華家



しあわせになる前に


 初めて来たカフェは、やっぱり落ち着かない。雰囲気が悪いわけじゃない。ましてやコーヒーが美味しくないわけでもない。
 それは完璧に、俺の気持ちの問題だった。
 目の前に万里くんがいる。ううん、それはいつもと変わりないんだけど、いつもと同じなんかじゃ全然なかった。
 ああ、何を言ってるか分からないと思うんだけど、俺もまだ混乱してるんだ。

 万里くんとは、ついさっき、カフェ友じゃなくなった。

 こんな言い方をすると悪い方向にしか考えられないと思うんだけど、少なくとも俺にはものすごく幸福で奇跡的で、いまだに信じられない思いでいっぱい。
 だって。
 だって万里くんが俺のこと好きでいてくれただなんて。
 夢かな。でも夢じゃないっぽいんだよね。さっきこの店に入るまで俺、万里くんの手を握ってたし。今考えればなんて大胆なことしちゃったんだろう。人目についたかな、あれは。でもそんなこと気にしてる余裕なんてなかったし。
 まだ体がふわふわしてる。
 まだ頭がゆらゆらしてる。
 どうしよう……本当に、どうしよう。俺、万里くんと恋人同士になったんだ……。

「紬さん」
「えっ?」
「コーヒー。冷めるぜ」
「あ、ああ、うん、そうだね」

 店員さんに持ってきてもらってから、たった一口しか飲んでなかった俺のこと、見てたのかな。恥ずかしい。
 ああ、万里くんはこんな時でも余裕があるなぁ……。俺の方が年上なのに、情けない。そう思いながらコーヒーを口に運んだけど、やっぱり味なんて分からない。それくらい、俺は緊張していた。
 だって、だって片想いだと思ってた相手に好きだって言われて、平静でなんていられないよ。俺はあの時本当に、万里くんに好きって言葉言ってみてほしくて、「好きな子相手の練習台にしていいよ」って言ったんだ。ぜったいあとで苦しくなるって知ってても、夢くらい見たっていいじゃないかって。
 そしたら万里くん、練習になんかならないって、俺相手じゃ本番になってしまうって言ってくれたんだよね。本番ってことはつまり練習じゃないってことで。期待して自惚れるどころじゃなかった。
 まだ耳に残ってる。万里くんが俺を好きだって言ってくれた時の声。
 幸せだったなあ……。

「紬さん、あのさ……ごめんな」
「えっ、な、なにが?」

 万里くんが気まずそうに口にしてくる。この状況でごめんってなに? 俺今すっごく幸せなのに。もしかしてアレは嘘だったなんて言わないよね?

「紬さんが俺のこと好きでいてくれてるって分かってたら、もっと、なんつーか、格好いいこと言ってみたかったんだけど。あれ八割勢いっつーかさ……もともと言うつもりなかったのに」

 充分かっこよかったんだけど、なに言ってんだろうこの子。お願いだからそれ以上かっこよくならないでよ。

「どうして……言うつもりないなんて……」
「や、普通そうだろ? 同性なんて、しかも年下なんて対象外じゃん? 言えるわけねえっつの」
「と、歳は関係ないかな……あ、でも、俺も思ってた。万里くんにはもっと、同年代の可愛いこが似合うって」
「それと同じな。もし……そういうこと考えずに言えてたとしても、多分、後悔してたわ、俺」

 はは、と乾いた笑いが耳に入る。それは諦めと同じことで、寂しくなって心臓が痛んだ。

「じゃあ、今も後悔してるの……?」
「んー、両想いだって分かったから、それはない。でも、紬さんが「本番もう一回」って言ってくれるまで後悔してたよ。アンタ優しいから、フッた相手のこと考えちまうだろ。傷つけた、どうしよう、ってさ……こっちが勝手に好きになって、アンタの都合も考えずに告ってんのにさ」
「それは俺の台詞だよ……万里くんだって優しいでしょ。悩ませちゃうだろうなって思うと、……そうだね、俺も言えなかった」
「俺が優しくしてんのは紬さんだけっすよ。アンタのためなら、どんだけでも優しくなれるし、傷ついたって別に構いやしねーし」

