華家



ロマンひとさじ


 カロ、とグラスの中で氷が溶けて、ぶつかって、音を立てた。手持ち無沙汰にストローで弄ぶのも飽きた頃、千景がひとつ瞬いた。
「そろそろ出ようか、茅ヶ崎」
「このあと、どうするんですか?」
「どうしようか?」
 千景はふふっと笑う。相変わらず意地が悪いと、至は口を尖らせた。デートコースを考えてくれていたのではないのかと、探るように眼鏡の奥の瞳を睨みつけてみる。
「茅ヶ崎がどこに行きたいかによるんだけどね」
「俺? えっと……具体的には」

 今日は、恋人になった千景との初めてのデートだ。叶うと思っていなかった想いがどういうことか叶ってしまって、ふたりで出かけようかと言ってくれたのは千景の方。ゲーム機を取り落としそうになったくらい、驚いて、嬉しくて、すぐに素直な返事ができなかったのを覚えている。
『いいですよ?』
 なんて、可愛くもない言葉で返したのに、千景は嬉しそうに安堵して笑ってくれたのだ。だから、千景とであればどこでもいいなんて、恥ずかしいことも考えていた。
 見かけたカフェで喉を潤して、これからどうするのだろうとそわそわしていたところだ。

「映画……って言っても今からだと人気作は混んでるだろうし、下手したら劇団のヤツらに逢いかねない。丞や紬ならまだしも、会社の先輩後輩同士で映画とか、言い訳しづらいだろう」
「そうですね。つ、付き合ってなかったら、先輩と映画なんて、考えられない」
「動物は苦手だから、動物園もアレだし、遊園地なんてガラでもないしね」
 言われて、動物園や遊園地にいる千景を想像して笑ってしまった。春組連中みんなで、というならおかしくないだろうし、保護者として楽しむかもしれないが、二人きりではミスマッチが過ぎる。
「ランチの時間にはまだ早い。ボーリングなんて、運動音痴のお前は興味ないだろうし。美術館なんてもっと興味なさそう。付き合うには手強いキャラだよね、茅ヶ崎」
「先輩ほんとに俺のこと好きです??」
 当たってはいるけれど、恋人の言葉だろうか。千景は楽しそうに、口の端を上げるだけだった。否定はしないが、肯定もしない。

「まあ定番になるけど、水族館とか、行く?」
「あ、それいいですね。前に監督さんと行ったのも、癒やされましたし」
「え……、そう、彼女と行ったんだ」
 千景の表情が少しだけ曇る。気まずそうに 眼鏡を押し上げる仕種が、心に引っかかった。
(え、あれ……もしかして俺、まずいこと言っ……え、ちょっと待って)
 千景の表情が曇った理由に、ふと思い当たる。だが、まさかそんなに分かりやすく? と半信半疑の気分だ。
「先輩、もしかして……あの、妬いてます?」
「…………そんなつもりはなかったけど、そう見えるなら、そうかもしれない」
「でっ、でもあの、先輩と付き合う前っていうか、そういう、あの、えっと」
 自分以外の相手と二人で、デートスポットに行ったということが、やっぱり面白くなかったらしい。だけど、千景がそんなことを表に出すとは思わなかった。何でもないようにやり過ごして、例えばわざと妬かせる意図があっても、妬いてもくれず余裕綽々の顔で笑うのだろうと思っていたのに。
「それにあれは、ゲームとコラボしてる水族館で、そういう期間だったから」
「分かった分かった。で、どうする?」
「行きたい、です。癒やしが欲しい」
「あのゲーム、まだ続けてるんだろ?」
 千景が言う〝あのゲーム〟は、水族館モチーフのゲームだ。スマホでいろいろな魚を集めては、餌をやったり撫でてやったりと、無課金で楽しめる癒やし系である。最近はログインもしていないが、まだ端末にアプリは健在だ。
「ゲーム画面と本物じゃ、違いますよ」
「なるほどね。じゃあ、行こうか」
 そういって、千景は笑いながら立ち上がる。伝票を持って行かれそうになり、至は死守した。そのままだと千景に全部払われかねないと。
「ワリカン、ですよね」
「…………払うつもりだったんだけど」
「駄目です。そもそもこの店入ろうって言ったの俺ですよ」
 お互い働いているのだし、歳のわりに高給取りなのだ、どちらかが全部を負担する必要はどこにもない。
「俺はね、先輩と対等でいたいんです。仕事も年齢も追いつけないのに、そんなことされたらたまりませんよ」
「茅ヶ崎、可愛いこと言うのは二人っきりのときだけにしてもらえないか」
「は!?」
 今ののどこが、と千景を振り向けば、照れくさそうに眼鏡を押し上げていた。たぶん何かしらが千景の萌えスイッチを押してしまったのだろう。至には分からないが、悪感情でないなら構わない。それどころか、嬉しくてくすぐったい。


 そうして、水族館に着た二人は、ここでもワリカンで入館し、迷いそうな順路を並んで歩いた。
「あ、いたいた」
「どこ? ……ああ、コレか。小さいな」
 水槽の中に、小さな小さな魚が一所懸命泳いでいる。傍に説明書きも展示されているが、長ったらしい名前はひとつも覚えられない。生息地や生態も書いてあるが、水草や木などに隠れている綺麗な魚たちを見つけるので精一杯だ。

