ハーモニー その指が離れる前に

2016/03/21



 一通りのコトを終えて広瀬が寮にたどり着いたのは、二十時の門限ぎりぎり。気が重いのは、絶対にいるだろうと思ったからだ。
「やっぱり」
 そしてその予想通り、門のところに桧垣が立っていた。桧垣も広瀬を見つけ、睨みつける。
「遅いお帰りで」
「おかげさまでね」
「ちょっと話がある」
「俺疲れてんだけど」
 広瀬が桧垣を通り越して寮に入ろうとすると、桧垣が広瀬の腕を掴んで止めてくる。
 それも予想はしていたが、素直に聞いてやる義理もないと、広瀬は振り向いて桧垣を睨みつけた。
「疲れてるって言ってんでしょ」
「てめぇが疲れてようが俺の知ったこっちゃねえんだよ。アイツにどんなことされてようがな」
「そういう話、外ではやめてくれませんかね。一応俺にだってメンツもプライドもあるんで」
 桧垣にそういう現場を見られてしまった以上、隠すことはできない。
 あの状況でただのオトモダチなどと言っても、誰も信用しないだろう。もしいたら、医者に診てもらえと勧めるくらいだ。
 しかしながら、他人に聞かれたい話ではない。門の傍なんて、誰が聞いているか分からないのだ。せめて寮内にしてほしいと、桧垣に提案する。
 桧垣としても、あまり大きな声で言えた話ではないと分かっていて、二人は広瀬の部屋に向かう。
「祐二、悪いけど少しだけ部屋開けてもらっていい? 桧垣先輩と話したいんだ」
「あー、いいよ。談話室の方いるからさ。……大丈夫? 無茶なこと言われたら、ちゃんと味方してやるから、呼べよ」
 ルームメイトである藤枝にそう頼むと、きっと部活のことだろうなと察し、こそりと耳打ちをしてきた。
 味方してやるという言葉は心強く、広瀬はサンキュというだけで送り出した。
 藤枝と入れ替わりに、桧垣が入ってくる。藤枝の出ていったドアを振り返りながら、桧垣は訊ねてきた。
「アイツは知らないのか、お前のこと」
「……言う必要あんの? 俺が男と寝てるって」
 いくら幼馴染みでルームメイトとはいえ、そこまで踏み込んだ話題は出ない。カノジョができたできないくらいは話題に上るが、幸か不幸か今はどちらもそういう意味で親しい相手はいなかった。
「お前、あの男のこと好きなのか? もし邪魔してたんなら、それは謝ってやる」
 とても謝るという様子ではない桧垣の物言いに、広瀬は首を傾げる。はぁ? と声を上げることで、理解と、不快さが襲ってきた。
「馬鹿なこと言うよね、桧垣先輩。俺が、あんな男を、好き? 考えただけでも気持ち悪いんだけど。俺ホモじゃないし」
「ホモだろ、ヤローと寝てるくせに」
「別に女の子が駄目なわけじゃない。あれは……前いた学校の……先輩で」
「どーでもいいんだよ、そんなこたぁ」
 呆れたように首を振り、恋愛感情を否定する広瀬を、桧垣は遮る。あの男が何者なのか、気にならないわけではなかったが、重要な問題と捉えてはいなかった。
「広瀬。俺が訊きてぇのは、アイツと寝るために部活セーブしてんじゃねーのかってことだよ。今だって相当お疲れのようだし? しつこそうな顔してたもんなあ。いや、お前の方がスキモノなのか知らねーけど、ふざけんなよ」
「なんで俺が好き好んであんな変態とらヤなきゃいけないんだよ! あんなっ……アイツのせいで俺は……!」
 途切れる広瀬の声に、桧垣は目を細める。
「広瀬、お前……」
 ハッとして、声を詰まらせる。だが、しまったと後悔しても、もう遅い。たがが外れて行き場のなかった怒りや戸惑いは、もう止まらない。
 広瀬は握りしめたこぶしをふるふると震わせた。
 桧垣はその拳を持ち上げ、手の平で包み込んでみる。
「なっ……」
「なあ広瀬、お前、アイツに何されてんだ」
 訊いてはみたものの、優しい行為でないことくらいは桧垣にも分かる。
 恋人同士の愛の語らいが含まれているわけでもなさそうで、なぜ広瀬がそんなものに甘んじているのか、純粋に不思議でならなかった。
「その様子じゃあ、好き合ってるってわけじゃないみたいだし……なんで今日もついてったんだ?」
