華家



運命の赤い糸


「カナダでしたっけ?」
「うん」
「どれくらいですか?」
「10日」
「長い……」
 寮の部屋のドアを開け、二人で足を踏み入れた。と同時に、至は千景の腕に額をこすりつける。ここなら誰にも見られないと、スイッチが切り替わってしまった。

「なんだ、寂しいのか?」
「はァ? 何言ってるんですか」
「言葉と行動がちぐはぐだぞ」
「……寂しくない、わけ、ない、です……」
 よくできましたと言わんばかりに、千景が口の端を上げる。千景は至の体をドアに当て、自身の腕で囲い込んだ。
 触れてくる唇を至が拒むことはないけれど、心臓の音はやけにうるさかった。
 寮ではこういうことをしない約束はあったはずだが、たまにこうして、先輩後輩、演劇仲間という境界を越えてしまう時がある。
 キスをする時は毎回ドアの傍。千景がドアノブを押さえている状態でだ。ここならば他の誰かが来てもすぐに分かるし、ノブを押さえていれば急にドアを開けられて困ることもない。
 それでも、触れるだけ。優しいキスを何度か味わって、お互いが名残惜しそうに体を離すのだ。

「LIMEするから」
「電話も……」
「時差があるだろ」
「こっち夜中でも構いませんよ。どうせ起きてるし」
 だろうな、と笑いながら、千景はジャケットを脱いで着替えを開始する。千景からのメッセージなんて見たら、声が聞きたくなってしまう。
 そして、声を聞いたら。
「茅ヶ崎、ビデオ通話でもいい? 顔見たくなると思うから」
「俺の台詞取らないでもらえません?」
「……お互い、好きが過ぎるな」
 声を聞いたら顔が見たくなる。それはどちらもが同じ気持ちらしく、胸の辺りがくすぐったくなった。

「あ、そうだ先輩。出張中、これつけててくださいよ」
「は?」
 至は鞄の中をごそごそと探り、小さな箱を千景に投げてよこした。千景はぱしりとそれを受け取り、不審不思議そうな顔で至を見やる。
「安物で申し訳ないんですが。ちょっと憧れだったんですよね」
 開けて、と暗に促して、千景がその箱を開けるのを待った。千景は意外にも丁寧にラッピングを剥がし、蓋を開ける。

 大きさ、ラッピング、小箱。

「まあ、お察しの通りで」
「茅ヶ崎、お前……」

 それは小さな指輪。細めのシルバー。

「先輩、そういうの苦手かなって思って、渡す機会逃してたんですけどね。浮気避けってことで、許してください」
 千景はリングケースから指輪を取り出し、親指と人差し指に挟んでライトに翳してみている。そうまじまじと眺められると、一気に羞恥心が襲って、至はふいと顔を背けた。
「これは……そういう意味で?」
「……あんまり重く考えないでほしいですけど、気持ちだけは、たぶん、そんな感じで」
「こういうの、茅ヶ崎の方が嫌かと思ってた」
「え、そうなんです?」
「他人に縛られてくれるタイプとは思ってなくて」
「だから俺の台詞取らないでくれません??」

 指輪で、千景を束縛できるとは思っていない。そもそも束縛したいわけではなくて、ちゃんと自分のことを認識していてほしいだけだ、と至は心の中で言い訳をした。
 してから、よく考える。
〝茅ヶ崎の方が嫌かと思ってた〟ということは、少なからずこういうものを考えていたということで。もしかしたら、千景もほんの少し不安だったのかもしれない。だいぶ不安だったのかもしれない。

 至は羞恥を吹き飛ばして、口を開いた。

「あの、俺。千景さんになら縛られてもいいですけど」

 嬉しそうに指輪を眺めていた千景の瞳が、ぱちくりと見開かれる。それはすぐに悪戯好きそうに細められて、
「そんなこと言ってると、縛るぞ。物理で」
「そっちじゃないです!」
「ハハッ、分かってるよ。嬉しい、茅ヶ崎。ありがとう」
 唇に、そっとキスが降ってくる。ドアからは離れていたせいか、唇もすぐに離れていく。少し物足りない気持ちもあったが、千景が嬉しいと言ってくれたから、心はほわほわ温かくなった。

「あれ、でも茅ヶ崎……これ、小さくない?」
「あ、それ薬指じゃなくて」
 はめようとした指には少し合いそうになくて、千景は寂しそうに首を傾げる。その仕種が可愛らしくて撃墜されかけたが、しょんぼりさせておくのも忍びなくて、至は千景の手から指輪を取った。
「こっち。小指の方です」
 そう言って、千景の左手、小指にリングをはめた。
「小指用……? 何か意味があるのか」
「さあ」
「さあってお前ね」
「だってほら、運命の赤い糸が繫がってるのって小指でしょ」

 本当は知っていた。小指につける意味くらい。左手は、想う力を表す。小指は、変化とチャンスを。
 千景との関係に少し変化を。そのきっかけになればいいと思ってみたつもり。

「じゃあ、お土産は指輪でいい?」
 千景が、はめた指輪に口づけて訊ねてくる。
「赤い糸を繋ぐなら、茅ヶ崎の指にもないと駄目だろう」
「え、あ、……なんかおねだりしたみたいになってる」
「俺も贈りたい。それでいいだろ」
 コツ、と額が合わさる。嬉しくないわけはなくて、至は頷いた。安心して、千景を送り出せる。千景が帰ってくるのを、楽しみに待っていられる。
「あ、サイズは」
「ああ、分かってるよ、大丈夫」
「え?」
 買うにしてもサイズが分からないのではと思った至の手を、千景が絡め取る。

「どれだけの夜を、この指絡めて過ごしてきたと思ってるんだ?」

 しっかりと指を絡められて、至近距離で愛を囁かれる。リアルに顔から火が噴き出そうで、至は言葉を失った。



 そして千景は、おみやげにピンキーリングと細いチェーンを二人分広げてみせる。
 さすがに会社じゃね、と苦笑とキスと、やさしいセックスをおまけにつけて。



2018/09/12
お題箱より「千景に指輪を贈る至」
  
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