華家



TEMPO


 いつもとは違う駅でカフェを探してみよう。そう言ったのは万里の方で、紬はひとつ瞬いて、それにいいよと返した。それが、昨日の夜のできごと。天鵞絨駅周辺のカフェは行き尽くしてしまって、目新しさがない。もちろんお気に入りのカフェというモノはそれぞれにできたけど、どうせなら新規開拓もしてみたい。
 せっかくできたカフェ友なのだ、楽しみたい。
 ゴトン、ガタン。車輪がレールの上を滑る。ぶつかり逢う音を紬はドアすぐそばの手すりにもたれて聴いていた。すぐ目の前、カフェ友である摂津万里が、電車のドアにもたれながら携帯端末の画面に指を走らせている。紬はその横顔をじっと眺め、そして、伏せた。

 ――――行き先のない電車なら良かったのに。

 目的があって電車に乗っている以上、いつか行き先に着いてしまう。万里と過ごすために行き着く先だが、万里と一緒に過ごしたいから着いてほしくない。
 今日は何を話そうか。紬は目を伏せたまま、万里との会話のネタを探した。探して、なにもないことに苦笑する。
 こうして一緒にカフェにいく間柄ではあっても、お互いの間にカフェ巡りと芝居以外に共通の趣味などない。実際今だって、万里の視線は携帯端末の中のゲームを追っているのだろうし、その指先は敵だかなんだかを倒すためにしか動かない。
 今まで一緒に行ったカフェの中でも、会話のネタがなくて沈黙が流れるのは、よくあることだった。だけど紬は、それを苦痛には感じていない。紬にだって自分のテリトリーというものがあるし、自分自身のペースというものがある。万里だってそうだろう。沈黙は苦痛ではない。ただほんの少し、寂しいだけで。
 万里の声が聴きたい。
 万里の声で呼ばれたい。
 万里の声に返したい。
 初めての恋は、紬のぜんぶを巻き込んで、深い沼に引きずり込んでいく。

 ――――叶うわけないのに。この距離で万里くんを見ていられるって、それだけで、満足、したいのに。

 上手くいく恋だとは思っていない。いないのに、欲望だけは一人前だ。

 ――――好きって言いたい、好きになってもらいたい。キスだってしたいし、抱かれてもみたいんだよ。ねぇ万里くん、俺がこんなこと考えてるなんて、きみは全然知らないんでしょ。

 万里は、恋に興味がないと言っていた。そういえば自分自身も高校生の頃は芝居ばかりで、恋愛に意識を向ける余裕なんてなかったなあと思いだす。それを考えると万里の言い分は分かるのだが、万に一つでも可能性はないと気分が沈んでいってしまう。

「紬さーん、なんか疲れてねぇ? 引き返す?」

 目を閉じたままそんなことを考えていたら、さすがに万里が気づいて声をかけてくる。紬はその声を全身に染み渡らせるようにゆっくりと目蓋を持ち上げた。

「ううん、そんなことないよ。どうして?」
「ため息、六回目」

 紬は目をぱちぱちと瞬いた。万里の視線は携帯端末に向かったままで、こちらの動向を気にかけているようには見えなかったのに。まさかじっと眺めていたときのことは気づかれていないだろうなと、少し視線を逸らした。

「ちっちゃいヤツだけど、なんか苦しそうだったからさ。座れたら良かったんだけどな……」

 万里がやっと顔を上げて、電車内をきょろりと見回す。それでも夕方のこの時間帯、空いている席はひとつもなくて、座ることは難しい。

「目的んとこまであと三つだけど、次で降りようぜ。どこだっけ……あー、行ったことねーわ。ちょうどいいじゃん、次の駅で新規開拓しよ」

 万里が車内の表示板を確認して、次の停車駅を確認する。確かにカフェ巡りできたことはない駅だ。万里は他の用事でも来たことがないのか、それとも紬に悟らせないための嘘なのか。

 ――――多分、きたことあるんだろうなあ……万里くんは、優しい、ずるい……。他の人にも、そんなに優しいのかな……。

 後者だろうと紬は思う。さっき一瞬見せた表情は、本当に心配してくれている顔だった。目的の駅まで我慢するより、早く降りて座れるところを探した方がいいと思ったのだろう。

