華家



月がきれいですね



 会社の飲み会帰り、駅からの道のりで、千景が月を見上げているのに気がついた。その顔はどこか寂しげで、苦しそうで、見ている至の方が胸を痛める。

「昔、愛を告白するのに〝月がきれいですね〟って表現した人がいるんですよね」

 立ち止まってそう呟けば、千景が視線を戻して見やってくる。その瞳は、いつも通り心の底を隠したものに変わってしまった。

「へぇ……まどろっこしいな、普通に愛してるって言えばいいのに」
「さすがノーロマン先輩」

 とは言うものの、千景ならそう返してくるだろうことを、ある程度予想していた。予想できたからこそ、こんな話を持ち出したのだ。普段から文学に興味があるわけではないし、授業で習ったなあと薄ぼんやりとしか思い出せないこのフレーズ。
(俺向けでもないのにこの破壊力。愛してるってスゴい)
 ある程度予想していたが、〝好き〟ではなく〝愛してる〟だったことには驚きだ。千景の声でそんな言葉を聞けて嬉しい反面、彼にも愛を語る誰かがいるのだろうかと、同じ相手に何度目かの失恋を味わった気分だ。

 月がきれいですね。

 彼に向けてそう言ってしまいたい。
 折しも今日は満月で、恋を告げるにはうってつけ。
 そんなのできやしないけど、とまた足を踏み出そうとして、千景の声に止められた。

「じゃあお前ならなんて言うんだ、茅ヶ崎」
「え?」
「人のことをノーロマンだなんだと言うなら、お前はどうなんだ?」

 千景は眼鏡のブリッジを押し上げて、どこか不機嫌そうに呟く。ノーロマンという言葉が気に障ったのか、それとももっと別の理由か。
 至はそんな千景と、空に浮かぶ月を交互に見やる。

(俺、だったら)

 月の力を借りて言うならば。

「――あなたと見られて嬉しいです」

 月を見上げ、そして千景へと視線を戻す。至には、これが精一杯だった。気づかれたくない、だけど気づいてほしい――そんな矛盾を抱えて俯いた。
「俺は綴みたいに文才もなければ、誉さんみたいに妙な詩興が湧く方でもないん――」
 ごまかすようにまくしたてかけた至の指先を、そっとすくい上げるものがある。千景の手だった。

「……明日も一緒に見ませんか」

 至は目を瞠った。先ほどの言葉に返されたのは明確で、まっすぐに見つめてくる千景の瞳は、至以上に真剣なもの。

「は、……い」

 そう言って手を握り返すのが関の山。愛してるも好きだも言えない、面倒くさい大人がふたり。
 月が、とてもきれいですね。



2018/09/24
「月がきれいな千至」企画に参加させていただきました。
  
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