の人前での接触に慌てた紬が脚を避けるも、万里に引き戻されて彼を受け止めている。そんな光景が微笑ましくて、至も口の端を上げた。

「で、至さんの惚気って? 千景さんと何かあったんすか」
 紬や万里とはもともと仲はいい方だったが、ここ最近で急接近した理由がある。彼らが付き合っているのと同様の意味で、至にも恋人ができたからだ。
〝自分たちだけではない〟という安堵感はそれぞれにあるようで、よき話し相手になっている。
「な、何かっていうか、その」
「あのね、昨日ヤキモチ妬かれちゃったんだって」
 惚気と言われて至が話しあぐねていると、紬がフォローするように万里に告げる。
「は? ヤキモチ?」
「そう。昨日密くんがね、〝たまには至を休ませて〟って言って、至くんの膝枕で寝ちゃったんだって。そしたら千景さんが〝お前が茅ヶ崎の膝で寝たいだけだろ、降りろ〟って機嫌悪くなったみたいで」
「分かりやす! 千景さんて密さん相手だとなか雑っていうか遠慮ねーよな。もともと知り合いなんだっけ?」
 そうみたいだね、と紬は笑う。至は昨日のことを思い出して、頬を赤らめた。紬が今万里に説明したことが、昨日このソファの上であった。恋人である千景は密の首根っこを掴んで本当に部屋から追い出していて、分かりやすいヤキモチに浮かれてしまったのだ。

「つーか密さんも知ってんだ? 至さんと千景さんのこと」
「あー、密は鋭いっつーか。わりと前から俺の気持ち知ってたし」
 加えて、変な意味でなく千景との深い間柄のせいか、千景の気持ちにも気づいていたフシがある。
「ザフラから帰ってきたあと、先輩わりと態度で示してくれるようになったんだよね。だから嬉しい……けど、片想いだって思ってたし、叶うなんて思わなかったから、ちょっと戸惑ってるんだよ」
 これが惚気に当たるとは考えなかった、と至は恥ずかしそうに髪をかき混ぜる。初めてのちゃんとした恋人という存在に、どうしたらいいのか分からない。

「ふふっ……至くん可愛いなぁ」
「ヤメテ」
「……可愛すぎかよ……」
「そうだよね、万里くんもそう思うでしょ」
「いや紬さんが」
「お前もブレねーな万里」
「なんでそこで俺なの!?」
「至さんが可愛いなーってほわほわしてる紬さんが可愛い」
 しごく真面目な顔で、万里は紬を見上げる。紬は恥ずかしそうに顔を真っ赤にし、体を強張らせていた。
「ば、万里くんはすぐそういうこと言うよね……しかもなんでそれがサマになるんだろう? 俺が言ってもキマらないじゃない」
「紬、それは惚気ですね」
「えっ!? ど、どこが?」
「万里が死んでる」
 紬の膝にあったはずの万里の頭が、そっぽを向いてしまっている。
 つまるところそんなことをさらりと言ってのける万里がかっこよくて大好きということだ。盛ったかもしれないが大方合っているだろうと、至は目を細める。自覚アリで惚気る万里と、自覚ナシで惚気る紬では、きっと紬の方がタチが悪い。

「あ、あの、ところで千景さんは? まだ仕事?」
 なんとか話題を逸らそうと、紬が声を上ずらせて訊ねてくる。至が会社を出るときまだデスクにいたから、一人で帰ってきたが、連絡はもらっていた。
「そろそろ帰ってくるよ。頼んでおいたコーラが待ち遠しい」
「コーラかよ」
 今から帰るというLIMEに、コーラよろと返したら、だが断ると即返信されたのを思い出す。だけど千景のことだから、きっちり買ってきてくれるに違いないのだ。

「ただいま」
 その時、部屋に監視カメラでもついているのかというくらい実にタイミングよく、千景が一〇三号室に帰ってくる。
「あ、お帰りなさい千景さん。お邪魔してます」
「千景さんおつっす」
「ああ、来てたのか二人とも」
 千景は驚いた様子もなく、三人へ歩み寄ってきた。部屋に誰かがいるということにも、もう慣れたのだろうと思うと、至の心がじんわりと温かくなる。
 千景は鞄を置くより、ジャケットを脱ぐより先に、やっぱり買ってきたコーラのボトルを至に手渡した。
「あ、ありがとうございます」
「俺をパシリに使うな」

