華家



ぼくはこのめでうそをつく


 あれ、と千景は物珍しさに思わず呟いた。
「茅ヶ崎、今日は眼鏡なのか。コンタクトどうした」
 ルームメイトである茅ヶ崎至が、今日は珍しく眼鏡姿で寮内にいた。土曜日の今日は、一日中部屋にこもってゲームをしているんだろうなと、〝出張先〟から直で戻ってきたところである。
「あーおかえんなさい先輩。ちょっと、ワンデーの切らしてて」
「ふぅん……買いに行かないのか」
「今日届くんで」
 あくまでも寮内にこもる気らしい廃人ゲーマーに呆れ、千景はジャケットをハンガーにかける。
 仕事の後だし、クリーニングに出してこようと、部屋の中を――見渡すのはやめておいた。溜まっているだろう至のシャツに手をかけたくなるからだ。
 今回こそは彼自身に持っていかせるのだと、至が寝転がるソファに歩み寄る。
 細いフレームの眼鏡は、やっぱり見慣れない。これで会社に行ったらまた女性陣が騒がしいだろうなと思って、覗き込んで訊ねた。

「眼鏡してないと見えないのか?」
「え? あー、別にそこまで悪いわけじゃないんですけど。少しぼやける」
「どうせゲームのしすぎだろ」
「それな」
「開き直るな」

 見えないわけではないのなら、できれば会社では眼鏡姿を披露してほしくない。女性陣どころか、男性陣にまで波及しそうで面白くないのだ。
「眼鏡、寮内だけにしとけよ、茅ヶ崎」
「似合ってません? ま、俺も眼鏡は煩わしい派なんで、コンタクトしていきますけど」
 似合う似合わないの問題ではない。面白いか面白くないかである。
 気づかないものかな、と千景は自身の眼鏡を押し上げる。
「先輩は、いつも眼鏡ですね。邪魔じゃないです? それ伊達でしょ。何か理由があるんですか」
 大事なクエストではないのか、至はちらりとこちらを見やって瞬いてくる。少し探るような視線が、逆に心地良かった。
「煩わしいとは思わないな、これに慣れてるから。オンオフの切り替えにはうってつけだろ」
「会社とプライベート? 確かに眼鏡変えてますもんね」
 帰宅すると眼鏡を変えていることには気づいたようだが、眼鏡をかける本当の理由には、さすがに気がつかないらしい。

「それだけじゃない」
「え?」

 この眼鏡を外すのは、眠るときと入浴時、役柄として公演に必要ないとき。そして、組織からの命令を遂行しているときだ。オンオフの切り替えというのは、そういう意味である。
 切り替えないと、ミスをしてしまいかねない。
 本当は普通に暮らしてみたいと思う自分がどこかにいて、遂行中に出てきてしまっては命取り。
 どんなことをしてでもこの劇団とここにいる連中を守ってみせる――生きる理由をそこにシフトさせた自分を、知られたくない。
 真実は、いつだって弱さだった。

 千景は自嘲気味に笑ってみせて、眼鏡のフレームを指先で撫でる。
「レンズは噓を隠せる」
「さすがペテン師。遮蔽物の分、暴かれるのにタイムラグがあるってことですかね」
「ペテン師は褒め言葉かな。例えば今から噓をつくけど」
 言って、ずいと至に身を寄せる。ソファの背に置いた腕で体を支え、至近距離で噓を吐いた。

「好きだよ、茅ヶ崎」

 レンズ越し、至の瞳が揺れる。
 噓だと思っていてほしい。噓をつく、ということがもう噓だったのだと、気づかないでいてほしい。
「ハッ、甘いですよ先輩。俺なんか愛してますからね、先輩のこと」
 ややあって、至の方からも〝噓〟が吐かれる。
 レンズ二枚越し、探って揺らぐ互いの視線。もっと深く探ろうと、近づいていく視線。 近づいて、近づいて、近づいて、鼻先がぶつかる寸前で止まった。
 触れそうだった至の唇を千景の手が覆い、引き寄せそうだった至の手が、千景の胸を押しやる。
「こんな感じかな」
 千景は慌てたふうを隠し、すっと体を離す。胸に手を置かれたら、跳ねる鼓動に気づかれてしまう。
「なるほど一瞬本気にしそうになりました」
「こっちの台詞だ。俺を騙そうなんて良い度胸だな」

 そうして当初の予定通り、シャツをクリーニングに出してこようと荷物をまとめる。
「たまに、レンズの奥の真実を探ろうとするヤツはいる。隠しきるテクニックがないならやめておけよ」
「あっ、先輩クリニーング行くなら俺のも出してきてくださいよ」
「だが断る。自分で行け引きこもりが」
「ヒドス」
 諦めたような笑い声を背中で聞いて、千景はドアを開けて外に出る。
 うっかり至の唇に触れてしまった手のひらにそっと口づけ、ドアを背中で締める寸前、「探れ馬鹿」と聞こえてきたのは、気のせいだったのだろうか――。



2018/09/23
お題は「二人ともに眼鏡姿」
  
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