 ――――苦しい。万里くんが好きで、大好きで、苦しい。

 クスリなんかない、治るわけない、お医者サマで草津の湯でも、この初めての不器用な恋は治せないはず。
 初めての恋じゃなければ、せめて恋愛方面にもう少し慣れていたら、万里への恋心を楽しんでいられただろう。

「そうだね、そうしようか」
「テンポ、おそ」
「ごめん考え事。ごめんね万里くん、ありがとう」
「……べっつに」

 万里が、少し言葉を詰まらせてふいとそっぽを向く。紬のためについた嘘が、バレてしまったことを悟ったのだろう。それでも何でもないような振りをして、停まった電車から紬を連れ出してくれた。

「大丈夫っすか?」
「平気、少し寝不足」
「は? 寝れねーの? なんか悩みでも――」

 駅の改札へと向かいながら万里は訊ねてくるけれど、途中で立ち止まって携帯端末を確認する。メールか、LIMEかを受信したのだろう。紬も少し先で立ち止まり、万里を待った。
 いや、待つというほどの時間もなく、万里が隣に追いついてくる。手には端末は握られておらず、大事な用事ではなかったらしいと紬は感じた。

「あれ、よかったの?」
「あーいーのいーの。一成が合コンの写真送ってきただけ。さっきからうっぜぇくらい送ってくんの。断ったからって嫌がらせかよ、ったく」
「え、あ、合コン? 万里くん、そういうの行くんだ?」
「行かねーよ、興味ねぇし。うざってぇだけだろ」

 ため息交じりの万里の言葉に、ガツンと頭を殴られたような錯覚に陥った。合コンということは、主に男女の出逢いの場だ。多くは恋愛関係を望んで。たまには友人関係を目的に。紬は項垂れて、額を押さえる。万里が合コンに行かないというのは、正直ありがたい。絶対女の子に狙い撃ちされるに決まっているのだから、そういった場には行かないでほしいとは思っていた。
 だけど、万里は恋愛に興味がないどころか、うざったいと思っているらしいと、今の発言で分かる。
 絶望的だ。
 ぐわんぐわんと頭が回るようで、紬はとうとう足を止める。

「紬さん? ちょっと……おい、大丈夫、じゃねーよな。貧血?」

 万里がそんな紬を心配して覗き込むけれど、紬は口唇を噛んだままなにも言わない。何かを発せる状態ではなかった。

 ――――もともと絶望的だけど、いくらなんでも、これは駄目かな……俺の気持ち知っちゃったら、うざったいって思うのかな。そうだよね、好きでもない、しかも男の俺なんかに好かれても、困るだけだよ。

「紬さん、なあ、ちょっと、隅っこ……歩ける?」

 紬の腕を掴んで、万里はゆっくりと通路の済みへと移動する。立ち止まったままでは、行き来する人たちの邪魔になってしまうからだろう。広告の貼られた壁際で、紬はやっと息をした気がした。

「やっぱこのまま引き返そう。少し休んでからでいいからさ。具合悪いんだったら先に言えっての」
「ごめん……大丈夫、……大丈夫だよ、ごめんね」

 紬はそう言いながらも、顔を覆う手を外せない。初めての恋を、初めての失恋を、いったいどうやって飲み込んだらいいのか分からない。

「……俺ってそんな頼りねーかな……」
「え、ごめん、なに? 聞こえなかった」
「なんでもねーよ」

 そう言いながらも万里のため息は大きい。早く気持ちを浮上させなければと、紬は何度か深呼吸を繰り返す。「面倒」だとか「うざったい」だとか、万里に思われたくない、その一心で。

「大丈夫、もう落ち着いたよ。コーヒー、飲みに行こう」
「んな青い顔してなに言ってんすか。帰るぞ」
「大丈夫だってば」
「アンタの大丈夫はアテになんねーの。なんか悩み事とかで寝れねーんなら、帰り道で聴いてやっから」

