Kiss me

2010*/12/12



「ねえ、ガラス越し…アリな人?」

 教室のベランダから、窓際の女生徒に声がかかる。女生徒は微笑んで、

「アリな人」

 そう、答えた。
 ガラス越しに重なる口唇に、タクトはうわあと体を引いてしまう。
 ガラス越しのキス、というのは今一年生の間で流行っている「遊び」だ。名前も知らない男女同士が、ガラスを隔てて口唇を重ねる。ただ、それだけのこと。
 別にこの学園は男女交際が禁止されているわけではない。
 堂々と彼氏彼女を作ってキスをすればいいのにとは思うが、名も知らない相手という背徳感が、それを増長させているのだろうか。
 そういえば後ろの席に座っているミセス・ワタナベも、人妻でありながらあの遊びをしていたなあと、タクトは思い出す。
 この島には不思議なことばかりあって、それは新鮮なのだが、若干ついていけないこともある。
 はあ、とため息をついて、廊下側の列に席を置くシンドウ・スガタを見やった。
 彼は静かに本なんか読んでいる。クラスのイロゴトなんかには、興味もないといった風に。
 頬杖をついて、次にワコを見やる。スガタの2つ前の席。友人の女生徒となにやら楽しく話しているが、こうして見ているととても彼らが許嫁同士とは思えない。
 タイガーに聞いていなければ、仲がいいんだなあくらいにしか思わなかっただろう。

 ――――でも、スガタはワコのこと大事にしてる。ワコも、スガタのことは大事にしてると思うけど……。

 果たして自分が入り込む余地はあるのだろうか?
 しかも困ったことに、タクトが気になっているのはスガタの方だ。
 通常であればここはワコが気になる、という流れなのだろうが、心はごまかせない。
 もちろん、ワコのことも大事な友人だと思っている。守らなきゃいけない人だと思っている。
 だけど恋をしているかと聞かれれば、ノーと言ってしまえるだろう。

 ――――スガタは、ワコともうキスしたかな?

 親が決めたものだと言っていたが、満更でもないようだし、高校一年生ともなればそういうことをしていったっておかしくないだろう。
 あ、と気づく。
 もしかしたらこの「遊び」は、言えない想いを抱えている生徒たちのほんの少しの願いから始まったものなのだろうか?と。
 直接キスなんて願えないから、ほんの遊びだよとでも言って……想いを寄せている人とガラス越しのキスをしたのだろうか。

 ――――ガラス越し……アリかなあ……。

 先ほどガラス越しにキスをしていた男女は、なにやら楽しそうに会話をしている。
 もしかしたらやっぱり、そこから交流が生まれて恋人同士になったりするのだろうか。

 ――――でもなあ……僕は無理だろ?

 相手が女の子ならともかく、気になる相手は男の子。しかも学園内にもたくさんファンがいるであろう、シンドウ・スガタ。
 初めからあきらめなければいけない想いだ。
 タクトはこの島に、スゴイことやりにきたのは間違いない。確かにタウバーンに乗り込み敵のサイバディを破壊するという、スゴイことをやっているのはあるが、青春の謳歌はどうしたんだと自問自答する。
 可愛い女の子とデートしたりデートしたりデートしたり! そういった、普通の男子高校生としての夢もあったはずだ。
 なのに、惚れた相手がよりにもよって同性なんて。
 はああーと大きなため息をつく。

「タクトくん、すっごい大きなため息。お腹空いた? さっきお弁当あげたのに」

 声をかけられてはっと顔を上げると、ワコの親友・ルリが心配そうに、面白そうにのぞき込んでいた。

「あっ、ああ、いや、何でもないよ」
「なんでもあるよ、そんなおっきいため息。……あっ、もしかして恋の悩みぃ〜?」

 ざわ、と教室がざわめく。ルリの声が聞こえてしまったようだ。

「タクトくん好きな人できたのっ?」
「誰、どこのクラス? ひょっとして年上とか?」
「ワコ狙いじゃなかったのっ?」

 女生徒たちに詰め寄られて、陰ができる。一度も会話したことのない生徒さえいた。きっと、タクトが恋をしているという事実はそれほど重大だったのだろう。

「ちょっ……なに言ってるかなぁっ」

 名を出されたワコが、慌てて立ち上がる。思春期の男女というものは、好意を素直に表せないものなのだろうか。

「ち、違う、違うってそういうんじゃないから!」

 タクトも、慌ててそれを否定する。
 クラスのみんなにも、やっぱりワコを想っているように見えてしまったのかと、そちらの方がタクトにとっては重大だった。

「あの、ほら、今度のテストのこととか、いろいろさあ、あるでしょ悩み」

 なんとかそっちの話題から逸らそうと、タクトは月末に迫っている定期テストのことを振ってみる。教室の中には、ハッとした者が何名か。ホッとしたものが何名か。自分の気持ちに気づいてエッと目をむく者が二〜三名。