 うわあ……万里くんてやっぱり自分が格好いいこと自覚してるよね。普通そんなこと、思ってても言えないよ。万里くんだからサマになるんだよ……。
 でも、やだな、万里くんが傷つくのは。自分が悲しいより、寂しいより、つらい。
 誰も、誰かを傷つけたいと思って生きているわけじゃないんだろうけどさ。それでも、言葉は、行動は、時に誰かを傷つけたりする。

「あ、あの、万里くん……」
「ん?」
「俺、こういうおつきあいとかあんまり慣れてなくてさ……たぶん万里くんはじれったくなるかもしれない。万里くんが何を望んでるのか分からなくて、傷つけちゃうこともあるかもしれないんだけど……あの、そ、それでも、俺と、その……おつきあい、して、くれる……?」

 恥ずかしいんだけど、正直そういう経験は乏しい。どこまで我が儘を言ってもいいのかさえ分からないし、万里くんがどこまで望んでてくれるのかも、わからない。具体的に言えば、キスとかそういうことをしてもいいのかどうか。

「まいったなー……」

 万里くんの、困ったような声が耳に届く。俺は多分、青ざめていたと思う。だって、傷つけたくないとか思った傍から困らせちゃってるんだよ。ど、どうしよう……。今ならまだ、傷は浅いよね、おつきあい、やめられる?

「あー、ほんと参った。……アンタどんだけ好きにならせんだよ。マジ勘弁して」
「え、……え?」
「あのさぁ、俺初恋っつったの覚えてない?」
「え、あ、うん、言ってたかな……」
「経験はあるけど、マジで惚れた人相手ってのは本当に初めてなんだわ。だから、俺も紬さんが何をどこまで望んでくれてんのか分かんねー。俺が考えてること全部言ったら、傷つけるかもしれねぇ。怖ぇよ、正直。……それでもアンタ、俺とおつきあいしてくれんの?」

 万里くんが、持ってたコーヒーカップを置いて少し傾け、中身をくるりと回して、また持ち上げて、飲むでもなくじっと眺めて再度テーブルに置く。落ち着かないその動作は珍しくて、万里くんも緊張していたことに俺はようやく気がついた。

「万里くんになら俺、傷つけられたって構わないよ」
「……そういう話じゃなくてな」
「だって、きっと万里くんはそのあと絶対優しくしてくれる。だから傷なんて気にしない」

 万里くんが驚いた顔で俺を見てくる。そんなにおかしなことを言ったかな。
 でも、言ったことは本音だよ。これから先どんなすれ違いがあっても、万里くんはそれまで以上の優しさで俺を包み込んでくれる。

「だから、もし俺が……したくないけど、もし俺が万里くんを傷つけちゃったとしても、絶対傷跡消してみせるよ。だからその……俺と、おつきあい、して……くだ、さい」

 なに言ってんだろ、俺。俺なんかが万里くんを包み込めるわけないのに、気持ちだけは人一倍貪欲で、泣きたくなってくるよね。偉そうなこと言って、万里くん呆れてないといいんだけど……。
 なかなか声が返ってこないんだけど、答え、くれないのかな……。


「よ、……よろしくおねがいします…………」


 ほんの少し待ってみたら、顔を真っ赤にした万里くんがそう答えを返してくれた。かわいい……え、万里くん、可愛い……。傷つけちゃうかもなんて言ったけど、無理、こんな格好よくて可愛い子、傷つけられるわけないじゃない……。

「おいしいトコ全部持ってかれた感……なんなんだよアンタほんともー……紬さんの前では格好よくいたいのに、初っぱなからダメじゃねーか!」
「万里くんはいつでも格好いいので大丈夫だと思います」
「なんで敬語」
「ふふ」
「……なあ紬さん、アンタを傷つけるのが俺なら、その傷消すのも俺だから。他のヤツにはさせないで」

 万里くんのまっすぐな目が俺を射貫いてくる。
 これから先、万里くんが俺を傷つけても、万里くんが癒やしてくれる。俺が万里くんを傷つけても、俺が癒やしてみせる。

「うん、よろしく万里くん。幸せになろうね」
「トーゼンっしょ」

 万里くんがいつもみたいに笑ってくれた。
 ひとまず今日は、俺の中の欲を話してみてもいいのかなって、俺はようやくコーヒーをちゃんと味わえるようになったのだった。



2017/07/15
お題「傷跡」
  
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