華家



真ん中で


 仕事を終えて寮に戻り、あてがわれている103号室のドアを開ければ、いつものようにソファに座ってゲームを楽しんでいる茅ヶ崎至がいた。

「あ、おかえりなさい先輩。お疲れ様です」

 振り向きもせずにそう声を投げてくるが、不快ではない。おかえりなさいと言ってくれるその声、お疲れ様と労ってくれるその声だけで、充分に癒やされる。
「うん、ただいま」
 千景はジャケットを脱いでハンガーに掛け、そっと歩み寄った。ソファの背に肘をついて、至を覗き込む。携帯端末の画面はよく見かけるゲーム画面だ。

 大丈夫かな。

 様子を窺うのは、邪魔をすると怒られるからだ。
 職場の後輩で、ルームメイトで、恋人である茅ヶ崎至は、廃人レベルのゲーマーだ。寝る間も惜しむほどのめり込むことも多く、千景としてはもう少しセーブしてもいいのではないかと思っている。
 まだ、口に出してはいないけど。
 というのも、至の健康が心配云々より先に、もう少し恋人らしい時間を増やしたいという願望があるからだ。至はそれを受け入れてくれるだろうか。悩みに悩んで、いまだに言えていないのが現状である。

「ねえ茅ヶ崎」
「はい?」
 呼べば返事をしてくれる。ゲーム画面のミッションが終わったらしいところで、千景は続けた。
「キスがしたいんだけど」
 仕事で疲れて(もいないが)帰ってきて、同じ部屋に恋人がいれば、触れて、癒やされて、満たされたい。

「はあ、どうぞ」

 返ってきた言葉に、千景は目を瞬き笑った。
 素っ気ないふりをしているくせに、千景の位置からもバッチリ見える。至が耳まで真っ赤にしていることを。
 加えてゲーム画面は止まっていて、もう少しでスリープモードになってしまうだろう。
(かわいい)
 千景はどうぞと言われたのをいいことに、そのまま真っ赤な耳にちゅっと口づけた。
 びく、と至の体が強張る。先ほどよりもっと赤くなったような気がする耳を撫で、そこから届く顎のラインを唇でなぞっていった。
「あ、あの、くすぐった……」
「茅ヶ崎。くすぐったいの嫌なら、茅ヶ崎の方からキスして?」
「へ?」
 そうおねだりすれば、やっと至が振り向いてくれる。前髪を上げた額を指先でつつき、つ、と撫でる。
(目がまんまる。本当に可愛いな)
 キスをして、とおねだりされたことをようやく把握して、至はあっちこっちへと視線を泳がせる。その仕草だけで満足できそうなほどに可愛らしかったが、最終目的は果たしたい。千景はソファの背に腕を乗せて、待った。
「あ、あの、別に、くすぐったいのが嫌ってわけじゃ」
「……キス、してくれないんだ?」
 だけどすぐにはキスをしてもらえなくて、声のトーンを落とす。それは意図的なものだったが、残念に思うのは本当だ。
 何しろ、
「いつも俺からだよね。茅ヶ崎、気づいてる? お前からしてくれたこと、一度もないの」
「えっ、あ、あの、それは」
 どうやら自覚はあるようだった。

 キスは何度もしているが、いつも、いつでも、千景の方がアクションを起こす。キスをしてもよさそうな雰囲気のとき、至近距離で視線が重なったとき、あるいはキスをしてもいいかを訊ねて。
「嫌なら、断ればいい。俺のこと好きじゃないなら、その」
「嫌じゃないし好きじゃなくないです!!」
 やめようかと言いかけたとき、ものすごい勢いで否定が返ってきてくれた。それには正直ホッとして、口許を緩める。
「じゃあ、どうして……」
 訊ねれば、至は気まずそうに視線を泳がせた。そんなに言いにくいことなのかと、千景は首を傾げる。寂しい気持ちを隠せずに眉を下げたら、それに気づいたらしい至が、慌てて口を開いた。

「あっ、の、すみ、ません、その、は、恥ずかしくて……」

「……、……え?」
 耳に飛び込んできた言葉を把握しきれずに、訊き返してしまう。至は今、なんと言ったのだろうか。
「は、恥ずかしいんですよ、自分からなんてっ……」
「恥ずかしいって……キスが?」
 至の顔は茹で蛸のように赤くて、羞恥に唇を噛む仕草からも、それはその場しのぎの言い訳ではなく本音なのだと窺い知れた。だがしかし、キスをするのが恥ずかしいとは。
「何を今さら……」
 キスなんて何度もしている。まだその先には進んでいないけれど、まあお付き合いを始めて一月足らずならば、それも仕方ないかもしれない。しかし、キスは、触れるだけのも、もっと深いのもしている。一日何度、なんて数えてはいないけど、キスをしなかった日を数えた方が早いというほどなのに。
「だってあの、俺は上手くないし……あんなに気持ちいいのとか、無理だと思うんで……」
 頭を抱えたくなった。いや、すでに抱え込んでいる。至はきっと、自覚していないのだ。千景は、ああ、とため息のように声を上げ、至をほんの少し恨めしげに見つめた。
「茅ヶ崎……何言ってるか分かってる?」
「え?」
「俺のキス上手いって、気持ちいいって言ってるんだぞ、それ」
 カッと頬の赤が深まる。それでも否定は返ってこなくて、どうしてくれようかと額を押さえる。
 ため息ひとつ、理性を連れ戻した。
「あのね茅ヶ崎……技術なんて正直どうとでもなるんだよ。必要なのは、俺が茅ヶ崎を大好きで、茅ヶ崎も俺のこと好きでいてくれるっていう事実だと思うんだけど。心がこもってなきゃ意味ないだろう」
「好きっていうか、……大好き、ですけど、俺だって」

「どれくらい?」
「……いっぱい」

 困ったように眉を寄せる至が、本当に愛おしい。
「キスしたくなるくらい?」
「…………はい」
 至の腕が伸びて、首に添えられる。千景は腰を折り、至は伸び上がって、互いの真ん中で視線を重ね合わせた。

 こういった付き合いに慣れていないのはお互い様で、相手の動向をどう受け止めていいのか分からなくなることは、これからもきっとたくさんあるだろう。だけど、その都度こうして互いの真ん中で触れ合えたらいい。
「あの、いいですか、上手くなくても」
「焦らすの上手いな茅ヶ崎は。この状態で言わないでくれ」
「今さらでしたね」
 恥ずかしそうに笑って、至の唇が近づいてくる。

 そうして初めてキスをもらったが、うるさく音を立てる心臓には、どうか気づかないでいてほしいと、至の体を抱きしめながら考えた。



2018/08/21
お題強奪「何を今さら……」恥ずかしがる感じで
  
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