 まっすぐに射ぬく視線が、冷やかしではないと思ったのか、広瀬は泳がせていた視線をぴったり桧垣と合わせ、ややあって小さく息を吐いた。
「あそこで喧嘩なんてしたら、学校にも知らされるだろ。あんた大会の代表メンバーなのに、あんなことで出られなくなったらどうすんだよ。迷惑かかんのは先生たちと、他のメンバーじゃん」
 初犯ならそういう処分も保留されるかもしれないが、可能性がゼロでないならば、避けるべきだ。
 桧垣は、そこでようやく気がつく。広瀬は自分を庇ってくれたのだと。好きでついてわけではなかったのだと。
 冷静に考えれば分かったことなのに、どうしても混乱が先立って、見えていなかった。
「……悪い、俺のせいか」
「半分はね。あんたがいなきゃもうちょっと粘ったけど、それでも結局どっか連れ込まれてたと思うよ。先輩の言った通り、アイツしつこいんだ」
 庇ったつもりの相手に庇われるなんて、どうにも決まりが悪い。無駄な争いを避けるために、広瀬は自分の体を差し出したのだ。
「……悪かった。なんか、余計なことしたみたいで」
「本当だよな。あんたには変なとこばっかり見られてる。で、本題に入ってよ。できれば黙っててほしいけど、タダで聞いてもらえるとは思ってない」
「なっ……」
 桧垣は言葉をなくした。それはつまり、何かと引き替えに黙っていろということだ。
 確かにこの状況ではそう考えてしまっても仕方がない。
「金とか、そういうのはあんまり余裕がないんだけど他になにかできることあんなら」
「ンなもん誰が欲しいかよ! 馬鹿にしてんのか!」
 金で解決というのは、ひどく分かりやすい方法だ。しかし、金で解決できる相手だと思われているのが、不愉快だった。
「お前の中で、俺ってそういうイメージなわけか? こんなもんネタんい脅すようなヤツだって思ってるってことだろ、それ」
 桧垣は眉を寄せて、不機嫌全開で広瀬を睨みつける。それを見て、機嫌を損ねたのだと初めて気づいた広瀬は、戸惑った。
 桧垣を貶す意図はなかったのだが、すぐに交換条件が浮かんでしまうあたりはあの男の影響かなと苦笑する。
「すみません、俺あんたのことよく分からないし、手っ取り早いかなって思っただけ。気ィ悪くしないで」
「……いいけど、なんか、説明は欲しいな。なんであんなのと、ってのは気になるし、ちゃんと聞いてかねーと、お前のこと変に誤解する」
 あんな場面を見てしまった以上、知らなかった頃には戻れない。どういう理由で、どんな経緯で、あの男と肌を合わせているのか。それを知っておかないと、広瀬拓巳という男を誤解してしまいそうになる。
 気まずそうに頭をかく桧垣に、広瀬はややあってため息をついた。誰にも言うな、見なかったことにして忘れてくれというのは、あのとき庇ってもらった立場としては勝手な言いぐさだ。好きであんなことをしていると誤解されてもたまったもんじゃないと、口を開く。
「あれ見られたのがあんたで良かったかもな。見る? あんまり楽しいもんじゃないけど」
 桧垣の答えを待つことなく、広瀬はシャツのボタンを外していく。
 体を強張らせたのは、桧垣の方だった。
 中のTシャツをたくし上げれば、そこにはいくつもの赤い跡。キスマークはまだいい、情事の名残としては至極当然に思える。
 だが、引っかいた……というよりは何かを叩きつけたような何本ものラインは、そういう趣味でもなければ異常なものに見える。
「おい、お前、……これって」
 ベルトで打たれた跡、だろうか。
 桧垣はそんなもの実際には見たことがない。だが、その色は目を背けたくなる。
「なんで……こんなことされてまで……黙ってんだよ……お前そういう、SM趣味とかあるわけじゃないんだろ!? そんなにあの男がいいってのかよ!」
「イイわけないだろ! やめられるもんならとっくにやめてるよ! 嫌だって言っても、泣いても、学校変えても! 俺を抱きたがるあの人から、どうやって逃げろっていうんだ!?」
 広瀬の剣幕に、桧垣がひるむ。
