華家



この手を守りたい


 カタカタ、カチャカチャと、硬い音が部屋に響く。
 千景の指先が眼鏡のブリッジを押し上げるのと同時に、ため息の音が混じった。

「茅ヶ崎」
「なんですか」
「そろそろ退いてくれないか」
「そっちこそそろそろ退けてくれませんか」

 103号室、二人にあてがわれたこの部屋のソファで、二人は密着していた。密着といっても色っぽい事態になっているわけではなく、ソファに腰掛けた千景の膝の上に、至が仰向けに乗り上げているだけだ。頭をアームレストに乗せて、いつも通りにゲームにいそしんでいる。
 千景は、そんな至の腹の上にパソコンを置き、こちらもいつも通り情報収集にいそしんでいる。なんとも似たもの同士の二人だ。

「ちょうどいい高さになるお前が悪いんだよ」
「ちょうどいい位置にいる先輩が悪いんです」

 この体勢で、もう小一時間。このやりとりも、もう3回目だ。
「背中、痛くないか?」
「クッションにしては硬いけど、温かいんで」
「ならいいけど……」
 そうしてまた、ボタンやキィを叩く音だけが響き出す。

 千景はあらかたの作業を終えて、短く息を吐いた。自分の(膝の)上でゲームを楽しむ恋人に視線を移し、じっと眺めた。
 ゲーム機を握りしめているのに、その指先は器用にあっちこっち動いているようで、忙しない。目をキラキラさせながら夢中になっている姿は可愛くて、時折凶悪な顔で物騒な言葉を吐くのも愉快で好ましい。
 見ていて飽きないな、と強く好意を持ったのは、会社では見せない姿を見たからだ。逆に、この姿を見ていなければ、恋人同士にはなっていなかっただろう。
 元気に動き回る指先に触れてみたいけれど、今邪魔をしたら、怒らせてしまうかな、と。そこまで思って、苦笑した。相手のことを思いやる気持ちが、自分にもまだあったのだと。

 それでもじっと眺めているだけでは寂しくて、口を開いた。
「茅ヶ崎の指は、綺麗だな」
「……へぁっ!? あっ、ちょっ」
「おっと」
 呟けば、ゲームに熱中していたはずの至にもちゃんと聞こえたのか、驚いて体を起こす。だけどバランスを崩して、手をつく場所を見誤り、至の体は千景の上から滑り落ちた。
「いっ……、た」
「大丈夫か?」
「パソコン抱えて言われても嬉しくないです! そっちの方が大事ですかっ」
「もろいしね」
 千景は、至の体が揺れた時点で、至の(腹の)上からパソコンを退かし、マシンへの被害は回避させていた。そんな様子を、滑り落ちた床から抗議してくる至に、にっこりと笑った。
「ひっど……だ、大体、先輩が変なこと言うからでしょうが! あ"――タイムオーバーしてんじゃねーかクソッ!」
「別に、思ったこと言っただけだよ」
 体と一緒に転がり落ちたゲーム機を拾い上げて、至は悪態をつく。どうも時間制のミッションがあったようだ。邪魔はしたくないなと思ったが、結果的に邪魔をしてしまったらしい。

 いや、恐らく、邪魔をしてしまいたいという思いもあったのだろう。

「は……? 先輩、なに、どうしたんですか」
「ん? いや、器用だなって、見てていつも思うから」
「いやいやそれ先輩に言われたくないし」
 至は腰をさすりながら、ゲーム画面を確認して千景の膝に腕を乗せる。どうしても触れていたいようなその仕種に、頭を抱えたい気分になった。
「咲也とのコイン勝負も、負けたことないんでしょう。いつかの一回を除いて。あと、真澄にマジック教えてるんだし、先輩の方が器用だと思いますけど」
「そう? ああいうのとゲームじゃ、動きが違う気がするけどね。茅ヶ崎の指、ほんと面白いよ。見てて飽きない」

