練習台じゃなくて。

2010/12/26



「それで、どうして僕なんだ?」

 不機嫌そうなスガタの声が、タクトの耳に入ってくる。不機嫌には、不機嫌で返してやった。

「だって、女の子を練習台にするわけにはいかないっしょ〜?」

 スガタにしてみれば、そんなにケンカ腰に返されるいわれはない。
 タクトにしてみれば、そんなに怒られる理由が分からない。
 視線を逸らしたら負けだ。瞬き一つでさえ、命取りになるような気がした。

「だからって僕を練習台にするお前の無神経さが信じられん」
「キスシーンがあるって知っても平然としてるスガタの方こそ、無神経だよ」

 短い、沈黙が流れる。
 そうして二人ともが困ったような顔をした。
 つい先ほど知らされた、劇団夜間飛行の演目、「神話前夜」には、タクトとミズノのキスシーンが盛り込まれているらしい。
 いくら演技とはいえ、年頃の男女がそんな!と慌てたのはタクトとワコ。わーいタクトくんとちゅーだああと喜んだのはミズノ。興味津々で目を輝かせたのはジャガーとタイガー。
 スガタは、口唇を引き結んだまま、じっとその光景を眺めていた。

「僕の気持ち、知ってるはずだよね、スガタ」
「僕の気持ちも、先日伝えたはずだけど?」

 お互いの気持ちは知っているはず。
 好きだと言ったら驚くほどの速さで同じ言葉が返ってきて、逆にどうしていいか分からずに、今日に至る。
 恋人同士になりましょうと言えばいいのか、手をつないでしまってもいいのか、口づけを交わしてもいいのか。

「だいたいタクトは、キスなんか慣れてるだろう」
「なんで!?」
「僕が何も知らないと思っているのか? 何が青春の1ページだ」

 ぐっと詰まる。スガタに気持ちを告げる前、何度か女の子と口唇を触れ合わせてきた。
 自分の意思だったかというとそうでもないが、キスには、変わりがない。そのうえ、演技でキスなんて。

「そ、それは……謝るけど、だって」
「お前は隙がありすぎるんだよ。女の子に甘いだけなのか、ちょっと剣の腕が立つからって、いい気になっているのか」

 一歩、スガタが足を踏み出す。距離が近づいて、呼吸さえ聞こえてきそうだった。

「……自分より強いって言ったのはお前だろ、お師匠サマ」

 一歩、タクトが足を踏み出す。間隔が狭くなって、唾を飲む音さえ聞こえてきそうだった。
「お前は確かに強いさ。だけどツメが甘い……!」
「つ……っ」

 伸びた手が、タクトの手首をひねり上げる。しかめた顔のほんの数センチ先で、スガタの髪が揺れていた。

「ここで僕が本気になったら、お前は抵抗できるのか?」

 王の瞳に見下ろされて、タクトは目を瞠る。
 そして、笑った。

「抵抗なんて、できるわけないじゃん。する意味がないんだから」

 いっそ楽しみにも思えて仕方がない。そう続けたら、スガタが呆れたように笑ってくれた。
 掴んだ手首をそっと放し、ゆっくりと指を絡め合う。

「練習って言ったことは、謝れ」
「うん、ごめん。僕はスガタとキスをしたい」
「最初から、そう言えばいいんだ」
「スガタこそ、妬いてんならそう言ってよ」

 悪態をついて、逸る心臓をごまかして、初めて恋する人と口唇を触れ合わせる。
 すぐに離れてしまったことをお互いに不満がって、笑って、長い、キスをした。