「あーそっかあ、テスト、テストねえ……」
「範囲どこだっけー」
「数Uならメモったよー」

 散らばっていく生徒たち。タクトはホッとして、自分も申し訳程度に教科書を広げてみせた。

「スガタくんは楽勝だね」
「そんなことないよワコ。僕だって全範囲覚えているわけじゃないからね」

 それでも余裕が見えるのは、さすがにシンドウ・スガタといったところか。

「タクトくんはどうかなあ」
「自分の心配はいいのかい、ワコ。今回は助けないぞ」

 ぐ、と言葉に詰まる。成績が悪い方ではないけれど、なにもせずにいい点が取れるほどでもない。スガタに要点を教えてもらっていたが、今回は助けてくれないらしい。
 あーあ、とため息をつきながらワコは自分の席に戻っていった。
 スガタは一人、話題の人物だったタクトを振り向く。下手な嘘だと眉を寄せつつ。
 その瞬間に、視線が重なった。
 驚いて、でも視線をはずせなくて、相手も同じ顔をしていて、瞬きさえももったいない。
 授業開始のチャイムが鳴って、それ以上は見ていられなかったけれど、逸る心臓を押さえることの方が先決だった。

 ――――目が合った……目が合ったああぁぁ……!

 これは本当に重症だ、どうしようもない。
 タクトはぎゅっと目をつむって、スガタとの視線の交錯を思い起こす。
 たった数秒、視線が重なっただけでうれしくなってしまうなんて、今までなかった。
 好きになった子が今までいないわけではないのに、こんな気持ちになったことは今までなかった。

 ――――スガタ……。

 シンドウ・スガタが大好きだ。それを自覚して、まだどれだけも建っていないように思う。
 彼がザメクとアプリボワゼして、もう一生目を覚まさないのかと思った瞬間、それは恋だと気づいた。友人として一緒にいたんじゃない、たったひとりの人として出会いたかったのだと、気づいた。
 ワコを、自分を見てくれないスガタを、憎らしく思って責めたこともある。
 自身で言うほどツナシ・タクトという人間に興味を持ってはいない、ワコにさえ本心を隠して、自分自身さえどうだっていいような、そんなオーラが感じられて。
 あれから少し、スガタとの会話が増えた。聞きたいことがたくさんある、と言い放ったタクトを、スガタは突き放しはしなかった。
 そしてまた、想いが募る。
 言えない、想いだけが。




「タクト、どうしたんだ。さっきから元気がないな」

 週末は、スガタの家に行くことになっている。剣の稽古を付けてもらうという名目で、タクトはスガタの傍にいたがった。

「別に……」

 改めて自覚してしまった恋心と、確実な失恋に悩んでいるなんて、死んだって言えるものか。
 この秘密だけは絶対に墓場まで持って行ってやるとタクトはまた、大きなため息をついた。

「恋の悩みか。悪いが僕は力になれないぞ」

 想う相手本人に言い当てられて、タクトは顔を真っ赤にしてスガタを振り向く。

「そういうんじゃないって言ってるだろ!」
「僕の目はごまかせない。ずっとお前を見てるんだ、分かるさ」

 え、と息を止める。
 そういう意味じゃない。決してそういう意味じゃないだろうに、スガタはタクトの心臓を平気でわしづかみにしていった。

 ――――困った、この鈍感め。見てるんだったら気づけって。

 嬉しさと切なさと、また募る恋心。

「なあ……スガタはさ」
「うん?」
「ガラス越し……アリな人?」

 スガタの瞳が一瞬見開かれて、そして細められる。なんだか責められているような気がして、タクトは肩を竦めた。

「ガラス越しなんて、あり得ない」

 ふいとそっぽを向かれて、寂しくて眉が下がる。
 直接なんて無理だけど、ガラス越しもやっぱり無理かあと心臓が痛んだ。
 玄関のドアの前で、ガクリと項垂れる。

「僕なら、直接するよ」

 その俯いた頬を両手でグイと引き上げられて、タクトは目を瞠った。

「いい加減に気づいてくれ、タクト」

 スガタはそう言って苛立った様子を隠しもせずに家へと入っていく。タクトは慌てて滑り込んで、スガタの袖をひっつかんだ。

「スガタこそ、気づけよ!」
「え?」

 勇気を出して、タクトはありったけの想いを込めてキスをした。

「いっ」
「てっ」

 つもりだったが。
 歯がぶつかって、痛みの方が先に感じられた。
 お互いに口を押さえて、ちらりと相手を見やる。
 視線がばっちりと重なって、ああ、なんだ、と肩の力を抜いた。

「話したいことが、また増えた」
「聞きたいことも、また増えた」
「気づけよ」
「僕の台詞」

 手を伸ばして、引き寄せ合って、今度はちゃんとキスをした。
 ガラス越しでも、勢いでもない恋人同士のキスを。



 その日タクトは、いろんな意味で帰れなくなったとか、なんとか。