華家



熱の行方


 パシン、パシン、とレッスン室に硬い音が響く。同時に、十座が息を飲む音と、竹刀が空を切る音が。
 左京が振り下ろした竹刀を受け止めて流し、反撃に出る。力負けするわけにはいかなかった。

「うわっ……」
「馬鹿が、足下が留守になるっつっただろうが!」

 だけど、竹刀にばかり気を取られた十座の足を、左京が素早く払った。バランスを崩し、よろめいたところへ、容赦なく向かってくる竹刀の先。鼻先の寸前で止められて、十座は息を飲んだ。

「何度言ったら分かる、兵頭。ひとつのことに集中するな。のめり込むのは悪いことじゃねえが、お前はそれが顕著に出る。少し力を抜け」

 左京はそのまま竹刀を下ろし、それ以上踏み込んでくることはなかった。
 十座はよろめいた体を戻し、手のひらと、足下をじっと眺めて息を吐く。自身が不器用なのは知っていて、言われたことを簡単にこなせてしまうわけもないことは、分かっている。だが舞台に立つ以上、できませんなどと言えるはずもないのだ。

「もう一本、頼めるか、左京さん」
「休憩してからだ。さっきも言ったが、お前はどうも一本気というか……メリハリをつけないと、崩れるぞ」

 竹刀を握り直した十座にふいと背を向けて、左京は鏡張りの壁際に腰を下ろしてしまう。秋組の稽古のあと、殺陣の稽古を付けてもらっている立場の十座としては、従う他にない。
 ふう、と疲れたような息を吐いた左京に気がついて、十座は隅に置いていたスポーツドリンクを手渡した。

「すんません左京さん、稽古のあとにまで……」
「いや、構わねぇさ。お前の技量が伸びれば、秋組の可能性はもっと広がる。俺がもう少し上手い教え方できりゃあな」
「んなことねえ、左京さんのアドバイス、具体的で……有り難いっす」

 そうか、と少し照れたように視線を背ける左京の隣に腰を下ろし、じ、と眺めてみる。
 すっと通った鼻筋と、そこにかかる眼鏡。瞳を隠すことのない綺麗な金髪と、特徴的な目の下のホクロ。
 十座は思わず、そこに指先を伸ばしていいた。

「兵頭?」

 十座はこの眼鏡を取った左京を知っている。そのホクロの傍を涙が通っていくのを知っている。その綺麗な顎のラインが、快楽に上向くことを知っていた。

「左京さん」

 十座の指先は眼鏡のつるから降りてホクロを撫で、顎をなぞり、ついと自分の方に向けさせる。

「おい……ッ」

 察した左京の口唇から、抗議が飛び出す前に、塞いでしまった。
 押しやるように互いの間に腕を滑り込ませた左京だが、十座はそんなこと気にも留めずに左京を覆っていく。

「んっ……」

 口唇に触れ、押しつけ、舌先でべろりと舐める。びく、と肩を揺らした左京をグイと抱き寄せて、開いた口唇の中へと入り込んだ。逃げ惑うどころか、押し出そうとしてくる左京の舌に押し勝って、きつく吸い上げる。

 ――――やべェ……止まりそうにねぇ……。

 左京からの抵抗は見られるが、火がついてしまった。
 稽古のあとということも手伝ってか、ひどく好戦的な自分には気がついていて、ドリンクを飲み干す左京の喉が動くのに、欲情したのも自覚している。
 最初からそういうつもりでいたわけではないが、ふたりきり、近づいた体、汗のにおい、照れ隠しに顔を背ける恋人、それが揃って、触れるなという方が無茶なのだ。

「左京さん、抱きてぇ」
「……は、っはぁ、は……馬鹿、よせっ……」

 深いキスから左京を解放した十座は、トレーニングウェアの裾から手を差し入れる。稽古あとの汗に湿った肌は、十座の欲をレベルアップさせた。

「兵頭、おい、やめろって言ってるだろうが……っ」
「止めるなら、もっと前に止めてくれ、左京さん」

 キスの最中にでも、無理やり止めることはできたはずだ。それをしてこなかったのに、今さらすぎる。十座の手のひらは左京の腹を撫でながら、少しずつ上昇していった。
 指先が胸の突起に触れるかどうかといったところで、左京の両手が十座の顔に伸びてくる。
 キスでもおねだりしてくれるのかと、

「や……めろっつってんだ! こんのエロガキ!」

 ……思いきや。両手で十座の頬を掴み固定した左京は、額めがけて自身の額をぶつけてきた。

「いっ…………て……!!」

 予期していなかった衝撃と痛みに、十座はつい体を離してしまう。つい今し方左京のウェアをたくし上げていた手で額を押さえ、きつく目を閉じぐわんぐわんと目の回りそうな感覚を耐えた。