 そう言いながら、ソファの後ろから至の顎を持ち上げ、軽いキス。

 目を見開いたのは紬と万里だけで、至は離れかけた千景の唇を追ってちゅっとついばんだ。
「ははっ、あとでお返ししますよ。おかえりなさい」
「うん、ただいま」
 色を含んだ声でそう告げれば、千景は満足そうに体を離し、ようやく着替えを始める。
「あ、の……」
「俺たち相手に牽制とか? 千景さんわりと余裕なさげ……」
 紬は至近距離でされた二人のキスにまだ固まり、万里は呆れながらもからかうことを忘れない。
「ん? そんなつもりはないけど。俺はただ茅ヶ崎に触れたかっただけだよ」
 だがしかし、返り討ちにあってしまった。千景の方が一枚も二枚も上手である。先ほど至が言った〝態度で示してくれる〟という言葉の意味を、改めて理解したようだった。
「なるほど、至さんが惚気るわけだ……」
「万里!」
「へぇ、惚気てたんだ、茅ヶ崎」
 着替え終えて、千景は万里と同じようにソファの前に座る。そうして背後の至を指さし、
「自分で惚気ておきながら照れるとこ可愛いだろ」
「千景さん相当っすね」
「万里もだろ?」
「あー、まあ。そこは負けねえっすわ」
 パートナーの可愛い自慢なら負けはしない、と万里は口の端を上げる。ソファの上では、彼らのパートナーたちが顔を真っ赤にしながら絶句していた。

「それにしても、同室ってやっぱいいっすよね。正直羨ましい」
「俺と万里くんは組が違うから、仕方ないんだけどね」
「でも紬たちはその分リーダー関連で何かとコンビ組めるじゃん」
「同室っていっても、ここでセックスできるわけじゃないしね」
「先輩オブラート買ってきて」
「毎回ホテル行ってんすか?」
「茅ヶ崎の声が大きいから」
「じゃあ塞いでればいいでしょうが!」
「やだよ聞きたいし」
 千景に、口で勝てることなどない。至はソファの上で体を丸め、顔を赤らめたままの紬になだめられる。
「あ、隣駅の方行きます? 割といいとこありましたよ」
「へえ、なんてホテル? 俺のオススメはここかな。風呂が大きくてリラックスできたし」
「おー、よさげっすね。紬さん、今度ここ行こ」
 
 タブレットでオススメホテルを紹介されてご機嫌な万里と、そういう話を振られるとどうしても恥ずかしくて固まってしまう紬。
「ば、万里くん、そういうのは」
「紬も要望はちゃんと言っておいた方がいいよ。セックスはお互いが気持ちよくないと意味ないし。相手が何を考えているか知るには、リラックスしてる空間がいちばんだしね」
「……なるほど、相手の思考を探るのはいいですね。演技の時には言葉にしない、できない場合もあるわけで」
「乗っかる紬ワロタ」
 演技の糧になるかもしれないと分かると、紬も乗り気になってしまう。そんな紬を笑いながら幸せそうに眺める万里に気づいて、至は火照った頬をパタパタと手で扇ぐ。
「茅ヶ崎はどういうところがいい?」
「え? あー、俺は別にどこでも。コンセントとWi-Fi環境があればね」
「至さんもホントにブレねーな」

「っていうかほぼ千景さんしか目に入ってないし何も考えられなくされるから、設備とか凝ってても興味ないかも」

 ため息交じりに呟けば、今度は万里がパタパタと頬を手で扇ぐ仕種をした。そうしてから、自分が何を言ったのか自覚して、千景を見やる。
 彼は、嬉しそうに、照れくさそうにはにかんで、唇にキスをしてくれた。
「盛大な惚気だな、茅ヶ崎」
「忘れてください」
「あいにくだけど記憶力はいい方なんだ」
「でしょうね!」
 恥ずかしくて死ぬ、と体ごと視線を背ければ、肩を震わせながら笑う万里が腰を上げる。
「邪魔しちゃ悪いんでそろそろ戻るわ俺。紬さんも行こ」
「あ、うんそうだね。至くんまた話聞かせて」
「墓穴掘るから自重する……」
 万里が紬の手を引いて、一〇三号室を出ていく。
 紬が座っていたところに千景が代わりに腰を下ろしたのが、気配で分かった。
「茅ヶ崎もうちょっと端っこ行って。うんそのあたりちょうどいい」
「へ?」
 ソファの隅へと追いやられ、急になんだと抗議しようとしたら、膝に落ちてくる、千景の頭。
「なあ、惚気てたって何言ったの」
 膝から見上げてくる千景の髪がさらりと揺れて、恥ずかしい気持ちが温もりに溶けていく。至はむくれたフリをしてそっぽをむいたけれど、指先はちゃっかりと千景の髪を撫でていた。
「茅ヶ崎」
「……先輩のヤキモチが嬉しかったって話ですよ」
「……昨夜のは、ちょっと、大人げなかったと思うけど」
 千景の視線が珍しく逸らされる。それでようやく肩の力を抜き、至は笑った。
「先輩、あの、頷いてほしいんですけど、俺のこと――好きですか?」
「――うん」
 要望通りに頷いて、千景は至の手を取りキスをしてくれる。言葉で言えない分、千景はこうして充分に応えてくれている。
 幸せだなんて、何度目かの思いを、胸に溶かした。

2018/10/24
キリリク 千至+万紬
  
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