「さんざん痛めつけられて、喘がされて、何度もイカされて! こんな痕付けられても、アイツが触れてくればそれで感じるようになったんだよ。……そんなの、どうしろっての……」
 嫌悪感の中に、どうしようもなく求めてしまう快楽への葛藤が見えた。
 気持ちの上では拒みたい。だけど、体は受け入れてしまう。
 そういう風に変えられてしまった広瀬の、若い欲望だ。
「俺はあんたの言う通りスキモノだよ。好きでもない男に抱かれて感じるんだからさ……」
 広瀬の指先が、腹につけられた鞭の跡をなぞる。これさえなければなあと苦笑する表情は、とても十六歳とは思えないものだった。
「痛いのにさえ慣れてきちゃってんだ。俺ってもうオトコ相手じゃないとイケないのかも」
 桧垣には、どうしてもそれが気に食わない。そんな諦めたような表情をする男があんな矢を打てるのかと思うと、やはり腹立たしいのだ。
「真面目に部活やるより、男にケツ振ってる方がいいっていうのか、てめぇ」
「……同じ汗流すなら、気持ちイイ方が楽しいだろ。あの人なしじゃいられないってのも、あながち嘘じゃ――」
 ダン、と顔のすぐ傍で鈍い音がした。それが壁を殴りつけた桧垣のこぶしだと知った時には、鋭い瞳で睨みつけられていて、広瀬は言葉を飲み込んだ。
「だったら俺が抱いてやるよ」
 しん、と呼吸が落ちていくような音を聞いた気がする。
 何を言われたのか分からずに、広瀬は二秒ほど思考を停止させた。
「……は?」
「男が欲しいっていうなら、俺が抱いてやる。恋愛感情がなくていいなら、俺だって構わねえだろ」
「や、ちょっと、何言ってんの、馬鹿なの?」
 繰り返されて意味を把握する。
 困惑した。恋愛感情なんて当然ないけれど、誰でもいいかと言われたらそうでもない。ましてや一時の気の迷いと勢いなんかでそんなことを言われても、どうすればいいのか。
「部活に支障がないようにしてやる。だからちゃんと真面目にやれよ」
「俺の言い分も聞けよ、ちょっと、落ち着いて先輩、あんたそっちの趣味ないんでしょ? 男なんか抱いたこともないくせに、なんで……っていうか、俺に真面目にやらせたいだけでそんなこと言うあんたの方が、よっぽど理解できないって!」
「……俺じゃ力不足だって言いたいのか?」
「まだ寝てもいないのにそんなん分かるわけない、ちょっと、いいから退いて、あんたと寝る気なんて」
 練習を真面目にしてほしい、という桧垣の要望は分かった。それほど部活に打ち込めるような男だとは思っていなかったが、これは広瀬が考えを改めた方がよさそうだ。
 だがだからといって、セックスを代償にしてまでというのは理解ができない。
「広瀬、俺はてめぇに恋愛感情なんかねえ。けど……お前が真剣に弓矢引いてるところをもう一度見たい。それを見られるんなら、お前が望むようにしてやるよ」
 そう告げてくる桧垣に目を瞠って、瞬いて、?を赤らめた。まさかそんなことで、セクシャリティまで超えてしまうのかと。そんなにまで言ってもらえることに、悪い気はしない。
「……本気で言ってんの」
「野郎抱くくらいなんでもないだろ」
「いや、相当勇気がいると思うけど……ネジどっかいったんじゃないのあんた……」
「ごちゃごちゃうるせーな、どうするんだよ結局」
 異性相手なら、好きでなくても行為はできるだろう。だが同性相手に桧垣がどこまでできるのか、考えてしまったあとは止まらなかった。
 どんな風に、どんな熱で、あの快楽に溺れさせてくれるのか。真剣に矢を射るだけでいいのなら、気まぐれに身を任せてみても損はない。
 広瀬は、ゆっくりと口の端を上げた。
「いいよ先輩。俺を後ろでイカせられたら、本気出してあげる」
 一歩足を踏み出して、桧垣を覗き込む。逸らされるかと思った視線はぴったりと重なって、広瀬を少なからず驚かせた。
 ここで引かれるならそれまでで、仕掛けられたら乗ってやる、くらいの気安さだったと思う。
 契約の証しのように口唇が重なってさえ。


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