華家



始まりのキス


 ソファからわざわざ腰を下ろして、ストンと床に座った。そうしても不思議がることなくキィを叩く千景の指先を、ものすごく不満に思う。思いながらも、結局は見惚れてしまっていた。

(綺麗な指……)

 左手の中指に、太めのリング。そこにはめている理由を聞いたことはない。たまにそれが悔しくも寂しくもなるけど、そんな彼の全部が好きなのだからしょうがない。
 至はそっと画面をのぞき込む。そうしても怒らないということは、至に見られても構わないものだということだ。
 どこか外国のニュースサイトのようだった。いかがわしいサイトでも見ていればかわいげがあるものを、と思わないでもなかったが、それはそれで腹が立つので、口には出さないでおいた。
 千景の腕に、こてんと頭を乗せる。

「重いよ、茅ヶ崎」

 そう言いながらも、千景は押しのけようとはしていない。優しさなのか、ただ面倒なだけなのか。至は千景の袖をツンと引っ張って、のぞき込んでみた。

「先輩」
「うん?」
「……キス、して」

 その言葉に千景は一瞬だけ驚いた様子を見せて、すぐにふっと笑う。

「お前からしても構わないのに」

 キィの上を滑っていた左手が、顎を取って固定してくる。そのあとすぐに小さくキスをされて、一瞬だけ心が浮き上がった。

「もう一回」

 そんな小さな軽いキスでは満足できない。不服そうに唇を尖らせたら、千景は手の動きを止めて、面白そうにのぞき込んできた。

「そんなにキスがしたいのに、どうして茅ヶ崎の方からしないの?」
「いやそれは無理」
「キスをしてって俺が頼んでも? 俺はお願い聞いてあげたのになあ」

 薄情なヤツだと、千景は呆れぎみに息を吐く。至は困った顔でふいとそっぽを向いた。
 だって本当に無理なのだ。
 照れくさいなんて初心なことを言うつもりはないし、もちろんやり方が分からないなんて言うつもりもない。

「だって……先輩、困りません?」
「なんで恋人にキスをされて困るのか、理解ができないんだけど」
「キスだけじゃ足りなくなるんで」

 至が自分からキスをしないのは、忙しそうな千景に遠慮してのことだ。自分から触れてしまったら、タガが外れる。千景の都合も構わないで、その先を求めてしまうから。
 だから千景に頼んで、千景から仕掛けてもらい、千景のタイミングで止めてもらう。

「でも、さっきのでも、まだ、今日……二度目だったんで、物足りないっていうか」

 こんなに近くにいるのだ、一日三度はキスがしたい。それもわがままだろうかとしょんぼり顔を俯けたら、隣で千景がガクリと項垂れた。

「茅ヶ崎……」

 ため息も混じっているようで、やっぱり困らせてしまったのかと至は慌てて顔を上げる。そうしたら千景は項垂れていた顔を横向けて、視線を合わせてくれた。

「キスから先も求めてほしいって……言ってよかったのか?」
「……え?」
「いつも俺からばかりで、少し不安だったんだけど」

 至はぱちぱちと目を瞬いて、言葉の意味を把握し頬を染め、思わず慌てる。まさか千景がそんな風に思っていたなんて、知らなかった。

「え、あ、あの、でも俺、本当に、止まらなく――」
「ねえ茅ヶ崎、……キスして」

 止まらなくなる、と言いたかった声を遮って、千景がずいと身を寄せてくる。あと十センチほどのところで止まり、千景はあくまで至からのキスを求めているようだ。

(……止めなくて、いいの?)

 欲しいと言ってもいいのか。キスをして、抱きしめて、ねえ、と誘っても。
 至は千景の眼鏡にそっと触れ、ゆっくりと外す。その眼鏡をテーブルに置いて、指先で頬をなぞった。その軌道をたどって唇を滑らせ、初めて自分の方から千景に触れる。

 満足するまで触れ合う、開始の合図。本日三度目のキスをした。



2018/06/09
 
  
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