 そう言って、千景は至の手を取る。指先をつついて折り曲げさせたり、関節をつまんでみたり、指の間を少しくすぐってみたり。至の頬が赤くなっていくのには気がついていたけれど、どうしても触れていたかった。
 なんの罪もない、綺麗な手だ。ゲーム機より重いものなんか持ったことない、なんて言い張る彼だけど、まあそんなわけはなくて、細い指ながらも大人の男の手。
 本来なら、罪にまみれた自分が触れていていいものではない。触れることで、至にまでこの罪の色を移したくないのに。
 それでも触れたがる思いに名前をつけるなら、恋だとでもいうのだろう。

「好きだな、この手」

 そう本音をこぼせば、とうとう至が項垂れて額を千景の膝に押しつけてくる。照れくささが限界に達したのだろうか。
「な、んなんですか、この突然のデレ……ちょっと、心の準備くらいさせて……」
「……できた?」
「むり。っていうか、そんなん言うんだったら先輩の指だって綺麗でしょ」
 ガバリと体を起こし、抗議するように愛の言葉を吐いてくる至に、どう反応すればいいのか分からなかった。
「なんかすべすべしてるし、爪も綺麗に整えられてるし。あ、俺よりちょっとだけ長いの。気にくわないんですよね」
 至は千景の手を取って、手のひらから合わせる。親指、人差し指、中指、小指、薬指。ゆっくり指も合わせるが、どれもがほんの少し至より長くて、彼は口を尖らせた。
「ああ……まあ、整えるのはね。茅ヶ崎の中に傷なんかつけられないだろ」
「え? ……っ、そ、そういうのはおいといて、あの。俺も、先輩の手……好きですよ」
 千景の言葉の意味を把握して、至は顔を真っ赤に染める。それでも、好きを返してくれる彼に、胸が締めつけられた。

「茅ヶ崎は、本当の俺を知らないから」

 全部を知られるわけにはいかない。知らせてはいけない。彼の身に危険が及んでしまう。それ以前に、この手が血に染まっているなんて知ったら、彼は離れていくだろう。手放したくない思いも手伝って、本当の自分なんてさらせない。
「……へえ、先輩の全部知ったら、この手も嫌いになっちゃうくらいなんですか?」
「そうだな。少なくとも俺は、自分のこの手を好きだなんて言えやしない」
 至の手と合わさった手を引っ込めようとしたら、それより速く、至の指が絡められた。

「好きですよ」

 膝の位置から、至がまっすぐ見上げてくる。指を絡めた手をきゅっと握りしめ、見透かすような瞳で。
「俺を傷つけないようにって整えてくれる先輩の手、俺より少し長い指、俺を気持ちよくしてくれる手のひらの温度、全部、好きですよ」
 そうして、千景が至にしたように、指先をつつき、関節をつまみ、指の間をくすぐる。握って、放し、また指を絡めて、爪に、手の甲に、指の背に、指先に、そこかしこに口づけてくれた。

「俺の髪を撫でてくれる手も、肩を抱いてくれる手も、なんならステアリングを握る手も、大好きです。例えばこの手が血にまみれていたとしても、俺が拭いてあげますし」

 ね、と手のひらをぴったり合わせ、指を曲げる。簡単には外せそうにない力で、がっちりと握ってくれる。
 彼は、何をどこまで気づいているのだろうか。
 それでも好きだと言ってくれる。拭うとさえ言ってくれる。
 千景は、指を絡められたままの手を引いて、至の手の甲にキスを落とした。唇でなでるように、指のすべてに口づける。

「この手がお前を地獄に引きずり込んでも?」
「え、地獄は嫌なんで遠慮しておきます」
「空気読め」
「地獄になんか落とさせませんから」
 忠告をしたつもりが、カウンターを食らった気分だった。
 体力も財力もない一般市民が、何をどうしてくれると言うのだろう。いっそ楽しくなってきて、千景は両手で至の手を包み込んだ。

「うん、分かった」

 この手を守りたい。茅ヶ崎至の。そして、彼が好きだと言ってくれる卯木千景の手を。
 祈るようにその手に口づけて、誓うように唇へと口づけた。



2018/07/26
お題箱より「手とか指とかを触ってる話」
  
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