華家



喫茶ペテン師にて


 二見重人は、少し冷めたコーヒーを飲み干して、はあ、とため息をついた。
 見失ってしまったのが痛いなと、ネオンの輝く窓の外を睨みつける。この歓楽街まで追ってきたはいいものの、途中で見失ってしまった。あまり良くない噂もあるこの歓楽街に、〝彼〟がいるなんてこと考えたくない。
(いや、でもあれは確かに只野だし……)
 重人がここにいるのは、ある一人の生徒の動向を確認するためだ。ここ最近校内での様子がおかしく、気にかかっていたところに、つい先日、彼を見かけてしまった。私服だったが、わりと派手目な服装で、年上の男と歩いているところをだ。
 普通なら、他校の友人か、親戚か、と思ったことだろう。だが、友人と思うには歳が上過ぎたし、上等なスーツを着たその男とは不釣り合い過ぎた。
 何か困っているのだろうかと、尾行してみたが、重人のそのときの服装では悪目立ちしてしまい、気づかれる前に写真だけ撮ってその場をあとにしたのだ。
(何か変なことに巻き込まれてるのか? 詐欺とか、クスリ……いや、只野に限ってそんなこと)
 校内で様子がおかしくなる前の只野は、快活で真面目に勉学に励む生徒だった。そんな彼が、何を目的に歓楽街に消えていくのか。
 何か困っているのなら、相談してほしい。そうは思うが、彼に取って自分は一教師でしかない。どこまで踏み込んでいいものか。
 ともかく、目的と現状を確認しなければと思い、服装をかなり派手めにして、重人はここ数日勤務が終わってからこの歓楽街を歩き回っていた。
 だが、只野は見つからない。活動時間がズレている以上仕方のないことだが、その間にもし取り返しのつかない事態にでもなったらたまらない。
 重人はもう一度、大きなため息をついた。
 そのとき、
「お客さん、申し訳ないけどそろそろ閉店なんだよね」
 そう声をかけられふっと影がかかり、重人はハッとして声の主を振り仰いだ。グリーンティーを思わせる色の髪と、眼鏡。人のよさそうな顔をしていたが、レンズの奥の瞳がどうにも気にかかった。
 が、時計を見れば日付が変わる少し前。終電には間に合うけれど、そんなに時間が経っているとは思わなかった。
「ああ、すみません……じゃ、お会計」
「どうも」
 気づけば、店内に重人以外の客はいない。そもそも、この歓楽街で喫茶店というカテゴリならば、それも仕方ないのかと納得はできる。場所柄、客が立ち寄るのは健全な飲み屋、カラオケ店、もう少し奥まった場所のキャバクラや性的サービスの店だろう。
「お釣りです。酔ってはないみたいだけど、駅まで大丈夫ですか?」
「え、あ、ああ……大丈夫。……ねえマスター、アンタ、この界隈長い?」
 こういう場所になじみがないわけではないが、実情を探るにはそこをよく見ている人物に訊くのが手っ取り早い。重人は一つ瞬いて、その男に訊ねてみた。
「この界隈、とはまた……曖昧な質問だ」
「気分を害したなら失礼。けど、こんなとこに喫茶店開いて、しかもそこそこ続けていられるみたいなのは、素直にすごいと思ってね。長いのなら、少し訊きたいことがあった」
「おかげさまで、繁盛はしてるよ。なに、きみ、刑事さん? 聞き込みなら、できる限りの協力はするけどね」
「いや、こんなチャラい刑事いないだろ……」
 違いない、と男は笑う。その一瞬あと、レンズの奥の瞳が色を変えた気がした。
 男はくいと顎で傍のテーブルを示す。話しが長くなると思ったのか、協力的で助かった。重人は、示されたそこに腰を落ち着け直した。
「珍しいな。俺のこと知ってて来たわけじゃなさそう」
「え?」
「で、何が知りたいって?」
「あ、ああ……えっと……最近ここらにこの男が来てるはずなんだが、動向が探れない」
 重人は、何か含んだような物言いをする男に不審さを感じながらも、早いところ話しを聞きたいと切り出す。先日撮った只野の写真を見せると、男の眉が少し動いた。
「こっちのスーツの男?」
「いや、そっちじゃない」
「ああ……うん、なるほどね」
「何か知っているのか? 彼が変なことに巻き込まれているなら、早くどうにかしないと」
 男は明らかに、何か知っている様子だ。手がかりに早くもぶち当たったのは、運が良かった。
「教えてもいいけど、情報料高いよ?」
