華家



この雨になれたら


 ざあざあ。
 雨が窓を叩く音がする。
 紬は熱を持ったコーヒーカップを両手で持ち上げ、ガラスを滑る雨粒を眺めた。

「まだ、強いね、雨足」
「あー……そっすね」

 小さく呟くと、正面の席に座った万里からも同意が返ってくる。彼の手に握られた携帯端末は、ゲームでも起動しているのだろうか。紬はゆっくりと瞬きをして、小さくため息を吐いた。
 本当は、コンビニに寄る予定だったのだ。そこで傘を買って、MANKAI寮に帰る――それが、当初の予定。土砂降りの雨の中、ほんの少し雨足が弱まった隙にと二人で飛び出して、ぱしゃ、と水たまりを踏んだり飛び越えたりした目的地。
 自動ドアのすぐ傍に、いかにも今が買い時ですとでも言わんばかりにおかれた色気も何もないビニール傘。それを一本ずつ買って、傘の分だけできてしまう距離にションボリしながら帰るはずだったのだ。
 それなのに、見つけてしまった。コンビニの少し先、営業中と小さなプレートがかかるこのカフェのドア。
 あ、と声を上げたのは、ふたりほぼ同時だった。
 紬さん、と万里の声が呼んだのと、万里くん、と紬の声が呼ぶのが重なって、噴き出したのが二十分ほど前。
 お互いに共通するのは、芝居とカフェ巡りのみだ。年齢も違えば興味があることも違う。好きな食べ物も違うし、カフェを好む理由も違う。
 だけど、だからこそ、紬は見逃せなかった。

 万里ともっと長く一緒にいられる口実を。

 傘を買うのをやめて、もう一度雨の中を一緒に走った。また万里が手を引いてくれたけど、特に深い意味はないんだろうなあと思うと、嬉しさと寂しさが同時に襲ってくる。

 ――――高校生相手に恋とか、……馬鹿みたいだよね……。

 いつからだろう。

 摂津万里という年下の男の子に、月岡紬は恋をしている。

 驚くより先に、笑ってしまったのを覚えている。
 叶うわけがないのに、どうして好きになってしまったんだろう? 理由は探せばたくさんある気がしたけれど、紬は万里を好きになった理由を探していない。どれだけ理由を並べ立てても、それは結局「彼が摂津万里だから」ということになってしまう。
 顔も、声も、仕草も、醸し出す雰囲気も、歳のわりに大人びた表情も、ときおり見せる子供っぽい笑い顔も、摂津万里だからこそ出せるモノ。素のままの彼の全部が、紬の心を支配している。
 今、この時も。

「やっぱ傘買って帰った方が良かったっすかね? 通り雨だと思ったんだけどな」
「うーん……どうだろ。何か急ぎの用事でもあった? 万里くん」
「や、俺はヘーキっすけど。傘一本とブレンド一杯だったら、俺迷わずブレンド選ぶわ」

 言って、万里がカップを持ち上げる。笑ったその口唇がカップの端に触れるのを見て、紬はほんの少し視線を背けた。
 あの口唇に触れられたら、どんなに幸福だろうか。そんな風に思ってしまう自分が、情けなくて仕方がない。叶わない恋なんて、早々に諦めてしまえばいい。何度もそう思ってきた。

「それに、傘あると紬さんと話すのに邪魔だしな」

 なのにそのたび、万里が邪魔をしてくれる。諦めることを諦めて、せめてこの距離を保っていたいと苦笑する日々だ。

 ――――万里くんにこの気持ちを言っちゃったら、きっとそんなこと言ってくれなくなるよね。女の子にモテるんだろうし、おつきあいなら断然そっち。今は、ゲームにしか興味ないのかな。

 モテそうな容姿をしているのに、特に女の子と出かけたりしている様子がないのは、休日には稽古かゲームに勤しんでいるからだろうか。それを考えると、彼がゲーム好きで良かったと思うし、ゲーム仲間らしい至には、せいぜい捕まえておいてほしいと思う。そんなズルイことを考えた。

「にしても、紬さんてすげーのな」
「え? 何が?」
「天気まで読めんだろ? さっきあと十秒っつって俺のこと引き留めたじゃん。マジで雨足弱まったし」
「ああ……あれね……」

 紬はどう答えようか迷って、気まずそうにコーヒーをすすった。
 確かに、雨宿りしていた建物のひさしから飛び出す直前、万里を引き留めた。あと十秒待てば雨足が弱まるからと、手を握って。

 ――――あんなの、嘘なのにな。万里くんて素直。

 そう、紬は雨の勢いを読んだわけではない。あんなのは万里を引き留めて、手を握るための口実だ。偶然にも雨足は本当に弱まってくれて、万里が手を引っ張ってくれたのだ。思わぬ幸福に目を瞠ったけれど、きっと万里は気づいていないはず。

「やっぱ花の世話とかしてっと読めるようになんの? 雨に弱いヤツとかもあんだろ」
「うん、そうだね……恵みの雨は必要だけど、多すぎると根が腐っちゃうし。今日は屋根の下に入れてきたから、大丈夫だと思うんだけど……予報より早くてびっくりした」

 雨の勢いを読めることにしておいて、万里の素直さにまた気持ちが大きくなるのを、どう隠したものかと思案する。
 知られたくないけれど、気づいてほしい。瞬きをして万里の姿を視界に納めるたび、心の中が変わっていく。
 叶うわけないのだから絶対に知られたくないという思いと、こんなに好きなのだから少しは気づいてほしいこの鈍感、という気持ちが交互にやってくる。

「でも、今回の雨は恵みかもな、俺たちにとっちゃ。このカフェ知らなかった」
「あ、それはそうかも。万里くんが一緒の時でよかった」

 カフェ巡りは一人でだってするけれど、どうせなら万里と一緒の時がいい。気に入った店はどうせあとから万里と一緒に来るのだから、それなら最初から、という思いで口にした言葉に、どうしてか万里の声が詰まったような気がした。珍しく視線を逸らされて、紬は首を傾げる。

 ――――もしかして、気づかれた? ……ううん、そんなはずない。万里くんと一緒にカフェくるの楽しいって、前から言ってるし、こんなことで気づかれるはずないよね。

「なんかほんともう……むり……」

 はあーと万里が大きなため息を吐く。無理、というのはどういう意味だろう。もう一緒にカフェに来られないということだろうか? 何か彼の気に障ることを言ってしまったのだろうか?

 ――――それならそれで、いっそ言ってしまおうか。俺は万里くんのことが好きなんだって。

 どうせ嫌われてしまうなら、この気持ちを知ってほしい。そして困ればいい。
 八つ当たりだと分かっていても、そう思わずにいられない。こちらはそれほど好きなのだ、と紬はこっそり万里を睨みつける。

 ――――きみの肩を濡らす雨にさえ嫉妬するほど、俺は。

 あの雨になれたらいい。たとえ指先で払われても、一時でも触れていられる。
 そんな馬鹿なことを考えて、紬は恵みの雨にごめんとありがとうを心の中で呟いた。



2017/06/17
お題「嫉妬」
  
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