「可愛いな」
「そうですね、こんなちっちゃくても頑張って泳いでるのはすごいなって」
「じゃなくて、茅ヶ崎が」
「は?」
「正直、そういう顔見られるとは思ってなかったから。会社とも、ゲーム中とも、稽古中とも全然違うし」
 言葉に詰まった。しゅうしゅうと顔がゆだって、蒸気が出ているかのように熱くて、顔を覆ってしまいたい。こんなことを明け透けに言葉にするひとだったのだろうかと、新たな発見に喜ぶ前に、恥ずかしくてしょうがない。
「せ、んぱいこそ、顔、すごい緩んでます、けど」
「そう? ああ……うん、でも、分かる。さっきから口許上がったまんまなんだよね」
「会社でも、寮でも、そんな顔、見たことないですよ」
「嫌かな」
「いえ、少しも」
 嫌だなんて感情は湧いてこない。嬉しくて幸せで、くすぐったいとしか思わない。こんな千景を見られるのは、自分だけなのだと素直に思うことができた。

「茅ヶ崎、あっちサメだって。大きい水槽」
「コバンザメちゃんいますかね」
「どうだろう。ぴっとりくっついてるの見たいな」
 そんなことを言い合いながら、館内が薄暗いのをいいことに、手なんかつないでみたりした。

 ドキンドキンと胸が鳴る。
 千景とは、恋人同士になる前から、深い関係にあった。いわゆる体だけの、セフレというあまり褒められた関係ではない。
 だから、千景の体温なんかとっくに知っているし、心音も、吐息の仕方も知っている。
 それなのに、どうして手を重ね合わせているだけで、指が絡んでいるだけで、こんなにも胸がうるさいのだろう。頬が火照って、呼吸が苦しくなるのだろう。しかもその苦しさが苦痛でないなんて、本格的に参ってしまっているようだった。

 恋人ではなかった期間には知ることのできなかった温度を実感しながら、広い水族館をゆっくりと廻った。
 案外時間がかかったと傍のベンチで一休み。体力がないというわけではなくて(まったくの見当違いというわけでもないが)、ドキドキの方に気力が持っていかれてしまった。
「ペンギン可愛かったな」
「赤ちゃんペンギン見られるとは思いませんでした。ほんと可愛かった、あれ」
 千景も満足げで、至は安堵した。
 こういう付き合いをするのは初めてだという千景を、少しでも楽しませることができたのなら。
「あ、プラネタリウム」
「え?」
 そのベンチから見える場所に、プラネタリウムの看板があった。歩き回って少し疲れたし、座って楽しめるものは、今ちょうどいい。至は千景を振り向いて、「あれ行きません?」と提案してみた。上映時間もちょうどもうすぐだ。
「そうだな、あれなら足を休められるし。入ってみようか」
 提案を受け入れてくれた千景に笑いかけて、至は率先して腰を上げ、チケットカウンターへと足を進めた。

 二人が入場した上映回は、星とアロマで癒やしの時間を、と銘打ってあり、爽やかな森の香りに包まれたシアターの中で、寝転がって観られるものだった。
 ふんわりとしたシートに身を委ねて、ドーム状のスクリーンを見上げる。やはりここも薄暗い中で、そっと手を握り合った。
 正直途中で寝そうになった、と上映が終わってから呟くと、千景は面白そうに笑うだけ。あのふわふわシートと心地よい森の香りはずるいと思うのだ。加えて恋人の手のひらの温もり。安堵してすやすやしかけても仕方がない。
「ゆ、昨夜ちょっと寝れなかったし」
「楽しみで?」
「…………はい」
 千景が、出かけようと言ってくれたのが嬉しかった。初めてのデートに浮かれてそわそわして、寝付けなかった。それがこんなところで出てきてしまって、正直もったいない気分だ。

「ご飯、行きます?」
「そうだな。少しランチからずれてるから、そこまで混んでないだろうし」
 プラネタリウムがあるビルに、飲食店もいくつか入っている。あまり待たずに入れるところを探して、ランチを楽しんだ。
「ねえ茅ヶ崎。俺お前に言ってたっけ?」
「何をです?」
「昔……っていうか、俺の小さい頃の夢、宇宙飛行士だったんだ」
 至は目を瞠った。千景が自分のことを話すのは珍しいし、小さい頃の夢なんて、今初めて知った。
「理由が何だったのかは、全然覚えてないんだけどな。星とか、月を見るのは好きだった」
「は、初めて知りましたけど……そもそも、先輩は自分のこと話さないじゃないですか」
「ああ、そうか……うん、だから、茅ヶ崎がプラネタリウム行こうって言ってくれたとき、すごく嬉しかったよ」
 コスモの神秘とは少し趣旨が違っているような気もするが、星には違いない。すぐ近くにあったことと、足を休めたいという思いが、至にプラネタリウムを指ささせただけだったが、ここは愛の力とでもしておこう。
「へぇ……先輩も、そういう子供らしいっていうか、年相応の夢あったんですね」
「どうせノーロマンだとでも思ってたんだろ。茅ヶ崎は……そうだな、伝説の勇者とか、騎士とか、そのあたりかな」
「げ、なんで分かるんですかね」

「いや、お前ほど分かりやすいヤツもいないと思うぞ。でもここは――愛の力とでもしておこうか、茅ヶ崎?」

 ボッ、と顔が赤に染まる。正直、頭を抱えたくなってしまった。
 そんな嬉しいことを言うのは――二人っきりのときだけにしてもらいたいと!



2018/08/17
フォロワーさんのお誕生日祝いに!
千至のデート、ということでリクエストいただきました!
  
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