「容赦ねぇな、アンタ……」
「てめーが馬鹿なことするからだ!」
「…………そんなに、嫌なんすか、やるの」
「嫌に決まってるだろうが、ふざけんな!」

 左京自身も衝突させた額をさすりながら、問いかけた十座に答える。きっぱりはっきり拒まれてしまって、十座は肩を落とし眉を下げた。恋人とはいえすべてを許容することはできないし、させることもできない。
 もともと強引に押し切った形で始まった関係だし、左京はそれほど好いてくれていないのかもしれない。

「……すんません、左京さ――」
「神聖なレッスン室で、何を考えてやがんだ。こんなとこでなんか、絶対に嫌だからな!」

 素直に謝って頭を冷やしてこようと思った十座の声を遮って、左京がそう続けてきた。

「神、聖……」

 十座はまっすぐに左京を見つめ、そうしてぐるりとレッスン室を見渡す。
 こんなとこでなんか、ということは、もしや場所が気に入らないだけなのだろうか。それにしても神聖なレッスン室とは、左京の芝居バカっぷりには恐れ入る、と十座は自分の芝居バカを棚に上げて考えた。

「馬鹿にしてんのか、兵頭」
「いや、してねぇっすけど……神聖なって言えるの、なんか、すげぇなって」
「ああそりゃ言葉のあやにしてもだ。お前は嫌じゃねぇのか。普段から熱込めて稽古してるとこで、自分の欲さらけ出すんだぞ。しかもここは、俺たちのことを知ってる秋組の連中だけならまだしも、他の組のヤツらだって使うんだ。向坂や瑠璃川なんか、中学生だぞ? それに、監督さんだって。……絶対に嫌だからな」

 あ、と十座は気づく。自分の欲ばかりに気を取られて、そんな当たり前のことさえ考えられなかったのだ。やはり左京の言う通り、ひとつのことにしか集中できない不器用な人間だと、改めて自覚した。

「すんません……全然、考えてなかったっす」

 十座は、レッスン室を情熱だとか感動だとか、そんなに綺麗なものばかりで考えてはいない。嫉妬や自分自身への怒りだって、ここで何度も感じてきた。それは、言うなれば「欲」だ。欲を欲で上書きし蓄積されていく場所でもある、とさえ感じていた。
 だがしかし、左京の言う通りここは他のメンバーも使う場所である。そんなところで左京を抱くわけにはいかない。もし知られたら追い出されてしまう可能性だってあるのだし、もう少し慎重にならなければと項垂れた。

「左京さん……」
「なんだ」
「あの、俺……気をつけるんで、き、……嫌いにならないでくれ」

 左京とのことを他のメンバーに知られるのは怖くない。それを受け入れてもらえなくても生きていける。
 だけど、左京に嫌われたくはない。きっと生きてはいけるだろうけれど、一度知ってしまった熱を、果たして忘れていられるか。無理だと即答できるはず。
 自分の不甲斐なさにくしゃりと髪をかきまぜる。どうか嫌いにならないでほしい、と祈るように細く息を吐いたら。

「……馬鹿言ってんじゃねぇ」

 その手にそっと触れてくる温もりがあった。左京の手のひらだ。少し乱れた髪をかき上げるように、指が絡んでくる。十座の指と、左京の指。それに髪が絡んで、ひとつになった。
 ぐいと引き寄せられ、額に左京の口唇を感じる。十座は目を瞠った。

「さっきは悪かったな。痛かっただろ」
「え、あ、いや……」

 額を衝突させたところへの、癒やしのキス。まさか左京がそんなことをしてくれるなんて、思ってもみなかった。
 もしかして、思っている以上に、左京にはちゃんと好いてもらっているのだろうか。
 至近距離で、視線が重なる。左京の眼鏡越しに、確かに一直線、ただ一点だけを見つめる相手のものとかち合っていた。
 どちらからともなく、口唇を寄せていく。いや、どちらかというと六対四の割合で左京からの誘いだったような気がした。
 口唇は互いの真ん中で出逢い、触れて、五秒。確かな熱の触れ合いを持って、離れていく。

「兵頭、部屋まで我慢できるか?」

 ふっと左京の目が優しげに細められる。十座はそれが嬉しくて、顔をほころばせた。

「……っす」
「いい子だ」

 そう言って左京は、優しく髪を撫でてくれる。あやすような口振りではあるが、子供扱いしているわけではないことが、触れた口唇から伝わってきた。
 触れるだけのキスで、ひとまず欲をあやして宥め、十座は左京とともに一〇六号室へ向かう。
 熱の行方は、お互いだけが知っていた。



2017/07/31
レッスン室で欲情しちゃって左京さんに怒られるとかいいよねって朝妄想していたもの。
  
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