「あ? 情報料?」
 男はにっこりと人のよさそうな笑顔を向けてくるが、放つ言葉は正反対の色を持つ。
「ちょっとヤバめな感じだからな。他人の懐に入り込むのにリスクはつきものだろ。対価が欲しい。というか、俺の本業そっちなんだけどね。知らないで俺に訊いてくる度胸に免じて、相場より安くはするよ」
「あー……いわゆる情報屋ってヤツ?」
 話には聞いたことがあるが、本当に存在するなて思わなかった。
 だがしかし、その情報は確実なものなのか分からない。重人の方こそ、金銭を支払うならガセネタであるリスクは回避したいのだ。
「残念だ、俺は割と薄給でね。アンタの満足しそうな金額なんて払えそうにない」
「そう? 充分払えると思うけど?」
「高いんじゃなかったのか」
「人によるんじゃないかな? 俺を満足させてくれればいいだけだから。体でね」
「断る」
「いいね、即座に把握して毅然と突っぱねるその態度。気に入った。ん、じゃあこれはどう? キスひとつ、情報ひとつ」
 自慢ではないが、重人は自分の顔がそういう方面で使えることを知っている。男女問わずだ。だから学校ではあんなふうにしている(それだけではなく楽だからでもある)。そういう意味で声をかけられたこともある。事実、この数日この界隈をうろついていただけでも相当だった。
 この男からそれを提示されるとは思っていなかったが、断るしかないことは始めから決まっている。
「……情報が先でも可能?」
 しかし、只野が変なことに巻き込まれているかもしれないのだ。キスひとつで手がかりが聞けるのなら、いいのではないだろうか。キスもしたことがない状態なら拒んだだろうが、生憎そんなに初心でもない。
「いいよ。……この子ね、確かに見たことあるよ。俺が見た時は区議の男と一緒だった。その区議、浮気が原因で離婚されて奥さんへの慰謝料で大変だってのに、こんなとこ来るのかなって、少し気になった。浮気相手、男だったってのもあってね」
「え……!?」
 重人は目を瞠った。それは、つまり、只野がそういうターゲットにされているということなのかと。
「でもさっき見せてもらった写真は違う男だった。……はやりのパパ活、ちょっと前の言葉で言えば、援交かな?」
「ふざけんな! 買春じゃねぇか!」
 いくら言葉を変えても、たどり着くところはそこだ。重人は青ざめて、只野が食い物にされている可能性が大きくなった以上、ゆっくりしてもいられないと立ち上がった。
 それに合わせるように立ち上がった男に腕を引かれ、抱き寄せられる。ぶつかったその拍子に、テーブルの上のタバスコが倒れ、カタタと音を立てた。
「んっ……」
 唇が触れたと思ったら、ぺろりと舐められてビクリと肩が揺れた。驚いて油断した唇の隙間に舌をねじ込まれて、深く、深くむさぼられる。
「んっ、は、……んぅ」
 舌が引き出され、絡む。ちゅ、と水音を立てて吸われれば、しびれるような痛みと熱を感じ、体から力が抜けていった。
「は……」
「お代を忘れてもらっちゃ困るね」
「べ、別に逃げるつもりじゃなかった」
 強く腰を抱かれ、唇を指先で撫でられる。約束は約束で、払う気はあったのだが、気がせいてしまっただけだと男に謝罪した。思っていたよりも気持ちのいいキスに、警戒心が薄れてしまったこともあり、するりと言葉が出てくる。
「……アンタに抱かれれば、今よりもっと質のいい情報がもらえるのか?」
「そうだな、割と好みだし。名前は?」
「…………至」
 だけど、この男が何者なのか分からない。重人は、偽名を名乗った。なぜその音が出てきたのか、重人には分からない。とっさにしては、それらしい名前だったと思う。
「ふぅん。至、俺に抱かれてみる?」
「名前も知らない男に抱かせるほど安くない」
「ああ、ごめん。千景だよ、卯木千景」
「……ちかげ、さん」
 胸が鳴る理由が分からない。その男の名を口にするだけで、どうしてこんなに胸が熱くなるのだろう。
 重人は、情報を手に入れるためなのだと自分に言い訳をしながら、今度は自分から――千景にキスをした。



2018/10/18
ミックス公演観劇の背景から
  
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