 万里はそのまま、改札へは向かわずに乗ってきた電車のホームへ足を向けてしまう。だけど紬は動き出せずに、万里から顔を背けた。

「悩みなんて……言ったって万里くんには分からないよ。恋愛に興味ないでしょ、うざったいって思ってるくらいだし」
「はぁ? ……ちょっと待てよ、アンタの悩みって、そっち方面?」

 お互いの声が尖る。紬は、このままじゃ駄目だと俯いた。こんな気持ちのままで、想いを告げるわけにはいかない。どうごまかそうかと必死で言葉をたぐり寄せた。

「……そうじゃなくて、合コンに集まった人たちは、真剣な想い抱えてるかもしれないでしょ、それを……」
「俺、好きでもねーヤツになに言われても響かねーから。あしらうのうざったいって意味で言ったんだよ。別にそういうのやってるヤツらをどうこう言ったんじゃない。……言われたいひとには、絶対、……ぜったい言ってもらえねーからな」

 視線を落とした万里に、紬は目を瞠る。さあっと血の気が引いていくような音を聞いた。

「そのひと以外にはキョーミねぇの。だから合コンとかそういう誘いは全部断ってる」

 万里に、好きな人がいる。すごく好きなひとがいる。それをたった今、知ってしまった。
 崩れ落ちていきそうだ。まるで絶望的な初恋で、とうとうなにもできないままで終わってしまう。
 紬は震える口唇をどうにか押さえ込んで、開いた。

「す、好きなひとに伝えてみたら? 万里くんだったら、大丈夫だと思うけど……」
「……どうやって? 俺自分から言ったことねーし……なに言ったらオチてくれんのか、分かんねーの」

 万里がそう言って苦笑する様を見て、分かる。万里の方も初恋なのだと。普段あれだけ器用になんでもこなしてしまう万里が、恋については自信がないらしい。自信がなくなってしまうほど、その相手が好きなのかと、紬は泣きたくなった。

 ――――大丈夫、覚悟してたよ、平気、応援してあげられる、できるよ、できるだろ、月岡紬。

 何度も自分に言い聞かせて、ため息ひとつ。笑顔を作って顔を上げてみた。

「じゃあ、俺のこと練習台にしていいよ。女の子の役とか、何度かやったことあるし」
 
 万里が目を瞠ったのが分かる。そうして細められていく目は、不愉快さを表しているのだろうか。それでも紬は、精一杯の笑顔を作ってみせる。

「…………習なんて……アンタじゃ練習になんかなんねーよ」

 眉間に皺を寄せて、万里が珍しく低い声で呟いてくる。紬はずきりと心臓を痛ませて、苦笑した。気づかれていないといい、嘘でも、演技でも、練習でも、一度でいい、万里に好きと言われてみたかっただけだなんて。

「あ、……そ、そっか、ごめん、俺も恋愛方面には疎いし、参考にならな――」
「練習になるわけねーだろ、俺が好きなの紬さんなんだから! 全力で本番じゃねーか!!」

 万里の拳が、ドンと紬の傍の壁にぶつけられる。
 紬は、これ以上ないくらいに目を大きく見開いた。

「……っえ、……え!?」
「悪い……こんな風に言うつもりじゃ……っつかそもそも言うつもりなくて」

 ――――うそ、うそだ、うそ、そんな……そんなわけっ……。

「初恋、なんすよ……」

 万里の切ない声に、紬の足から、一気に力が抜けていってしまう。ガク、と膝が折れて腰が沈む。

「紬さんっ?」

 床にへたりこんでしまう寸前、万里の両腕が支えてくれるけれど、紬はやっぱり自力で立ち上がることができないでいる。がくがくと震えるあしをどうにか踏ん張るけれど、力なんか全然入ってくれなかった。

「ば、万里くん、ごめ……ごめんね、あの」
「……あー、いいって、フラレんのは分かって――」
「あの、もう一回本番お願いしてもいいかな……」
「は? …………え、……、……え!?」

 ようやく絞りだした声で、万里がその言葉の意味を把握するのに十数秒。テンポが遅れる。
 紬が万里の本番をもう一度聴くのに成功したのは、それから二分もあとだった。



2017/07/01
お題「初恋」
  
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