華家



キスは眼鏡をかけてから


 十座が目を開けると、そこには恋人の寝顔があった。布団の隙間から見える肌に、昨夜付けたキスマークが見えるのが、なんともたまらない。
 起こさないようにそっと身を寄せれば、綺麗に脱色された金色の髪が視界いっぱいに広がる。
 その髪は思っていたよりもさらさらしているのだと、こんな関係になって初めて知った。
 これが夜にはベッドの上に散らばり(多くはベッドでない場所でだが)、十座の視界を楽しませるのだ。
 十座はそっと腕を持ち上げて、恋人の――左京の髪を撫でる。
 甘いものを食べている時と、こうして左京の髪を撫でている時の至福と言ったら。いや、とても言葉では表せない。

 叶うと思っていなかったこの恋が受け入れられたのは、恐らく左京の気まぐれだ。
 そうでなければ、同性相手に、しかも一回りも年齢が違うガキなど相手にしてくれないだろう。

 いつか終わりがくるかもしれない。それは早いうちか、忘れて油断した頃にかは分からないが、それを覚悟しておかなければならない。

 ――――また無茶しちまったけど……今のうちに、ってのが……俺の中にあるんだろうな。左京さんが、俺を相手にしてくれるうちに、知りたかったんだ。この人を。

 視線を、口唇を、体を重ねられるようになってから、しばらく経ったけれど、いつも夢中になってしまう。
 起きたあとに怒られるのももう慣れたが、左京が起き出さないうちにこうして髪を撫で、頬に口づける時の緊張は、まだまだ慣れやしない。
 額に、眉間に、鼻先に、ふたつ並んだ黒子に。順番に口づけて、左京が起きるのを待った。

「ん……」

 今日は目を覚ますのが早いなと、口唇へのキスをし損なってこっそり舌を打つ。

「兵頭……?」
「……っす。体、平気すか、左京さん」

 寝起きの掠れた声で名を呼ばれ、胸が高鳴る。眠そうに目を擦る左京に、昨夜の無茶を謝罪する。覚醒した左京はため息とともに寝返りを打って、体を上向けた。

「あー……ちったあ手加減てもんを覚えたらしいな……」

 それでも体のあちこちが痛ぇ馬鹿がと、悪態をつくことを忘れない左京にホッとする。本当に怒っている時は、口さえきいてくれないのだから。
 疲労がまだ抜けていないのか、ゆったりとした口調にトクトク胸が鳴る。機嫌の悪くない今のうちに、と十座は口を開いた。

「左京さん……」
「あァ?」

 機嫌が悪くないと思ったのはただの願望だったかと感じるほど、低い声が返ってくる。
 だけど、言いかけた言葉を今さら引っ込められない。余計に怒らせてしまいそうだ。

「……キスをしてもいいっすか」

 一瞬、左京の息が止まったような気がした。そうして、周りの空気が二度ほど下がったような錯覚も。
 やっぱり言わない方が良かったかとも思うが、キスをしたいのは本当だ。昨夜充分に堪能したはずの左京の口唇だが、いつだって触れていたい。

「だ、駄目ならいいっすけど……」
「……構わねーが、眼鏡よこせ……」
「は? 眼鏡?」

 十座は目を見開いた。
 構わないと許容されたこともそうだが、眼鏡をよこせと言われたことに。左京は本当に目が悪いようで、眼鏡がないと手元足下がおぼつかないようなのだ。
 それは理解できるが、なぜ今眼鏡を欲するのか。そう思う間にも手探りで枕元の眼鏡ケースを探していて、十座は左京がそれを探し当てる前に取り上げた。

「左京さん、アンタ寝ぼけてるのか? キスをするのに、なんで眼鏡がいるんだ」

 眼鏡が邪魔になってしまうような激しくて深いキスをするつもりはないが、それはあくまで予定であり、したあとのことまで責任はもてない。
 皮脂や汗で眼鏡が汚れるのを嫌っているのは知っていて、だから不意打ち以外ではちゃんと眼鏡を取ってくれるのを待っているというのに。
 構わないと言いながら眼鏡をかけたいというのは、やんわりとした拒絶なのか、何かの謎かけなのか、それとも本当に寝ぼけていて思考が働いていないだけなのか。

「いいからよこせ、兵頭。見えねぇだろう」
「見える必要があるのか? ここにいるのは俺だ、左京さん。ベッドの中で、こんな格好のアンタにキスをするのは、俺でしかねぇんだから」

 相手を見極める必要はないと、十座は眉を寄せて低く囁く。左京の過去の女は知らない。だが、今恋人としてキスをするのは自分でしかないのだから、見えなくても不便はないはずなのに。
 左京がひとつ瞬きをして、細めた目で見つめてくる。朝っぱらから色っぽい視線をよこされて、十座の熱が上がってしまった。


「馬鹿か、だから……見たいと言ってんだ」


「……え?」
「俺にキスをする時な……甘ったれたガキが、いっちょまえに大人の男の顔をしやがる。……見せろ、兵頭」

 左京の指先が、十座の口唇をなぞってくる。その仕草と言葉の意味に気がついて、ボッと顔を赤らめた。

「左、京さん、アンタ、何言ってるか分かって……」
「兵頭、眼鏡……」

 左京の指が、十座の手にある眼鏡ケースを指す。寝ぼけているわけではないようで、十座の口唇が震えた。震える指先でケースを開け、丁寧につるをつまんで開く。
 他人に眼鏡をかけるなんてしたことがない。外す行為はしたことがあるけれど、逆はコレが初めてだ。左京の頬やこめかみをつつかないように、レンズを汚さないように、ゆっくりとかけていく。

 いつもの、左京の顔だ。

 眼鏡のレンズ越しに、左京の瞳をじっと眺める。
 見えますか、という愚問を音にする前に、十座は左京の口唇を撫でた。

「……好きだ、左京さん」

 ゆっくりと胸を重ね、口唇を重ねる寸前聞こえたのは、「知ってる」という、左京の吐息のような声だった。



2017/05/23
キスの日
  
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